他人への生の強要は生き物の使命なのか

2020/04/19 メモ 思ったことの羅列です。

安楽死を選んだベルギーのパラリンピック出場経験のある陸上選手。その選手が安楽死を選んだという旨のニュースがアップされた動画、そのコメント欄。日本にも苦しんでいる人を助けるための安楽死制度の導入を求める声。タダの健康な死にたい奴が死ぬ制度じゃねぇwwwww病んでるやつらは勘違いするなwwwwという声。死ぬことすら勇気が求められて、それができない奴は結局自分病んでますアピールのただの痛いやつ呼ばわりされる世の中とかマジで地獄だな。そこにまで干渉してくるのかよ。やっぱり、生の強要は生き物の使命なのか。

感受性が傷痕並に敏感な若者なので、スクラブなんていう刺激物はもってのほか、乳液すらも少しヒリヒリします。

何でもネタになるとおもえば、結論って何でも良くなってきた。知らない人とのセックスだってネタになるんだぜ?最高じゃん

お持ち帰りするってなんか、女性の意思入ってないけど、あれって、了解あってついていったところで、お持ち帰り「された」っていう言い方になるの??あえて、自分から誘ったとしても、男の性欲処理に利用されたバカな女になるの??男が女の性欲処理に使われたという構図は存在しえないものなのか。

わたしは自分勝手の自己中やろうなので、自分に関係することしか書けないのでは?ひとまず、どっかのwebメディアに応募してみようと。かがみよかがみに挑戦してみたいけど、私、何もアドバンテージにできてないんだよね、コンプレックスを。というか、そもそもコンプレックスと認めてないだけなのかも。

ゴールフリー高等学院の広告。目指すは「不登校からの大学進学」。ほんとかどうかわからない合格体験記。どん底のシチュエーションから素敵な先生と仲間に出会えて合格まで必死にもがきました、これかも夢に向かってがんばっていきます。合格体験記には定形パターンでも存在するのかな。学校に行きたくない子はこの電車にはもうのっていないんじゃないか。不登校の私でもできるというよりも、不登校は大学進学の対局にあるものという認識がされるのか、という絶望感が私には舞い降りてきそうな気がする

毎日更新めちゃくちゃ意気込んでやってきたというよりも、後に今更引けなくなった、習慣化したみたいな感じなんだけど、でもなんだかんだ、日にちまたいでの更新になっちゃったりして(まだ寝る前はその日だから私の中では)、noteの運営がカウントしてくれてる連続投稿日数で見れば、とぎれとぎれで全然4カ月毎日更新したことにはなっていないんだけど、でも私の中ではあくまでずっと毎日投稿しているつもりだし、逆に途中で日跨いだりしたからこそ、ゆるく毎日更新できてるのかも。いったんレールから外れるとなんだかんだゆるくがんばれるみたいなやつ。切迫したしんどさとかなくなってさみたいなやつ、noteの毎日投稿からわざわざこんなとこまで思うのがたいそうで間違ってる???(笑)


私なんぞにご支援いただける方がこの地球上におりましたら、もう控えめに言ってあげみざわエクスプローションします。