【映画・小説批評】『何者』の恐怖をひもとく
※以下映画、小説「何者」のネタバレを含みます。
※今回は批評より感想に近い内容です。
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○あけみ…25歳メンヘラOL。朝井リョウ作品が好きすぎて学生時代「桐島、部活やめるってよ」のレポートで単位を貰ったことがある。
○ハロ…あけみの飼っている犬。かつてワナビー君だった黒歴史があるらしい。
あけみ---今回は映画・小説「何者」について話していくよ。早速だけど観た感想をストレートに言うと…そこらのホラーよりよっぽど怖い。
ハロ---何者って検索すると予測変換に怖いって出てくるくらいだしね。観た後しばらく引きずる作品だと思う。
あけみ---正直私はまだ「何者」を咀嚼しきれてないんだよね…。疑問なのは、この映画を観て自分が何者でもないと分かった私達はいったいどうするのが正解なんだろうかってこと。
ハロ---うーん…そもそもこれは「何者」っていうタイトルの話でしょ?ってことは「何者」って何なのかについて語っているわけだよね。けど「何者」の定義自体はこの話にはっきりは示されていないんじゃないかな。
あけみ---あぁ、あのタイトルは、あなたは何者であるのか?っていう問いかけではなくて、「何者かになりたい人達」の「何者か」って一体何なのかってことを言いたいってこと?
ハロ---うん、でもそれって定義されてないよね。
あけみ---「桐島、部活やめるってよ」の「桐島」のようなポジションに「何者」があるのか。
ハロ---そうそう!で、「桐島」より更に「何者」は抽象的で明確なビジョンではない。その曖昧な何者かになりたい人たちを描いているのであって、そこに答えがあるワケじゃないと思う。
あけみ---じゃあ私達はあの映画を見てどう反省すればいいか、どう行動すれば良いいかと思うのは変ってこと?
ハロ---だってそうなったら自分達が登場人物と同じ迷宮にハマっているみたいだよ。僕は正解を求めてもがいて生きるなんて変だと思う。どうすればいいんだろうって思いながら、「イタく」てもそうやって生きていかなくちゃいけない、みたいな考えはちょっとおかしいじゃん。答えはもう示されていて、最後の何者かの呪いから解き放たれた主人公が朝井リョウなりの結論なんだよ。
あけみ---最後の主人公…、つまり何者かって言う外からの評価を気にせずに、自分のしたい事をして、自分自身で自分が何者なのかを決められる人が正解って事?
ハロ---そう言うことじゃないかな。
あけみ---でもギンジのような人間が何者かへの近道を歩いていて、そういう者になれ、みたいな思想もあったよね。彼らが作者にとって何者かに近い人間たちってなのかな?ギンジを自分自身の道を進んでいる人間として描いていたけど、彼が何者の呪いから解き放たれた人間かっていうと違くない?そこが気になるポイントなんだよね。
ハロ---確かに作者の思想に共感できないと読者には思わせるかもね。それって朝井リョウさんの感想ですよねって感じさせる。僕たちの周りもにいるイタくてもがいている夢追いみたいなやつが何者かに近いかというと、ほど遠い。例えば売れないシンガーソングライターが「何者」に近いの?全てを分かってそうしてる?あの人たちのやっている事は妄信、ある種思考停止ではないのか?ってね。
あけみ---何者かになりたくてもなれないから、それになろうとしている他の人間を批判することで自分が優位な存在になろうとする人間よりは、イタくてももがく表現者たちや、就職して何者かになろうとするやつの方が優位であるってことでは?
ハロ---優位かどうかは言及されていなくない?
あけみ---確かに優位とは言及されていないけど、よっぽど素晴らしいと書きたいんじゃないの?
ハロ---それは暴論だよ。
あけみ---…ああ!作者はイタくてももがく奴らをバカにする心を持つ私たちに自責の念を抱かせるためにわざと彼らを評価して描いているってこと?
ハロ---そういうことだと思う。
あけみ---この作品はとことん私達に当事者意識を持たせることを目的としているというわけか…。最後的にギンジの作品を見に行けるってところが主人公の成長ポイントなワケだもんね。
ハロ---ギンジが素晴らしいかどうかじゃなくて主人公がギンジのことを認められるってことが大事なんだよね。ギンジにピントを合わせてはいけない、あくまで主人公君の話だから。
あけみ---なるほど…。
ハロ---主人公は別にギンジになったわけじゃなくて作品を見に行ける心を手に入れたわけだ。ギンジが羨ましくて、彼の痛々しさを否定したくて、見に行けないって言う自分から脱却することができたってのが一番のポイントだよね。
あけみ---あと気になるのは、主人公が成長したってことは、それより前の行動には未熟なところがあったわけで…。今までしていたTwitterでの斜に構えた分析だとか人間観察ってのは恥ずかしい行為だったってこと?
ハロ---いや、つぶやきの内容は割と正当だと思う。コンプレックスを抱いて裏垢で散々批判している状態が気持ち悪いだけで、主人公はあの物語が終わった後もああいう事を思ったりすると思う。作品としては分析うんぬんを恥ずかしい行為だと否定してるわけではないのでは?
あけみ---そうだよね。なんか多分、私の中であれが衝撃的すぎるんだな。理香の「あなたが思ってる分析は当事者みんな気づいてる、気付いてもなおバカになるしか私達には方法がない」ってやつ。現実のギンジや理香みたいな人はそんなことまで考えて行動していない、と思う。でもあれもわざと読者に自責させるために「あんたの考えは浅い!お見通しだ!」って示しているシーンってことだよね。そもそもバカになってあんなに追い込まれてまで、やりたくないことをする必要性ってないもんね。特に就職なんていう場面でそこまで身を削らなくてもいいって後になると気がついたりする。私も今「何者」の呪いにまんまと引っかかってたわ。
ハロ---作品自体がそう言う構造だからしょうがないよ。
あけみ---斜に構えて分析している時点で、優位に立ってる前提で始まってるから、最後の優位性の崩落はかなり抉られるよね。
ハロ---そうだね。
あけみ---今この作品を批評してる自分も、どんどん小さい優位性の低い存在になってしまうんだよ、あの作品を見た後だと。やれもしない事を批評してる、何者かになりたい奴に自分が思えてくる。自分まるごと否定された気分だよ。でも、分析して何者かになろうとする自分じゃなくて、コンプレックスによって行動できない自分を批判してるわけだから。
ハロ---作品が指摘してるのはそこだよね。
あけみ---否定するのは構わないけどそれで自分ががんじがらめになって動けなくなってんじゃない?みたいなことだよね。頭で理解しても心で理解するのに苦労する作品だ。でもようやく心も少し理解してきたよ。つまり斜に構えてものを見てる自分でいるのを否定しなくても大丈夫ってこと?
ハロ---大丈夫ってことだよ。
あけみ--ーでも否定されたんだよ、あの意識高い女に!忌々しい!(笑)
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