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高尾歳時記 2025年2月23日

 今年2025年は、昭和元年から数えて、昭和100年にあたるそうです。この節目は、新聞やテレビなどでちらほらと言及されるぐらいで、なにか大々的な催しや記念行事みたいなものは予定されていないようです。

 もとい、多くの方々は、昭和100年といわれてもそんなに関心はないでしょう。でも、明治100年、昭和43年(1968)のときは違いました。国家予算をつけて、大々的かつ全国的に記念行事や記念事業が催されたのです。

 昭和43年は、最初の東京オリンピックが開催された昭和39年(1964)と大阪万国博覧会が開催された昭和45年(1970)の間で、オリンピック、明治百年と大阪万博は、高度経済成長を謳歌する戦後日本において、国威発揚の起爆剤として政府が主体的に取り組んだ大イベントだったのですが、他のふたつに比べて、明治百年は、国民の記憶としてはそれほど残っていないように思います。

 明治百年を迎えるにあたり、昭和41年(1966)3月25日、佐藤栄作内閣は明治百年祭を全国規模で祝うことを目的に「明治百年記念事業」計画を閣議決定し、総予算14 億という巨額を投じて明治百年記念事業を当時戦後最大と言われる国家行事として主催。その集大成とされるイベントである「明治百年記念式典」を、1968 年10 月23 日日本武道館にて挙行するとともに、「明治百年祭」を全国民的規模で行うことを決定した政府は、各都道府県に記念祝典の他、国の趣旨に沿った行事や事業を実施するよう要請したとのよし(*1)(*2)。

 これらは歴史事業としてのイメージが強かったものの、実際には「明治百年」の看板のもとに幅広い事業が行われ、政府の記録に基づいて記念事業を博物館など公共施設の建設、森林公園や「県民の森」の整備等のハード面の事業、ならびに県史編纂等の歴史関係、そして県章県歌の制定などその他に分類すると、府や県史の編纂ならびに県出身先覚者の伝記刊行といった歴史関係事業よりも、「明治百年記念公園」「県民の森」「こどもの国」の造設などハード面の事業を明治百年記念事業の中心に据えている自治体が多い、とのことです(*2)。

 この、「ハード面」における事業のひとつとして制定されたのが、明治の森高尾国定公園です。

 太平洋戦争の終結後、戦災で焼失した家屋の復興や逼迫していた燃料の確保のために大量の木材が必要になりました。このため、全国の山林から木材が切り出されることになりますが、高尾山そしてその周辺の山林もその対象になりました。長年保護されてきた高尾の森も、戦後復興の影響から逃れることはできなかったのですが、昭和25(1950)年、東京都は高尾山ならびにその周辺の山々を東京都立高尾山自然公園(その後「東京都立高尾陣場自然公園」に改称)に指定し、高尾山の森林はふたたび保護対象となります。
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東京都告示第九百三十六号
 東京都立自然公園条例(昭和二十五年九月東京都条例第六十一号)第四条の規定により昭和二十五年十一月二十三日次のとおり都立自然公園を設定した。なおその区域を表示した図面は、南多摩郡浅川町、恩方村、元八王子村及び横山村役場に備え付けて縦覧に供する。
    昭和二十五年十一月二十五日
       東京都知事 安 井 誠 一 郎
名称 東京都立高尾山自然公園
区域 東京都南多摩郡浅川町、恩方村、元八王子村、横山村の一部

(以上、東京都公報 第六百九十九号 昭和二十五年十一月二十五日土曜日 より。原文縦書き)
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 そして時を経ること1967年(昭和42年)、東京都立高尾陣場自然公園のなかの高尾山から城山にかかるエリアは、明治百年記念事業の一環として、「明治の森高尾国定公園」に指定されました。現在日本全国では58ヵ所が国定公園に指定されていますが、そのなかで一番小さな国定公園です(指定領域は770ha)(*3)。明治の森高尾国定公園が指定されたことで、指定領域は東京都立高尾陣場自然公園から除外されることになりましたが、除外後でも都立公園の指定区域は4,403ha(*3)。国定公園が、指定前の都立公園全体に占める割合は14.9%にすぎません。しかし小さいながらも、薬王院周辺では今でも貴重な自然林が広範囲で残されており、特に価値が高い領域です。

高尾山山頂の立て看板。赤い斜線枠で囲われているのが都立公園。青い斜線枠で囲われているのが明治の森高尾国定公園。

 政府が大々的に挙行した明治百年記念事業について賛否両論があることは理解していますが、結果として高尾の森の保全につながっていることは素直に感謝したいと思います。

 なお蛇足ですが、高尾陣場山塊の主要峰のひとつである陣場山は、「陣山」という表記と「陣山」という表記が混在しています。いずれにせよ当て字ですので、どちらかが絶対的に正しいということはありませんが、東京都の公式文書では「場」の字が使われる一方、神奈川県の公式文書では「馬」の字が使われています。山頂碑の表記も、東京都側は「場」、神奈川県側は「馬」です。

 天皇誕生日の三連休、高尾は混雑しました。三日とも晴天に恵まれましたが、本日日曜日は空気が澄み、雲も晴れたので眺望は一番でした。土曜日は天気が目まぐるしくかわって正午前後には降雪があったのですが、積もるほどではありませんでした。

朝焼けの雲がきれいでした。
早朝の高尾山口駅前を出発。気温は氷点下2℃。ものすごく寒いですが、わかっていたので準備はばっちりです。早朝は極寒でしたが、日がのぼったあとは日差し暖かく、風のない穏やかな天気となり、登山日和となりました。
ご来光!
サンシュユのつぼみは割れて、花が顔をのぞかせていました。
梅の開花は進んでいます。
高尾では、赤い梅は比較的早咲きのものが多い。
夜間は冷え込みました。クサイチゴの葉には霜がびっしり。
ロウバイはピークを過ぎて、散り始め。
あたりには、甘くかぐわしい芳香がただよいます。
彩りに乏しい冬の高尾では貴重な、ヤマテリハノイバラの葉。
ひとつひとつ微妙に色合いが違います。
丹沢大山おおやまの遠景。端正な二等辺三角形のシルエット。
朝日に照らされる東京湾。今日は空の霞が少なく、房総半島までくっきりと見えました。
(小仏)城山に到着。富士山きれいです。
同じく城山山頂から、都心方面の眺望。空気は澄んで、遠景は良好です。
日影乗鞍の向こうには、双耳峰そうじほうである筑波山のシルエット。
一丁平の展望台からも富士山ばっちり。

 夜間の冷え込みで、シモバシラの氷華も豊作でした。ひとつひとつ美しい個性があってすばらしい。

高尾山山頂に到着。引き続き富士山の遠景は良好でした。
同じく高尾山山頂から、丹沢主脈の遠景。丹沢主脈の峰々には積雪が確認できました。

*1
TOPACOGLU HASAN、「戦後日本の記憶研究と歴史学者の記憶意識―明治百年祭(1968)を例に―」、京都大学大学院教育学研究科紀要 第63号、京都大学、2017

*2
梨本柴乃、「明治百年―大衆社会における多様な歴史観とつくられる歴史像―」、アジア地域文化研究No. 18、東京大学、2022. 3

*3
参考資料
東京都 都政 報道発表 2018.08.09(閲覧日:2024年3月10日)
高尾・陣場地区自然公園
明治の森高尾国定公園
都立高尾陣場自然公園
管理運営計画~高尾・陣場ビジョン~

https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2018/08/09/documents/09_03.pdf

 

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