高尾山ノスタルジア No.12:表参道登山口から霞台へ(1/2)
昭和2年(1927)の高尾山ケーブルカー開業からまもない頃と推定される絵葉書に、ケーブルカー山麓駅(清滝駅)前の当時の様子の写真が残っています(資料①)。
駅前広場には立派な門。頭上には「登山鐵道乗場」と掲げられ、木に隠れて見えませんが別の資料によると左の柱には「髙尾登山鐵道株式會社」、そして、右の柱には「鐵道テハ十分間徒歩テハ一時間」とあります。そして運賃の掲示もあり、「賃金 片道 金 貳十五銭 往復 金 四十五銭」とあります。往復切符を買うと、5銭割引なのですね。
当時の貨幣価値ですが、戦前期まで遡れる統計が日本銀行の企業物価指数しかないので、それに基づき昭和2年時点と仮定して25銭と45銭の現在価値を推定すると、それぞれ199円と359円になります(*1)。あくまでも推定値にすぎませんが、結構庶民的な運賃設定だったということでしょうか。
ちなみに、高尾山ケーブルカーが開業した昭和2年という年は、
小田原急行線(現小田急線)が新宿~小田原間で全線営業開始
西武鉄道(現西武新宿線)が高田馬場~東村山間で開業
アジア初の地下鉄、東京地下鉄(現東京メトロ銀座線)が上野~浅草間で開業
などなど、日本の鉄道史において大変重要な年です。時代の高揚感を感じます。
閑話休題。当時も今も、ここが薬王院有喜寺の表参道。現在は1号路と名前がついています。高尾山ケーブルカー開業の頃とさほど時代が変わらない時点のものと推定される写真(資料②)に写る1号路登山口には、かつてそこにあったであろう一ノ鳥居はもちろんなく、「高尾山」と彫られた石柱と、対の灯籠が設置されています。現在石柱はありませんが、灯籠の基部は現存します。また向かって右に不動院があり、建て替えられていますが現在も同じ位置にあります。
灯籠を過ぎると、1号路はしばらく緩やかな登りが概ねまっすぐ続きます。そして、700mほど進むと傾斜が急に増し、直後に道は鋭角に右に折れ、七曲と呼ばれる九十九折が始まります。この角にはかつて古滝と呼ばれる滝があったらしいのですが、現在は鬱蒼と木々が茂る岩場があるだけで、その面影すらありません。江戸時代後期の万延元年(1860年)以降に書かれたとされる地誌「八王子名勝志」にこの古滝を描いた挿絵があり、説明がついています(資料③)。以下、抜粋します。
:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:
古瀧
本道一ノ鳥居より三四丁登りて左ノ方にあり高丈余上に倶利加羅龍あり瀑布のしたに金毘羅権現の社あり
:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:
高さ一丈余りだとすれば概ね3m強ということになりますので、それほど大きなものではなさそうですが、この古滝、明治四十年(1907)から大正六年(1917)の間に発行されたと推定される絵葉書の絵図にも描かれています(資料④)。少なくともその頃までは存在したと思われるものの、昭和の初め頃までには枯れてしまった(*2)とのことです。
なお、この周辺は高尾山がその名前の由来となったタカオスミレの生息地でもあります。(続く)
(*1)
参考資料 日本銀行HP 日本銀行の紹介、「教えて!にちぎん:日本銀行や金融についての歴史・豆知識:昭和40年の1万円を、今のお金に換算するとどの位になりますか?」閲覧日:2024年4月1日
876.3(令和5年)÷ 1.099(昭和2年)=797.36倍
0.25円 × 797.36 ≒ 199円
0.45円 × 797.36 ≒ 359円
(*2)
外山徹、「高尾山歴史の散歩道」、大本山高尾山薬王院、2021、P.61
(注1)
《写真ならびに絵図に関する著作権について》
表示している写真ならびに絵図は、旧著作権法(明治32年法律第39号)及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)に基づき著作権が消滅していると判断し掲載しているものです。
掲載している写真絵葉書は、全て著者が個人で所有しているものです。
本稿掲載の著作物の使用ならびに転用の一切を禁じます。
参考資料:文化庁 著作物等の保護期間の延長に関するQ&A
(注2)
《国土地理院コンテンツ利用規約に基づく表示》
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院地図:電子国土Web)
地点強調は筆者加筆
(注3)
《「国立国会図書館ウェブサイトからのコンテンツの転載」に基づく表示》
表示しているコンテンツは、国立国会図書館デジタルコレクション」に収録されているデジタル化資料のうち、著作権保護期間が終了し公共財産に帰属するものであることを確認し、転載したものです。