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双極性障害とつきあう⑨【経過:後編】

治療を開始した 2024年3月から、
2024年10月現在まで。
約8ヶ月間の経過について綴る。
本日は、後編。


【7月】

中旬に引越しが決まった。
準備のために、毎日自転車で走り回っていた。
休憩をはさみながら1日1~2時間走った。
相変わらず気持ちは落ち込んでいたけど、動けていたので元気になってきたのだと思っていた。
「やるべきことがあるからやっているだけ」と思っていたけれど、主治医からは躁状態だと言われた。
炭酸リチウムが600㎎から800㎎/日に増量した。

回復していると錯覚していたので悲しかった。
主治医のいうとおり、ただの躁状態だった。
躁のあとはうつがきた。
涙が止まらない日が続く。
いらいらと焦燥感が強く攻撃的。
不安も強く 人に会うのが極端に怖くなった。
それでもなんとか頑張って、年に1回の家族が集まる会に参加。
数時間なら「普通」を装うことができた。
後半はとにかくうつがひどく、「ベッドが硬くて痛いのも自分のせいだ」と思っていた。
職場から、休職できるのは半年だと連絡がきた。
パートとして復職できないか問い合わせたが無理だった。
今この状態で、9月に復帰は正直難しいと思った。絶望感。

【8月】

炭酸リチウムを増量した影響で、手の震えがひどくなった。
字が書けない。スマホは誤操作だらけ。
主治医に相談し、また600㎎/日に減量することになった。
上司と面談のため、職場へ行った。
心から復帰を望んでくれているようで安心した。
私もまた強く、戻りたいと感じた。
少しだけ心が浮上した。
”ちょっと元気のない普通”
ぼーっとしていて、やる気がない。
かといって、希死念慮もない日々が続いた。
約束のフェスには予定通り行けた。
これが終わったら命を絶つつもりだったのに。
しにたい気持ちはもうなかった。
でも、生きたくもなかった。

宙ぶらりんな気持ちが辛かった。
職場は退職することに決めた。

【9月】

仕事をやめたら気持ちが少し楽になった。
資格はある。戻りたければいつでも戻れる。

期限に迫られることがなくなり、ゆっくり治療に専念することにした。
そしてまた抑うつが始まった。
希死念慮も戻ってきた。
うつ傾向がみられたら内服するようにと、エビリファイが処方された。
飲んだらゆるやかに躁転した。
睡眠時間が徐々に短くなった。
実家にも帰れたし、美容院にも行けた。
友だちと会ったり出掛けることが増えた。
どうせまたうつが来るから、躁のうちにできることは済ませようと思った。
躁鬱の波が読めるようになってきた。

【10月】

小さなうつのあと、小さな躁がきた。
振り幅がだいぶ小さくなったことを感じる。
noteを始めた。
中旬頃から、”ちょっと元気な普通”になり心身ともにとても楽だった。
目覚めはどんどんはやくなった。
7時起きだったのが6時になり、5時になり。
最近では2時3時に起きる日もざらにある。
日中に電池が切れることもあり、そんなときは1時間程度の昼寝をして過ごす。
すすんで運動をしたいとは思わないが、夫に連れられて行ったスポッチャは楽しかった。
たびたび動機や呼吸困難感に苦しむことはあるけれど、比較的に穏やかに過ごせている。


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前後編に分けて、これまでの経過を書かせていただきました。
治療開始から8ヶ月。
まだ寛解する未来はみえませんが、それでも当初よりは躁と鬱の波がだいぶ小さくなりました。
薬だけでなく、カウンセリングの効果もあるのだと思います。

次回以降は、内服している薬をまとめたり、
カウンセリングで話している内容について、書いていきたいと考えています。

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