高尾山ノスタルジア No.6:高尾山ケーブルカー開業
高尾山ケーブルカーが開業したのは、昭和2年(1927)。大変興味深いのが、ケーブルカー敷設を推進した中心人物が、当時薬王院有喜寺山主であった27世武藤範秀貫主とされていることです。
高尾山ケーブルカーを運営する高尾登山電鉄株式会社が編集し昭和54年(1979)に発行した社史、「高尾登山電鉄復活30年史」に、以下の記述があります(*1)。
「武藤貫主は大変開明的で新進の気性に富んだ方であったと伝えられている。当時薬王院の信徒は30万人と称せられ、関東各地に散在していた。信徒は、中央線浅川駅(現在の高尾駅)から半里の道程を徒歩で高尾山山麓に至り、さらに1里の山道を登って薬王院に参拝しており、関東北部の信徒や老信徒にとっては大変な苦労であったようである。」
そして、「大正9年3月7日、武藤貫主の『高尾に登山電鉄を敷設し来山する信徒の足の弁を図れば、さらに多くの人々に御仏の教えを広めることができるであろう。又、来山者が多くなれば浅川村も経済的に潤う』との発案で、薬王院の用度部屋の責任者であり前浅川村村長でもあった高城正次氏が中心となって地元有力者と語らいケーブルカー敷設の免許申請がおこなわれた」とのよし。
この頃は京王線はもちろんのこと、かつて甲州街道を走っていたとされる武蔵中央電気鉄道もありません。したがって、最寄りの省線浅川駅、現在のJR高尾駅からは徒歩が基本の手段になってしまうわけですが、信徒の足労の解決策として、高尾駅からの足ではなく、いきなり山にケーブルカーを敷設してしまおうというアイデアには、若干の飛躍があるように感じます。さらに、「発案」が「大正9年3月7日」のことと、超絶ピンポイントの日付で記録されていることを鑑みるに、一連の経緯としては、この日に武藤貫主が朝餉の直後かなにかに突然立ち上がって「高尾山にケーブルカーを作るべし!」と叫んだとかではなく、ここに至るまでに、関係者による、相当程度の期間にわたる様々な検討を踏まえたうえで、ケーブルカーに関してはこの日その実行が決議され示達された(ないしは、単純にこの日に免許申請が行われたことを述べたものか)ということなのでしょう。とにもかくにも重要なのは、その発起人として薬王院山主が言及されていること、そして、その背景には、信徒の便宜はもちろん地元経済への貢献が期待されていたこと、そしてそれゆえに「当時の浅川村は(…)大半は山林で、耕地は少なく産業も農業の傍ら養蚕が行われていた」にすぎない「寒村であったが、株式の公募がされるや地元においてその殆どが応募されたのをみてもケーブルカーの建設に寄せる地元の期待がいかに大きかったかが推察できるのである(*1)」とある点です。すなわち、大資本による観光開発ではなく、あくまでも地元の人々が自身の願いを、自らの手で実現したものなのです。
多くの人が、高尾山ケーブルカーは京王電鉄が作ったものと思っていますが、違います。現在、高尾山電鉄株式会社は確かに京王電鉄の子会社ですが、そうなったのは地元の大株主が京王電鉄にその持分を譲渡した2017年のこと(*3)。つい最近のことです。
村の悲願が成就した高尾山ケーブルカー。その船出は華々しく、「開通初年度は物珍しさと、多摩御陵の一般参拝が許されたことによって予想以上の好況を呈し(*1)」ます。京王電鉄株式会社発行の沿線情報誌「あいぼりー」2003年12月9日発行特別号にも、高尾登山電鉄株式会社元常務の久保田謙一さんによる、「全国で5番目のケーブルカーとして誕生した高尾山のケーブルカーは、戦前もすごく人気がありました(*2)」との証言があります。
その後、金融恐慌による不況のあおりを受けて苦しい経営状況が続きますが、昭和13年の国家総動員法の公布とともに日本は戦時色が強まり、「高尾山への来山客も当時の社会情勢を反映して戦勝祈願・武運長久を祈る人々、あるいは体育錬成に訪れる人々が登山し、営業成績は飛躍的に向上(*1)」するものの、その後太平洋戦争の戦局悪化に伴い、統制の網は広げられ、高尾山ケーブルカーも不要設備とみなされ、「昭和19年1月9日に開かれた臨時株主総会において(…)昭和19年2月11日より営業を休止することが決議(*1)」されます。
その直後施設は売却撤去され、高尾山ケーブルカーは一旦その歴史の幕を閉じることになります。
(*1)
「高尾登山電鉄復活30年史」、高尾登山電鉄株式会社総務部編、1979.10、P.15 - 16
(*2)
「あいぼりー特別号 『京王線・井の頭線 むかし物語』総集編」、京王電鉄株式会社広報部、2003年12月9日発行、P.33
(*3)
参考資料
(注1)
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参考資料:文化庁 著作物等の保護期間の延長に関するQ&A