時を越えて・・・ 彼女の人生の中で最も輝いた瞬間が " 真空パック " のように封じ込められていた [映画『青春18×2 君へと続く道』考察記事] 大幅加筆ver.
[※アジア動員数270万人突破 &『ニューヨーク・アジアン映画祭』出品記念 期間限定・完全公開記事 ]
(2024年6月14日・" 7千文字 " 大幅加筆ver.)
○プロローグ
2024年6月現在、シュー・グァンハン (許光漢) 氏と清原果耶氏がW主演を務める、藤井道人監督作品の映画『青春18×2 君へと続く道(2024年)』がアジアを席巻している。アジア圏では3月の台湾公開を皮切りに、香港・マカオ・シンガポール・マレーシア・ブルネイ・ベトナム・カンボジア・日本・中国・韓国と展開され、累計動員数270万人突破した (2024年6月7日時点)。
今作は一見すると、ありきたりで典型的な青春映画のストーリー展開にも感じられるが、郷愁と旅心を誘うような台湾と日本の風景の映像美と、両国の文化に対するリスペクト、そしてグァンハン氏や清原氏を筆頭とした、俳優陣の秀逸な演技が観客を惹きつけているようだ。
また、主人公ジミーのセリフの『まるで、「Love Letter」の世界だ』にも代表される、岩井俊二監督作品の映画『Love Letter (1995年) 』へのオマージュが、同作品の大ヒットとなった台湾や韓国の人々の心を掴んだことは間違いなかろう。
筆者は清原氏が主演を務めた、ドラマ10・『透明なゆりかご (2018年・G-NHK) 』や連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年・G-NHK)』などで、彼女の俳優としての才能と実力の高さを知り、それもあって今作は非常に期待していた。そして・・・ 期待以上の感動を筆者に与えてくれたわけだ。
さて今作は一見するとありきたりで、典型的な青春映画のストーリー展開とは言ったものの、その構造を詳細に分析すると示唆に富む内容でもある。とりわけ、映画『Love Letter』のエッセンスをふんだんに取り入れたオマージュが、ストーリー展開の随所にみられるところが非常に興味深い。
今回の記事は映画『Love Letter』が、『青春18×2 君へと続く道』に与えた影響についての考察と、その感想を書きたいと考えている。また今作の主人公はジミーであるのだが、ストーリー展開の特性上、彼は受動的な立ち位置の役柄でもある。むしろストーリーを牽引していくのは、ヒロインのアミの方だろう。したがって、今回の記事は " アミ視点 " の考察となっていることをご了承頂きたい。
またネタバレありきの記事のため、それを嫌う方々は、今作の鑑賞後に読んで頂けると幸いだ。
○『青春18×2 君へと続く道』の導入部のストーリー概要
この章は、『青春18×2 君へと続く道』の導入部のストーリー概要のため、既に鑑賞済みの方々は読み飛ばして頂きたい。
主人公のジミー (演・シュー・グァンハン氏) は、大学生時代に仲間と立ち上げたゲーム制作会社で成功し、今や代表を務めていた。しかし、彼のワンマンな手法が社内の反発を生み、役員会でジミーの代表解任動議が可決されてしまう。
自身の作った会社の代表の座を追われ、何もかも失ったジミーは台湾南部の実家へと帰ってくる。忙しさにかまけて、帰っていなかった実家の自分の部屋に踏み入れると、18年前の高校時代の部屋のまま。そして部屋の片隅に置いてあった缶を手に取り、おもむろに開けると・・・ 中から出てきたのは、映画『Love Letter』のチケットと日本の雪景色が描かれた絵葉書。
その絵葉書には香水が振りかけられており、その香りを嗅いだジミーの脳裏には・・・ 18年前の眩しくそして切ない、日本人バックパッカー・アミ(演・清原果耶氏) との " ひと夏の思い出 " が走馬灯のように蘇ってきた。
程なくして、ジミーの元に電話がかかってくる・・・ 自分を代表から解任したゲーム制作会社の盟友・アーロン (演・フィガロ・ツェン氏) からだった。彼は「今度の日本の出張に、日本語の堪能なジミーに帯同してほしい」という依頼をしてくる。ジミーは『これで最後にしてくれ』と言いつつ、" ある決意 " を抱いて日本へ向かった・・・。
さて、これが『青春18×2 君へと続く道』の導入部のストーリー概要だ。この部分だけでも、映画『Love Letter』のオマージュがふんだんに散りばめられている。次の章では、映画『Love Letter』の導入部のストーリー概要について触れたいと思う。
○映画『Love Letter』の導入部のストーリー概要
この章も、映画『Love Letter』の導入部のストーリー概要のため、既に鑑賞済みの方々は読み飛ばして頂きたい。
神戸在住の渡辺博子(演・中山美穂氏)は、山岳事故で婚約者の藤井樹を亡くしていた。その三回忌で樹の実家に立ち寄った博子は、彼の中学時代の卒業アルバムを目にする。
樹は中学時代は、北海道の小樽に住んでいた。樹の母・安代 (演・加賀まりこ氏) の話では区画整理があり、小樽に住んでいた当時の住居は残ってはなく、今は道路になっているそうだ。博子は隙を見て、樹の小樽時代の " 今は存在しない住所 " を書き取って帰る。
帰宅後に博子は、『お元気ですか? 私は元気です』と書いた手紙を " 今は存在しない住所 " へと出した・・・ それは " 天国の樹 " に宛てた手紙だった。
しかし・・・ なんと " 今は存在しない住所 " から、しかも " 藤井樹 " 名義で、『私も元気です。でもちょっと風邪気味です』という返事が、返って来てしまう。
さて、映画『Love Letter』を鑑賞済みの方ならご存じだろうが、この不思議な展開は " 偶然性の連鎖 " が生んだ結果だった。まず、藤井樹の小樽の中学時代には、同じクラスに同姓同名の藤井樹 (演・中山美穂氏 [二役] ) という女の子がいた (以降、博子の婚約者を樹 [男子] 、小樽時代のクラスメイトを樹 [女子] と表記する)。
そして博子が書き取った、小樽時代の卒業アルバムの「藤井樹」の住所は、今でも存在するクラスメイトの " 樹 [女子] " のものであり、彼女はそこに手紙を送ってしまっていた。また " 樹 [女子] " の方は、身に覚えのない人物からの手紙に戸惑いながらも、「もしかすると昔の知り合いかもしれない」という思いと " いたずら心 " も相まって、返事を返してしまったというわけだ。
このような " 偶然性の連鎖 " が、博子と " 樹 [男子] のなりすまし人物 " との文通が繰り返されることへと繋がっていく。
○ " 偶然性の連鎖 " が、物語をダイナミックに動かしていく
それで『青春18×2 君へと続く道』の方も、映画『Love Letter』と同様に " 偶然性の連鎖 " が、物語をダイナミックに動かす原動力になっている。
まず、18年前の高校生ジミーは、日本の漫画『SLAM DUNK』の影響で、バスケットボールに没頭していたものの、膝のケガでその道を断たれていた。それ以降の高校生ジミーは、没頭できるものがなかなか見つからずに輝きを失っていた。そんな退屈な日々の中で、4歳年上の日本人バックパッカー・アミが偶然登場し、彼の生活に輝きと潤いを与えてくれた。
そして、高校生ジミーの " 断たれたバスケットボールへの思い " を察知したアミは、それでも「夢を持つことの大切さ」を語る。
高校生ジミーの中で、日増しにアミの存在が大きくなっていったが、突然彼女は帰国すると言い出して・・・ 高校生ジミーの " 淡い恋心 " を、彼女に伝えることは出来なかった。しかしアミは『夢を叶えたらまた会おう』と約束し、高校生ジミーの前からを去っていった。
その後、大学のキャンパス内で同じゲームをやっていたアーロンと偶然遭遇し意気投合。そのまま二人でゲーム制作に取り組む。この時にジミーは、アミとの約束を果たせる " ようやく没頭できる夢 " が見つかった。そして大学在学中に創業したのが、現在のジミーが代表の座を追われた会社だった。
ここまでのストーリー展開だけでも、アミやアーロンなどの " 人との偶然の出会いとその連鎖 " が、これまでのジミーの人生を導いた原動力になっていることが分る。
それから数年が経ち、順調にゲーム制作会社は成長したが、ある時ジミーは " アミの死 " を偶然にも知ってしまう。
アミの存在が、ジミーを突き動かす原動力であり、" 心の唯一の支え " だったが、その存在の喪失によって暴走。彼のワンマンな手法が顕著となり、代表解任へと繋がっていく。
仕事に忙殺された日々のジミーだったが、代表解任によって時間に余裕が出来たことで久々に実家へと帰郷し、駆け抜けてきた18年間を振り返る。それと同時に・・・ 18年間に渡って封印し避けてきた「アミの死と彼女への思い」に対して、真摯に向き合うことを決意する。
さてジミーが " アミの死 " を知らなければ、ワンマンな手法に依存することもなく、代表を解任されることもなかった。また代表解任が無ければ、ジミーが実家へと帰郷することもなく、封印し避けてきたと「アミの死と彼女への思い」に向き合うこともなかったわけだ。この " 偶然性の連鎖 " も、物語をダイナミックに動かしていくことになる。
さらに言えば、代表を解任後も日本出張への帯同を依頼されるのは、「18年前のアミとの日々」によって日本語が堪能になっていたからだ。そして、日本出張への帯同が無ければ・・・ ジミーは来日して日本国内を旅しつつ、アミの故郷へと向かうこともなかったのだろう。
この作品で、特に現代ジミーの行動は " 彼の能動性 " がほとんど無く、全ては受動的な流れの中で身を任せていく。特に日本国内の旅では、旅先で出会う人々が「アミの故郷へと足が向くように」と、ジミーの背中を押していくわけだ。
このようなストーリー展開においても " 偶然性の連鎖 " が機能しており、映画『Love Letter』をオマージュしていると言っていいだろう。
○なぜ、彼女は旅をするのだろうか? なぜ、旅先に台湾を選んだのだろうか?
なぜ、アミは旅をするのだろうか? なぜ、旅先に台湾を選んだのだろうか?
それを紐解くためには、アミの人物像を把握する必要がある。公式パンフレットにおける「アミの人物像の設定」を書き記しておきたい。
ということは、アミは10歳の時に発症した「肥大型心筋症」によって、学校行事は元より、旅も恋愛も・・・ ずっと " あきらめの日々 " だったことが分る。そして2005年の " 大きな発作 " を経て、
[ もう一度、大きな発作に見舞われれば・・・ 次は助からないかもしれない。それは・・・ 遠くない未来だ ]
[ これまでは " あきらめの日々 " を過ごしてきたが・・・ 私の人生の全てを「あきらめの人生」にはしたくない ]
と思ったのではなかろうか。だからこそ、「これまでは " あきらめていた旅 " にも挑戦してみよう」と親の反対を押し切って、旅を始めた。したがって、アミが旅の目的を聞かれた際に、このように答えたのではなかろうか。
ではなぜアミは、旅先に台湾を選んだのだろうか? 公式パンフレットにおける「アミの人物像の設定 」では、このようなことも書かれている。
ということは映画の影響によって、アジア圏の旅に憧れを持っていたことが分る。しかし、なぜ台湾を旅先に選んだのか? 映画『Love Letter』を鑑賞した後のアミのセリフが、ヒントになっていると考えられる。
やはりこの部分にも、映画『Love Letter』の影響を感じさせる。この映画『Love Letter』の中では、実は「雪というものが " 死のメタファー " 」として描かれているのだ。
まず、『青春18×2 君へと続く道』でも引用され、有名なオープニングカットでもある、渡辺博子が雪原で横たわるシーン。
これは山岳事故で亡くした、博子の婚約者・藤井樹 [男子] の三回忌での " 雪降る神戸 " のシーンだ。また『青春18×2 君へと続く道』で、ジミーが雪原で叫ぶ『お元気ですか』は、映画『Love Letter』のオマージュであることは、言うまでもないだろう。
これは、婚約者・樹 [男子] の眠っている雪山に、『お元気ですか。私も元気です』と博子が絶叫するシーンのオマージュだ。
一方、小樽の藤井樹 [女子] は、中学時代に父親を亡くしている。その父親の死の原因は、風邪を拗らせ肺炎となって救急搬送しようとした際、大雪のために救急車が出動できなかったことに起因する。
また、大人になった樹 [女子] 自身も風邪を拗らせいくのだが、病状の進行に伴って雪の降り方が強まっていく。
そして、挙句の果てには父親と同様に、大人になった樹 [女子] 自身も大雪の日に病状が急変して、やはり救急車の出動が出来ずに死の淵をさまようのだ。
このように映画『Love Letter』の中では、
[ 雪は美しいものの・・・ はかなさを含んだ " 死のメタファー " ]
として描かれているわけなのだ。このような映画を、『青春18×2 君へと続く道』では、" 死の影 " が常に付きまとっているアミに、残酷にも突き付ける。だからこそ、彼女はこのように語ったのではなかろうか。
[ 雪というものは、私を育てた景色でもあるが、同時に " 死を意識させる景色 " でもあり・・・ とうとう故郷にいるのが辛くなってしまった。今は死を意識させない場所・・・ " 雪が降らない台湾 " という土地で、「生きる」ということを謳歌したい ]
このような思いが、アミに台湾を旅先に選ばせた理由なのだろう。
一方、ジミーも映画『Love Letter』には感動していたが・・・ " 雪の降らない台湾 " で育った彼にとっての雪景色は、単に「これまでに体験したことのない " 美しい映像 " 」として映っていただけではなかろうか。このアミとジミーの " 雪景色に対する認識のギャップ " が・・・ 切ない。
○映画『Love Letter』を鑑賞した時、彼女はどのような感慨を抱いたのだろうか?
さて、 " 死のメタファー " を含有した映画『Love Letter』をアミが目にした時・・・ 彼女はどのような感慨を抱いたのだろうか。その一つとしては、
[ 私が台湾を旅する理由は・・・ 実は " 死を意識させる景色 " から逃げてきただけなんじゃないの? ]
ということを「映像として突き付けられた」という感覚だったのではなかろうか。このことがアミの " 日本へ帰国の決断 " を促す一つの要因になっている。そしてもう一つは、映画『Love Letter』に含まれるテーマとメッセージ性が、アミに対して " 大きな感動と感銘を与えた " ということが考えられるのだ。
映画『Love Letter』では、中学時代の藤井樹 [女子] には、同姓同名の藤井樹 [男子] (演・柏原崇氏) がクラスメイトにいたところが、やはりポイントだろう。
この " 樹 [男子] " は、中学校の図書室の " 誰も借りない書籍 " ばかりをわざと借りて、図書カードに「藤井樹」と書きまくる遊びをしていた。
「藤井樹」とだけ書かれた図書カードを、自慢げに見せる " 樹 [男子] " に対して、『バカじゃない?!』と呆れる " 樹 [女子] " 。
しかし時を経て、" 大人になった樹 [女子] " が " 樹 [男子] " の婚約者・博子と文通する中で、実は「藤井樹 [女子] 」の名前を図書カードに書きまくっていたこと・・・ 要するに " 樹 [男子] " が、自分に対して恋心を抱いていたことに気づいていく。それとシンクロするように、記憶の彼方に潜在的に眠っていた " 樹 [女子] " 自身の " 樹 [男子] " に対する恋心も、徐々に蘇っていくのだ。
" 大人になった樹 [女子] " が、「潜在的な初恋の記憶」を自覚した時・・・ 彼女の在籍した中学校の現役女子学生たちが、突然に自宅を訪ねて来る。そして " 大人になった樹 [女子] " に、中学校の図書室所蔵のマルセル・プルースト著・『失われた時を求めて』の「第7篇・見出された時」を手渡すのだ。
そして、女子中学生たちに「図書カードを見るように」と、" 大人になった樹 [女子] " が促されて見てみると・・・
空白の図書カードには、「藤井樹」とだけ書かれていた。さらに、女子中学生たちは「図書カードの裏側を見て」と言う。" 大人になった樹 [女子] " が見てみると・・・
" 樹 [男子] " が描いた、中学時代の " 樹 [女子] の肖像画 " が残されていた。
[ たとえ肉体が消えても・・・ 彼の初恋が " 真空パック " されたように輝きを解き放ち、時間も空間も越えて・・・ ようやく彼女に届いた ]
さて『青春18×2 君へと続く道』の中で、美術大学で絵画を学ぶアミが「旅をする理由」を問われて、このように答えたことが印象的だ。
このような思いを抱いたアミが、劇中で映画『Love Letter』を目にした時に、彼女はどのような感慨を抱いたのだろうか? 筆者はこのように想像する。
[ 絵というものは、一瞬の輝きでも・・・ " 真空パック " のように、永遠に封じ込めることが出来るんだ ]
[ たとえ肉体が朽ち果てたとしても・・・ 絵というものは " その思い " を、時間も空間をも越えて、届けることが出来るんだ ]
といった " 絵描としての大きな感動と感銘 " を、アミに与えたのではなかろうか。したがって、映画『Love Letter』鑑賞後の彼女の号泣は、そのことに対する感慨も影響しているのだろう (ちなみにジミーに泣き顔を見られて、『何見てんだよ』と照れるアミも非常にキュートだった)。そしてアミが、『カラオケ神戸』の壁画の完成にこだわったのも、
[ 台湾で出会ったモノの感動や出会った人々への感謝を、絵という形で届けたい・・・ 遺したい ]
という思いが強かったからではなかろうか。
○彼女は彼の" どの部分 " に惹かれていったのだろうか?
さて、アミは台南を旅する途中で、偶然にもジミーと出会った。4歳年下だがルックスの良いジミーに、アミが興味を持つのは当然の成り行きだろう。しかしその一方で、" 人間的な輝き " を感じられなかったことも窺わせる。例えばアミの歓迎会が開かれた後、二人だけで展望台へと夜景を見に行った際のセリフが、象徴的だろうか。
このセリフを短絡的に捉えれば、アミがジミーの恋愛事情を探っているようにも感じられる。しかし筆者には、
[ 魅力はあるのに・・・ ジミーから "人間的な輝き" を感じられないのは、なぜなんだろう? ]
といった " 素朴な疑問 " から出たセリフのようにも感じられる。だからこそ続けてアミは、ジミーに対して「夢の質問」をしたのだろう。
この時にアミは、ようやくジミーが幼い頃から没頭していた " バスケットボールの道 " を、膝のケガによって断たれてしまったことを知る。
[ ジミーにも、大切なものを " あきらめざるを得なかった人生 " があったんだ・・・ ]
アミの人生も病気によって " あきらめの日々 " が続いていたわけだ。ジミーの挫折を知った瞬間に、アミは彼に対して圧倒的なシンパシーを抱いた。そしてジミーに対して、 " 人生の同志 " のような感覚が芽生えると同時に、アミはジミーへと急速に惹かれていったのではなかろうか。
○なぜ彼女は突然に、日本に帰国することを決断したのだろうか?
二人で映画『Love Letter』を鑑賞した直後に、「旅を止めて日本へと帰国する」と突然言い出すアミ。ジミーは驚いて、帰国の理由をアミに問い詰めるが、明確な答えは返って来ない。アミは自身の " 病気のこと " は伏せたままだったため・・・ ジミーには " 彼女の意図 " が理解できなかった。
さて彼女の突然に帰国を決めた理由を、18年後にようやく面会したアミの母・裕子(演・黒木瞳氏) から聞かされるジミー。
アミの母・裕子曰く、「アミは台湾に来る前は " 治療すること・延命すること " さえあきらめていたが、ジミーに出会ったことで " 他の手段や治療法 " をもう一度、日本で探したいと言っていた」ということだったのだ。
しかし筆者は、アミの帰国の理由には " 彼女の次のような思い " もあったのではないかと考えている。まず一つ目は、映画『Love Letter』の " 雪と死のメタファー " というテーマを目にした時に、
[ 私は・・・ 病気というものと向き合わず、死の影から " 逃げたい " がために台湾へ来たのではないのか? ]
という感慨がアミの中に芽生えた。そして、ジミーという存在に出会ったことで、「死というものに真摯に向き合うことが、" 生を謳歌することの本質 " なのではないか?」という感情が沸き起こって来たように思われる。
そして二つ目は、 " バスケットボールの道 " を断たれ、夢を持てないジミーに、アミがこのように語りかけていることが象徴的だ。
[ もう一度、大きな発作に見舞われれば・・・ 次は助からないだろう。それは遠くない未来だ。だからこそ、" 夢を叶えられない私 " の代わりに・・・ ジミーには、夢を見つけてもらいたい ]
[ 私の夢もひっくるめて・・・ ジミーの夢の実現を " 私の人生の夢 " にもしたい ]
アミは自分の夢を、ジミーの夢の実現に重ねて託そうとした。もし帰国の理由として、高校生のジミーに " 病気と死の影の恐怖 " を告白したならば・・・ 若い彼は混乱して、「自分の夢を探す」という精神状態ではなくなってしまうだろう。だからこそ、アミは病気のことをジミーには話さず、
[ 病状が悪化する前に・・・ 病気のことをジミーに悟られないうちに帰国したい ]
といった急遽の決断だったのではなかろうか。また、ジミーが歩んできたこの18年間は、「アミに導かれて夢を持ち、実現させて・・・ わき目も振らず突っ走ってきた " 道 " 」というものでもあったのだろう。今作のサブタイトルが、『君へと続く道』となっていることも頷けるわけだ。
そして三つ目は、映画『Love Letter』の最も大きなテーマであった、「人の思いは、時間も空間も越えて届けることが出来る」ということに、アミが大いに感銘したことだろう。
[ 映画『Love Letter』でもあったように・・・ 絵というものは " その思い " を、時間も空間も越えて届けることが出来る ]
[ 私は絵描だ。肉体が朽ち果て、たとえこの世から消え去ったとしても・・・ " 私の思い" を絵として遺すことで、時間も空間も越え、いつでもジミーの元へと届けることが出来る ]
このような思いが、アミに日本へと帰国させる決断を促したのではなかろうか。
○ " 彼女の夢 " とは、結局のところ・・・ " どのようなもの " だったのだろうか? (※2024年6月14日加筆)
さて、二人が映画『Love Letter』を鑑賞する直前に、映画館内に掲示された「天燈上げ」のポスターをアミが見つけて、このように語っている
台湾に来てからのアミは、" 夢 (願い) " を叶えることに懸命になっているようにも感じられる。例えば冒頭のシーンでは、台湾首廟天壇で「ポエ(願掛け)」に懸命になっていたことでも分る。
では、その時の彼女の " 夢 " とは何だったのだろうか? やはり、このセリフが物語っていることになるのだろう。
[ これまでの私は、病気のせいで故郷・只見町から出たこともほとんど無く・・・ " 狭い世界 " しか体験できなかった ]
[ もう一度、大きな発作に見舞われれば・・・ 次は助からないかもしれない。" 広い世界 " を知らずに人生を終わるなんて、とても耐えられない。生きている限り・・・ 世界中を見て回って " 広い世界 " を体感したい・・・ それが " 私の今の夢 " だ ]
それで、このアミの夢の達成へ懸命さは、このセリフからも窺い知ることが出来る。
さて、このアミの語った『全部置いてきちゃったけど』という言葉の意味合いを、皆さんはどのように捉えましたか? 筆者は初見で、「もし彼女に " 故郷へと帰る意志 " があるのならば、果たして『全部置いてきた』という表現で語るのだろうか? 」と訝しげに感じられた。要するに、
[ この旅行によって、故郷・只見町には・・・ もう生きて帰れないかもしれない ]
といった " 死の覚悟 " を語っているようにも感じられるのだ。そうなのだ!! この台湾旅行はアミにとっての長年の夢であり、また「たとえ命を賭したとしても・・・ どうしても叶えたかった夢」だったのではなかろうか。そして当初にアミが、「天燈上げ」でしたかった願掛けの内容は、
[ 命が尽きるまで・・・ 台湾を旅したい ]
ということだったと筆者は解釈している。その命を賭した台湾旅行を・・・ 映画を鑑賞した直後に、「旅を中止して日本へと帰国する」とアミは言い出す。これは彼女の中で、相当な心境の変化があったことを意味するわけだ。
このアミの心境の変化は、前述の通り映画『Love Letter』のテーマとメッセージ性が、彼女に対して " 大きな感動と感銘を与えた " ということが、一つの要因であることは言うまでもない。そして、やはりジミーに出会ったことで " アミの夢 " に変化が発生したことも、その要因の一つに挙げられるのだろう。このことは、ジミーが18年後にようやく面会を果たした、アミの母・裕子のセリフからも窺い知れる。
台湾に来る前のアミは、治療すること・延命することことよりも " 自分のやりたいことを最優先し、精一杯やって・・・ 人生を謳歌すること " に、その重点が置かれていた。しかし、ジミーに出会ったことで「他の手段や治療法を探したい」と大きく心変わりをした。なぜか?
もちろん、「なるべく長く生きて・・・ ジミーとの時間を過ごしたい」と、アミが考えたこともあるのだろうが・・・ 筆者には、 " もう一つの理由 " が存在すると考えている。そのヒントとなるのは、やはり公式パンフレットにおける「アミの人物像の設定」だ。
この過去の恋愛で、「恋人から再び友人へと戻りたい」とアミが申し出たのは、どのような理由だったのか。このような経緯が考えられる。
この時の交際では、アミが " 病気と身体の状態 " を交際相手に正直に説明して、「運動さえ出来ない私なので・・・ 」と " プラトニックな関係性 " の恋愛を求めたことは想像に難くない。交際の当初は、交際相手も理解を示して寛容だったのだろうが、次第に " 同情と哀れみ " だけが先行するようになり・・・ 。そしてアミ自身も交際相手に " 我慢を強いていること " を、日増しに感じていくわけだ。
[ 彼から同情と哀れみの目で見られ、また彼に我慢を強いることで、私自身も無力感と不甲斐なさを感じながら交際するのが・・・ 「本当の恋愛」なのだろうか? ]
この過去の交際によって、「恋愛にはお互いの尊厳が必要だ」という恋愛観が、アミの中で構築されていった。このことが、一旦は恋人関係に発展したものの、再びアミが「友人に戻りたい」と申し出た大きな理由だったのではなかろうか。
[ 病気のせいで、運動さえも出来ない私が・・・ たとえ好きな人が出来たとしても " 心も身体も一つ " にはなれない。それでは・・・ 「本当の恋愛」は出来ない ]
この恋愛観がアミの脳裏をよぎって足を引っ張ることで、ジミーとの恋愛も今一歩踏み込めなかった原因だったのではなかろうか。
しかし、ジミーに惹かれれば惹かれるほどに、
[ ジミーと恋愛するのなら・・・ " 心も身体も一つ " になるような「本当の恋愛」がしたい。そのためには病気を克服しなければダメだ ]
[ 治療方法はもう無いと言われているが・・・ ジミーのためにも、病気を克服したい。これが " 私の新しい夢 " だ ]
とアミの心境の変化とシンクロするように、" 彼女自身の夢 " も大きく変化していった。だからこそ・・・ アミは日本への帰国と治療方法を探すことを決意したのではなかろうか。
もちろん、このまま台湾に残ってジミーとの " プラトニックな関係性 " の恋愛も選択は可能だ。そうなれば、アミが自身の " 病気と身体の状態 " を説明しなければならなくなる。もし全く事情を説明せずに、" プラトニックな関係性 " の恋愛を求めることは・・・ 彼は納得はしないだろう。
また、「お互いに好き同士なのだから、全ての事情を包み隠さず話して、付き合えばいいのに。それを頑なに選択しない " アミの行動 " が解せない」といったレビューも見受けられたが・・・。
全ての事情を包み隠さず説明して、一旦はジミーが " プラトニックな関係性 " に納得したとしても・・・ やはり18歳の男子高校生だ。彼に相当な我慢を強いることにもなる。それが、果たして「アミが望んでいる恋愛」なのだろうか?
高校生ジミーにとっての、アミという存在は " 4歳年上の憧れのお姉さん " というものだろう。しかしアミの " 病気と身体の状態 " をジミーに説明すれば、" 憧れのお姉さん " から " 同情と哀れみ " へと、一気に彼の視点が変化することは間違いない。
[ お互いに同情も哀れみもなく・・・ 対等の立場で付き合いたい。それが「本当の恋愛」なのではないのだろうか? ]
アミは「恋愛というものは、お互いへの尊厳が最も重要だ」と考えていた。だからこそまずは治療を優先して、日本へと帰国するという決断を下したのだろう。
さてアミが帰国を決めた後、ジミーは彼女を台北の「天燈上げ」へと連れ出す。その際にアミはジミーに、このように語りかける。
[ 頑張って、頑張って・・・ それで、もし " 私の新たな夢 " が叶ったならば・・・ " ジミーと心も身体も一つ " になるような「本当の恋愛」が出来る。その時が来たら・・・ 会いに来てほしい ]
筆者はこのセリフの中には、このような " アミの願望 " も込められていたのではないかと考えている。
しかしアミの " 新しい夢の達成への道 " はとてつもなく険しく、そして高い壁が待ち受けていることも、彼女は重々知っていた。むしろ「 " 夢 " は、やはり夢で終わる」という可能性の方が高かっただろう。アミは・・・ " そのこと " も覚悟した上での帰国の決断だった。現代ジミーが、日本での旅行中に出会う由紀子(演・黒木華氏) が、" そのこと " を無情にも突き付けるところが・・・ 切なすぎる。
" アミの新しい夢 " は夢で終わり・・・ 結局、夢を叶えられたのは、ジミーだけだったわけだ。では、アミの夢が全て潰えてしまったかと言うと、そうではない。彼女が病床で、自身の新しい夢の達成が難しいと悟り、また死を覚悟した時に、
[ 私は・・・ もう夢を叶えられない。私の代わりに・・・ ジミーには夢を叶えてもらいたい ]
[ 私の夢もひっくるめて・・・ ジミーの夢の実現を " 私の人生の夢 " にもしたい ]
[ 私に " 人生の夢 " を与えてくれたジミーに、" 感謝の思い " を伝えたい・・・ 遺したい ]
とジミーへの思いを、絵として遺すことを " 最後の夢 " にして・・・ 病床でアミは「絵紀行」の完成に向けて、 " 最後の力 " を振り絞ったのではなかろうか。
○たとえ " 疑似的 " であったとしても・・・ 彼女に " 新しい夢 " を叶えてほしい (※2024年6月14日加筆)
日本へと帰国を決断したアミだったが、その理由を明確に説明しないことにジミーはふて腐れる。そのこともあって、ジミーとアミの関係性はぎこちなくなっていった。
彼の変化に気づいたジミーの父親は、「膝のケガでバスケットボールをあきらめてから、お前は輝きを失っていた。しかし最近出会った友達によって、お前が " 昔のような輝き " を取り戻したように感じる。そういう人との出会いは、人生の中でそうあるもんじゃない。そういう出会いは大切にするべきだ」と諭す。
父親によってジミーは、 " アミから大切なものを貰った " ということに気づき、「アミが台湾にいるうちに・・・ 一つでも願望を叶えてあげたい」という思いが高まっていく。すると、この光景がジミーの脳裏に蘇ってきた。
居ても立っても居られなくなったジミーは、アミの部屋へと向かい・・・ 彼女を台北の「天燈上げ」へと連れ出す。
さて、この「天燈上げ」にアミを連れて行くことは、ジミーが彼女の願望を叶えることになるのだが、このことによって実は・・・ 副次的に「アミの新たな夢 」を " 疑似的に叶えること " にも繋がっていく展開が、筆者が最もグッとくるところだ。
まず台北に向かう車中でジミーは、携帯音楽プレーヤーとイヤホンを取り出して、『ミスチル聴く? 』とアミに問いかける。アミも聴きたいと応じると、ジミーはなぜか " イヤホンのLRの両方 " を彼女に渡してしまうのだ。筆者は初見では、ジミーの行動がかなり不自然に感じた。
このような場合だと、「 二人で音楽を聴く」ということを意味するわけだから、通常であればアミに " イヤホンの片方を渡す " のが自然な所作だ。しかし、" イヤホンのLRの両方を渡す " という所作となると・・・ 何らかの " 狙った意図 " が、この演出に込められているはずだろう。この藤井道人監督の狙いと意図は何なのか? 皆さんは、この演出にどのような狙いと意図があったと想像しますか?
筆者は、" イヤホンのLRの両方 " をジミーから渡された、その直後のアミの行動が " 彼女の二つの思い " を表現していると解釈している。
まずジミーから " イヤホンのLRの両方 " を渡されたアミは、その絡み合ったコードを解いてから、片方のイヤホンをジミーに渡す。お互いがイヤホンを耳に入れることで、コードは2方向へと " Y字に分岐 " するため、
[ ジミー、あなたがどんなに引き止めても、 " 新たな夢 " を叶えるために・・・ 私は日本へと帰ります ]
といった、" 毅然としたアミの意思表示のメタファー " になっていると考えられるのだ。だからこそ、この後にジミーが中国語で『帰らないで』と引き止めても・・・ 「聞こえないフリ」をしたのだろう。
そしてもう一つは、アミの方からジミーにイヤホンを渡して、お互いがイヤホンのコードで " 一つに繋がる " ことで、
[ ジミー、 今は出来ないけど・・・ 私もあなたと " 心も身体も一つ " になるような「本当の恋愛」をしたかったんだよ ]
といったアミの思いもメタファー的に表現しつつ、且つ「私もジミーと・・・ 身体一つになりたい」というアミの願望を、" 疑似的に叶えさせる " ような演出意図だったように思えるのだ。
一見すると " 爽やかで儚い初恋の1ページ " を、単に投影しているシーンにも感じられる。しかし筆者には、このシーンでのアミの醸し出すオーラから・・・ 妖艶さのような " 艶めかしいほどの女性としての色気やセクシュアルな要素 " がスクリーンから滲み出てくるようでもあり、思わずドキッとしてしまった。そして・・・
[ " 夢は夢 " であって、現実では夢は叶えられないことの方が多い。しかし、たとえ " 疑似的 " で あったとしても・・・ アミにとっての新しい夢を、" 映像の中だけ " でも叶えさせてあげたい ]
藤井監督の「アミ―への思いやり」が、スクリーンからひしひしと伝わってくるようで・・・ 筆者の涙腺は、完全に崩壊していったのだった。
○18年という時を越えて・・・ 彼女の人生の中で最も輝いた瞬間が " 真空パック " のように封じ込められていた
18年という時を経て、アミの故郷である福島県只見町へと足を運んだジミー。彼女の実家を訪れるも・・・ アミは既に他界しており、実はジミーもそのことを知った上で足を運んでいた。アミの母・裕子から、台湾を旅した際の「絵紀行」を手渡される。そこには・・・
[ アミの人生の中で " 最も輝いた日々 " が・・・ " 真空パック " のように封じ込められていた ]
そして・・・
[ ジミーに対する " アミの思い " が、未だに瑞々しい状態で・・・ 18年という時を越えて、ようやく届けられた ]
病床でも、絵を描くことにこだわったアミ。絵を描くということは、彼女にとって " 人生で最も輝いた瞬間を永遠に封じ込めるため " の、最後の残された手段だった。
そして、アミにとって絵を描くということは、" 彼女のジミーへ思い " を時を越えて届けるための " 唯一の手段 " でもあったわけだ。
『ジミーの夢が叶うように、ずっと応援してるからね。出会ってくれて、ありがとうジミー。』
正に、小説『失われた時を求めて』の「見出された時」というタイトルを体現するようなストーリー展開だ。これも映画『Love Letter』の完全なるオマージュと言えるだろう。したがって、アミの母・裕子もこのように語るのだ。
[ 絵というものは、" 一瞬の輝き " を永遠に封じ込めることが出来る ]
[ 絵というものは、" 人の思い" を時間も空間も越えて・・・ 届けることが出来る ]
このことが『青春18×2 君へと続く道』という映像作品を作る上での、大きなテーマだったのではなかろうか。それと同時に、
[ 絵と同様に・・・ 映画のような映像作品も、「一瞬の輝きを永遠に封じ込める」ことの出来る " 手段の一つ " だ ]
といった、映画『Love Letter』から触発された藤井監督なりのメッセージを、筆者は『青春18×2 君へと続く道』という作品の隅々から感じられ・・・ その感動は一入だったわけなのだ。
さて、ジミーにとってのこれまでの18年間は、" アミに導かれる形 " で歩んできた。アミとの、時を越えての再会を約束を果たして・・・ ようやくジミーは、彼女のことを「青春の輝かしい思い出の一部」として、共に人生を歩めるようになったのだろう。
『それでも僕たちは、" あの時 " を抱きしめて生きている・・・ 』
未だ、映画『Love Letter』を鑑賞していない方々がいらっしゃるのであれば、ぜひ鑑賞後に『青春18×2 君へと続く道』をスクリーンで観ることを強くお奨めする。
ジミーやアミの表情やセリフ、台湾や日本の佳景がより一層感慨深く、心に染み入ってくることだろう。映画館で上映されているうちに・・・ 今すぐに!! ぜひ!!! (笑顔)