
荒川の旧流路を巡る(浮間公園周辺)
東京都板橋区にある浮間公園(JR埼京線の浮間舟渡駅)周辺の荒川はかつてはかなり蛇行していたようです。
その名残として浮間公園の大半を占める「浮間ヶ池」は蛇行した荒川の本流だったそうです。

浮間公園以外にもちょっとした名残があり、浮間公園から西側へ1.5キロ、国道17号(中山道)を越えた先の新河岸川沿いに蛇行していた流路の後があります。

今回はこの旧流路の跡を巡ってみました。

上の荒川流路の変遷図と航空写真が掲載された浮間公園のガイドブックには、流路の大改修と浮間ヶ池誕生の背景が下記のように記載されていました。
■荒川だった浮間ヶ池
浮間公園の面積は約11.7haで、その面積の約40%を占めているのが浮間ヶ池です。この池はもとは荒川の本流でした。
かつての荒川下流は現在の隅田川であり、名前の由来である”荒れる川”のとおり昔から氾濫を繰り返し、特に明治43年(1910)氾濫では東京や埼玉に甚大な被害をもたらしました。これをきっかけに荒川の大改修、つまり荒川放水路の建設が決定され、新たに開削された放水路は17年の歳月を要して昭和5年(1930)に完成しました。
大改修の旧荒川は浮間のあたりで大きく蛇行し、U字型に浮間ヶ原をつくっていましたが、氾濫を防ぐため放水路(現在の荒川)は直線化がはかられました。そのため、旧本流は築堤によって切り離されて残り、その一部が浮間ヶ池となりました。
もう一つの流路跡となる部分は一部が公園(舟渡水辺公園)として整備されています。

実際に行ってみました。
まずは浮間公園と荒川を見てみます。








続いて南側にある新河岸川に向かって行ってみます。


上の図の通り、旧流路は板橋区と北区の区界にもなっていたようです。そして、埋め立てによってできたその場所の多くを占めるのが下水道局です。水に関連する施設というところが興味深いです。
下水道局の施設の屋上というべきか空間を利用して結構広い公園と少年スポーツ施設が作られています。









ここまで、浮間公園の浮間ヶ池以外は旧流路を偲ばせるものは何もありませんでした。地図上で見る施設の属性を見て、流路あとを思い偲ぶほかありません。
2月の午後2時過ぎから活動をしたため、日が暮れてしまいましたので、ここから西側1.5キロ先の旧流路は別日にしました。
そして別日、もう一つの旧流路跡を巡ります。



右側の流路には近づくことはできず、反対側に回ってみようと思います。ついでに旧流路のUの字の内側を見に行くことにします。

内側は、「日本製鉄株式会社 東日本製鉄所 君津地区(東京)」と東京電力の変電所がありました。
しかしながら製鉄所自体は解体されていてほぼ更地の状態になっていました。今後は物流施設ができるようです。
君津地区とありますが、この君津は千葉の君津市のことでしょうか。君津市の沿岸も京葉工業地帯として、日本製鉄の広大な工場があります。その出先機関みたいな扱いなんでしょうか。





旧流路左側にたどり着きました。




すぐ近くにある、舟渡大橋の作りが珍しくそっちに興味が行ってしまいました。
何に興味を示したかというと、車道と歩道が上下に分離されているのでした。



旧流路のU字型の内側から荒川にかけて、旧流路を偲ばせるものは何もありませんでした。
ただ、この辺は水を活用した製鉄所ほか、金属加工系などの工業が発展したんですね。ただ、宅地化が進んで、環境を悪くする工場は移転が進み、現在は物流倉庫が多い印象です。



荒川の浮間周辺の旧流路巡りはこれで終了です。
今回は旧流路にまつわる新発見はほぼなく、事前の地図調査で通りで、ちょっと残念。
ただ、良い天気の中での散策は気分が晴れて良いですね。