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エッセー
中段の構え

~靖国参拝を考える~

(一)

 剣道の構えには上段の構え、中段の構え、下段の構えの三種類がある。上段の構えは刀を頭上に振りかぶった状態で構え、速攻できる利点があるが、胸から下は無防備状態となるため、防御によほど自信がなければ、まずこの構えを選ぶ者はいないだろう。

 下段の構えは、切先を水平より低く下げた構えで、基本的には防御を重点とするが、胸から上は無防備となるため、現在ではほとんど見られなくなっている。

 圧倒的に多いのが中段の構えで、切先を相手のみぞおち辺りに定めるもので、攻撃にも防御にも瞬時に対応することが可能だ。攻撃に良し、防御に良しの構えということになる。

 国際情勢を考えると、武力や経済に自信のある大国は相手の非力さを知っているから、上段の構えで立ち向かう。自国の意志をゴリ押しできる立場にあるからだ。これに対し中堅国は、大国ほどの自信はないから、防御の不安から臨機応変を旨とする中段の構えになり、中には下段の構えで防禦一辺倒の弱小国も存在する。上段、中段、下段の構えは、そのまま上級国、中級国、下級国を表しているというわけだ。

 上段の構えは、ロシアや中国、アメリカの構えだが、現在進行しているイスラエルも同じ構えだ。イスラエルはアメリカという虎の威を借る狐だから、それが可能になる。最近ヒズボラの拠点であるレバノンを空爆し、今日は地上侵攻も始めたが、背後にアメリカがいる限り、イランもなかなか手を出せず、その間に一挙にヒズボラを壊滅しようとしている。つまりアメリカが見て見ぬふりをし、イランが開戦しない限り、イスラエルは上段の構えで徹底的に刃を振り下ろす。

 国の構えはトップの構えでもある。今回の自民党総裁選では、決選投票で、高市氏は上段の構え、石破氏は中段の構えで決戦に臨んだ。自民党は議員の半数近くがかなり右傾化した政治団体だが、高市氏は伝統保守系有志グループ「保守団結の会」の顧問を務める保守強硬派で、神道政治連盟などの右翼団体からも支援されており、反対に石破氏は穏健保守の立ち位置にある。極右思想家は基本、そのイデオロギーが国民に浸透することを望み、ダイバーシティを蹴散らす鼻息で上段に構える。

 反対に穏健保守派は中段の構えで世情を判断し、臨機応変に反応する。だから時には優柔不断と受け取られることもあり、石破氏の前言を翻した総選挙の日程決めは、野党から顰蹙を買っている。石破氏は首相就任早々、二枚舌を持っている人だということがバレてしまった。いずれにしても、この決戦投票は、党内の強硬保守派と穏健保守派との戦いでもあった。自民党が直後の解散総選挙で政権を取れば、この二人のどちらかが国を任せられることになったが、結果は石破氏の勝利。極右思想は「心酔」の要素も強く、高石氏は心情的にノーサイドとはいかず、党内分裂の可能性も出てきた。

 首相は、国内問題だけでなくデリケートな国際問題にも手腕を発揮しなければならず、高市氏の「首相になっても靖国参拝は続ける」発言で、予選では票を入れた穏健保守議員の多くがドン引きすることとなり、結果的に石破氏が勝利した。どうやら彼女は、党内の右傾化トレンドを見誤ったようだ。人みな右に傾く昨今だが、早すぎたということか……。極右思想は、防御が弱くても相手に脅威を与えるべく、居丈高な上段の構えを好む。だからトップの靖国参拝は、周辺国には威嚇の姿勢に見えるわけだ。彼らは心情的に日本人を信用しておらず、祖先帰りを恐れている。

 現在世界中が右傾化しているが、日本はまだその流れに乗り切ってはいない。おそらく(不法)移民問題が顕在化していないからだろう。しかし世界のトレンドが右傾化なら、自民党の右傾化も弱まることはないに違いない。日本という国は、戦後から貧乏人や女性でも選挙ができる民主主義が始まった。だからその歴史は浅く、欧米の右傾化とはまた違った右傾化なのだ。それは民主主義がベースの右傾化ではなく祖先帰りで、彼らが抱くイメージには、戦前の家、村、国の復古的要素が含まれている。「いまの日本人はナショナリズムが欠落している」との思いが強く、それを解決する手段は幼時からの教育だと思っている。長年中国が、反日教育をやってきたようなものだ。それは攻撃本能の育成に重点を置いた、上段の構えの教育である。

(二)

 上段の構えは有無を言わさぬ首切り役人の構えで、防御を無視した攻撃一本槍の構えでもある。首を切られる囚人は後ろ手に縛られ、反撃する手段を奪われている。だから役人は、安心して首落としの態勢を取れるわけだ。これを国に当てはめれば、有無を言わさぬ強権政治ということになる。中国を見ても分かるように、それが始まるのは未成年の教育からだ。思想のダイバーシティを抑え、右傾思想を標準化する必要がある。それは当然、愛国教育だ。

 明治以降、この上段の構えは終戦までの日本の構えでもあった。島国日本がその構えを取れたのは、「日本教」という宗教がベーシックに浸透していたおかげだ。遠い昔のベストセラー『日本人とユダヤ人』で知られる山本七平は、「日本人の心に潜在的に沁み込んでいる宗教」を「日本教」と称したが、それは「和を以て貴しとなす」(十七条憲法)という古来日本人の村落的・島国的精神構造を指していて、いまでもその感性は変わっていないだろう。日本人の多くはグループ内の対立的なディベートを嫌い、中庸的な和合を好む。外国人旅行者を虜にする「おもてなし」は、和の心が接待に現れたものだ。

 だから和を乱した者は嫌われ、排斥される。和の色は曖昧なグレーで、それは白でも黒でもない。白黒はっきりした色を掲げる人間は疎まれるのだ。グレーは白黒どちらかの社会色が提示されれば、そちらに染まる性質がある。白寄りのグレーの人も、黒が提示されればそちらに染まり、「黒い時代」が始まる。なぜなら、グレーゾーンの人間はグレーの中にいる限り、俺は白だと公言する勇気を持てないからだ。

 このグレーな「和」という村社会的概念の神を、「天皇」という伝統的名門家にすげ替えることで、国家的宗教概念に仕立て上げたのが明治政府だった。来るべき社会色を「黒」と明確に提示し、日本は黒い時代への航路に舵を切った。つまり「和」を神とする「日本教」は、「天皇」を神とする「大日本帝国教」に変わり、天皇は生き神様となり、その下で国民は「和」という粘着剤で固められて一体化し、黒色化した。挙国一致の強力な武力集団ができ上ったのだ。

 その形態は、天皇を頂点とするピラミッド型の社会構造で、秩序を維持しながらメトロノームのように上段の刃を振りかざしながら、時を刻み始めた。しかし突然炎のごとく、原爆の爆風でゼンマイは切れ、躯体は粉砕して時は止まる。

 世界的に見れば、現在でも宗教国家や独裁国家で、類似の形態を見ることができるだろう。戦前の日本は現人神による宗教国家であったわけで、それはいまのイランと変わらない。アッラーが現人神でないだけの話で、代わりに代弁者がお告げを語る。天皇もアッラーも戦略的国家権力に利用されたに過ぎないといえる。ロシアのプーチンは、自身の地位を強固なものとするためにロシア正教を利用しているが、多民族国家でなかったなら、すぐにでも国教化していたに違いない。日本は概ね単一民族国家で、「和」の精神も棄損しなかったから、まとめるのは簡単だったというわけだ。

 僕は戦後生まれで、当時の日本国民の精神状態を理解しないが、徴兵されて戦死した日本兵の全てが、お国のために喜んで徴兵され、喜んで戦い、喜んで死んでいったとは思えないのだ。いまのロシアやウクライナでの兵役逃れの若者を見ても分かるが、日本が島国でなければそんな若者はいたに違いない。もしいなかったとすれば、完璧な洗脳が行われていたことになる。

 人間は動物の一種だから、普通は集団よりは自分の命が大事だ。しかし鹿だって、自分のコロニーを守るためには猛獣に果敢に立ち向かう。それは防御のためだ。あるいはテリトリーの草がなくなれば、生きるために隣の敷地の群れを追い払い、残っていた草を貪り食う。日本の兵隊たちは、元寇のような侵略者たちに立ち向かったわけではなく、上段の構えで外国に出兵した。自分たちの飢えはピラミッド型の社会構造も一因だとは思わず、明治以降の皇国史観的教育に感化されて上部の命令に従った。

 しかし彼らは和を尊しとする「日本教」の信者であれば、和を乱す行為は避けたかったに違いない。和を尊しとする民族は、他民族にだってそうであるべきはずだ。だから彼らは少なからず、大岡昇平のように侵略について複雑な思いを抱きながら、戦っていたに違いないのだ。おそらくすべての兵隊が「天皇陛下万歳!」と叫んで悔いなく死んでいったわけではないだろう。それはヤケッパチの叫びだったかもしれない。だから靖国神社における戦犯の合祀について、中国や韓国などの被占領国だけが批判するわけではないと僕は思う。一緒に祭られている御霊だって少なからず、その現状に忸怩たる思いを抱いておられるような気がしてならないのだ。全員が国を守るために必死に戦った。しかしその前に、全員が近隣国を侵略するために必死に戦ったのだ。いまのロシア兵のように……。そしてそれを命じたのは、外ならぬA級戦犯たちだった。
A級戦犯は分祀すべきだ。



ショートショート
人面魚

~あるいは鯉物語~

 鯉寺(てがみでら)は、この地方では名の知れた古刹で、大昔に低山の中ほどに建立された。この場所には太古から大きな池があって、少し高い場所にある泉からこんこんと湧き出る清水を受け止め、溢れた水はせせらぎとなって麓の大河に流れ込んでいる。

 ご本尊は鯉に乗った千手観音で、それもあって地域では錦鯉の養殖が盛んだ。池は昔から「鯉池」と呼ばれていた。数多くの錦鯉が賑やかに泳いでいて、その中には地味な色の普通の鯉が遠慮気味に泳いでいる。これらの鯉は、住職が下の養殖場から買ったり譲り受けたりしたものではない。鯉の滝登りというが、洪水などで養殖場から逃げ出した鯉が、たまに小川を登って池に入り込み、住職からエサをもらうなどして、居心地が良くて定住したものと思われる。それがこれだけの数になったというわけで、野生の鯉も錦鯉に紛れて登ってきたのである。

 洪水のあと、時たま養殖業者がこの池を覗きにくることがある。しかし大事に育ててきた鯉を見つけても、「返してほしい」とは言わずに、「やはり神様はお目が高い」と言ってすごすごと引き下がるのが常である。村人にとって、池に入った鯉はすでにご本尊の所有で、貢物という感覚にならなければ罰が当たる。住職もそれを知っているから、「持ち帰りなさい」と促すこともなかった。もちろん、新たに登る鯉もいれば、混雑を嫌って下る鯉もいたから、そんな高価な鯉がいなくなると、「取り逃がした魚は大きかった」と後悔した。

 村では江戸時代から錦鯉の養殖が盛んだったが、一度だけその伝統が危機に瀕した時期があった。戦時中だ。戦争が激化すると、観賞魚としての需要もなくなり、産業は衰退したが、村人はわずかながら種鯉の維持は続けていた。戦争によって、伝統的産業を失わせるわけにもいかなかったからだ。この村でも、戦争で多くの若者が死んだ。この逸話は、終戦から間もないときに、この鯉池で起こった出来事である。

 戦時中も、住職は下の川の漁師から雑魚を譲り受け、鯉のエサづくりに余念がなかった。だから、清らな水の中で鯉たちは元気に泳ぎ回り、一匹も死ぬことはなかった。終戦を迎えると、村の若い女が毎日のように寺に訪れるようになった。女は本堂で祈りを捧げ、それから鯉池のほとりに来て、手頃な岩に両手を掛けて、一生懸命湖面を凝視していた。

 住職は、本堂の渡り廊下からその真剣な姿を眺めるのが日課になった。遠くから見ても、その目つきは鬼気迫るものがあり、入水自殺でもされはしまいかと毎日が心配だった。ある日、檀家の一人と廊下を歩いていると、あの女の姿が目に入った。住職は彼に尋ねた。
「あの女性が誰だか、知っておるかな?」
「ああ、村の若後家さんで、大分気を病んでおります」
 檀家の言うには、夫は結婚早々出兵し、硫黄島で玉砕したということだった。
「まさか、入水自殺でもするんじゃないだろうね」
「さあ、どうですかな。一度、声をかけてみたらどうでしょう」
「そうですな……」

 しかし、住職は少しばかりためらった。戦時中は、人々の前であれだけ「大日本帝国万歳!」を叫んでいた彼が、戦後はすっかり自信をなくし、説法も止めてしまった。自分が偽善者であったことを悩んでいたのだ。だから、人の相談を受けることもできるだけ断っていた。その彼が、女から事情を聞くというのは、僭越な気がしてならなかった。まして、女の夫は戦死し、そうした若者を鼓舞して戦場に送り出したのは村の有力者たちで、その中に住職も含まれていた。

 明くる日、いつものように女が池の端に佇むと、住職は意を決して女に近づき、後ろから声を掛けた。
「毎日、ご苦労様ですな。この池の鯉がお好きなようで」
すると女は落ち着いた声で、「いいえ、ご住職様。私は主人を探しているのです」といって、住職を一瞥した。
「ご主人を?」
 住職は目を丸くして聞き返す。
「ええ、おかしな女とお思いでしょうが、正気を失ったわけではございません。これは戦地から主人が送ってきた最後の手紙です」
 女は着物の懐から薄汚れた封筒を出し、住職に渡した。住職はそれを受け取ると、ためらいがちに「読んでよろしいのかな?」と尋ねた。女はそれに答えず、こっくりとうなずいた。それは便せん一枚の簡素な手紙だった。日本軍の形勢が悪いこと。ひょっとしたら、ここが自分の終焉の地になるかもしれない、ということ。そして最後に、「君に会いたい。いや絶対会う。私は魚になって豊饒の海を渡り、秋津国に戻って川を上り、鯉寺の鯉池までよじ登って君を待とう。そのとき私は、すでに人間ではないだろう。しかし君の姿を認めたときの感慨は、わが身が魚であっても変わらない。愛する妻よ、私が魚でも、あなたは私の妻なのだ。死んだと思ってはいけない。悲しんでもいけない。私は魚になって生き返るのだから」としたためてあった。

 住職は、「凱旋!」と叫んで多くの若者を駅まで見送ったことを思い出し、苦渋で顔を歪めた。終戦後、そのほとんどが帰還することはなかった。きっと女の夫もその中の一人だったろう。住職は震える手で、「旦那さんが見つかるといいですな」といって手紙を封に戻し、女に返した。女はそれを懐に戻し、軽くお辞儀をすると、再び水面を凝視しはじめた。

 それから一週間ほど経って、渡り廊下から女を認めると、女の顔つきがガラリと変わったことに気がついた。女の顔から真剣な表情は失せ、笑いながら水面に向かって話しかけていた。住職は嫌な予感がした。その表情が、尋常なものとは思えなかったからだ。女は語りかけながら、時たま袖からエサを出して鯉に与えていた。いままで、鯉にエサを与えることはなかった。ひょっとしたら、と思って住職は女に近づいた。
「どうです。旦那さんは見つかりましたかな?」
 すると女は満面の笑みを浮かべて「はい」と答え、「主人を紹介しますわ」と続けた。住職が首を伸ばして水面を覗くと、一匹の鯉が女のエサを独占し、ほかの鯉は遠慮気味に遠のいている。その鯉は、住職も初めて見る新参魚で、大きな体をした金色の人面魚だった。住職は驚きながら、「どうしてご主人だとお分かりになったのかな?」と尋ねた。女は黙ったまま、懐から一枚の写真を出し、住職に渡した。

 それは、亡き夫の写真だった。そして住職は池の鯉と写真を見比べ、驚嘆の声を発した。
「まさに瓜二つとはこのことですな……」
「夫は遠い島から、ヤシの実のように日本にたどり着き、私に会いたい一心で、渾身の力を振り絞って鯉池まで登ってきたのです。私はいま、帰還兵を迎え入れた妻と同じに、喜びに浸っております。もう彼らを羨むことなんかありませんわ。だって、現に夫はここにいるんですから。夫は言葉を失いましたが、愛に溢れる眼差しで私を見つめてくれます。もう私は、死ぬまで夫と離れることはないのです」
 それから女は、朝の決まった時間にやってきて、夫に朝食を食べさせるようになった。そのエサは白飯だった。女は夫に白飯をまきながら、持参の雑穀を食べた。それは家族団らんの大切な時間なのだ。戦後の物が食えない時代に、彼女は毎朝上流家庭のように、白い飯を夫に与え続けた。

 そして一か月後のある朝、いつもの時間に女が来ないのを不審に思い、「病気にでもなったのかなあ」と心配しながら、住職は女がエサやりしている池の傍に立った。住職が手を叩くと、いつもは多くの鯉が寄ってくるのに、今日は二匹しか寄ってこない。そしてその二匹を見て、住職は仰天した。あの夫の人面魚の横に、一回り小さな人面魚が寄り添っている。
「あの女だ!」
住職は、思わず大きな声を発した。その顔はまさしくあの女性だった。本能的に、住職は大きい池を見渡した。祈る思いで見渡したのだ。

 そのとき、住職の禿げ頭に生温かい雫が落ちた。咄嗟に掌でそれを拭い、見つめた。それは血だった。住職は直ぐに顔を上げようとはしなかった。心を鎮めるために経を唱え、それからゆっくりと見上げた。女はモンペを穿き、松の枝にぶら下がっていた。鼻から血の雫が落ちてきた。住職は大声で若い者を呼び、女を下ろして胸に耳を当てた。それから再び経を唱え、指で女の目を閉じた。

 巡査が来るまで、女はその場所から移さなかった。住職は徒弟たちにお経を続けさせ、自分は厨房から白飯を一握り持ち出し、二匹の人面魚の鼻面にまいた。二匹の鯉はそれを旨そうに食した。それから、朝のエサやりが彼らの日課になった。住職が米をまき、弟子たちが経を唱えた。しかしその日課も一年ほどしか続かなかった。一年後のある日、二匹の人面魚は池から姿を消した。

「あの二人は、天空に飛び出していったのですか?」
徒弟の一人が住職に尋ねた。
「世の中は無尽法界。若い夫婦は、こんな狭い池で生涯を終えることもないじゃろう……」
それ以来、二匹の人面魚が戻ることはなかった……。

(了)




侵略

群れをなすけだものたち…
まるでゲリラ兵のように
身の丈より高い草陰にかくれ
お目当ての新芽を食べ続ける
ちっこいそれらに命の炎となる
豊かな栄養が含まれているさ
好き嫌いはない、生き抜くために食らうんだ
食べ続け 吐き出し 食べ続けろ!
子供たちよ、母親のゲロに食らいつけ
がむしゃらに吸収しろ! 大きくなれ!
エサさえあれば死ぬまで生きられる
死亡日時は神様が決めてくれる
お前らの役割は、愛し合い、生き抜くことさ
そして、生き抜くカラクリを知ることだ
閉経まで生きれば仲間を増やせるぞ
食らい、愛し、産み、育て、死ね!
それが神様のカラクリだ お前らちっこいけだものよ
数で勝負さ、アリのように励め、余計なことは考えるな!
黒々と群がれば、巨象にも立ち向かえる
そうして草陰に隠れながら、食らい、愛し、育て、死ね!
来るべき日のために、群力を培うのだ、蹴散らす力さ
すべては数の勝負だ、食らい、愛し、産み、育て、死ね!
来るべき日のために頭上の一角を磨いておけ!
さあ、お前らは惚け顔して、食らい、愛し、産み、育てを繰り返し
豊かな草原は砂漠となった、自業自得さ、いや神様のカラクリだ 
原因は惚けたお前の食欲だが、なす術もなし… 
さあ割拠は終わった、出発だ、大移動 生きるための拡大策だ
次なる草原を求めて大移動、惚けた夷てきを蹴散らすんだ!
たとえお前が死んでも、それは神様の決めたこと
俺たちとお前の子孫が末永く幸せに
食らい、愛し、産み、育て、死んでいくために…




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