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目をさまし、目をそらし
春なので、順調に気もちが落ちこんでいる。
なにせ春なので。
春は、切なくてなんぼ、不安でなんぼ、浮ついてなんぼだ。
この落ちこみ具合は、ちゃんと春がきている証拠だ。
そういうことにしておきたい。
ちなみに山形は、今朝からめちゃくちゃ雪が降っている(なんでだよ)。
物心ついたときから、わたしの頭の中では、ずっと誰かの声がしている。
「ぐるぐる考えすぎる」というわたしの性分は具体的には、頭の中でずっと誰かが話している、ということでもある。
それは、自分自身のあーだこーだと自問自答する音なき声だったりもするし、これまで誰かに言われた言葉の反芻だったりもするし、好きな曲だったりもするし、映画やドラマの一場面だったりもする。
とにかく、しきりなしに頭ん中で声がする。
落ちこむと、その声が大きくなる。
そしてその声に引っぱられて、ベクトルが内側へ内側へと向かいだす。
心が引きこもる。
今まさに、そういう落ちこみ方をしている。
こういうときは、「描写する」ことがクスリになる。
曲でも、ライブでも、ドラマや映画でも、エッセイでも、なんでもいい。
何かの作品、とにかく「物語」にふれて、それから受け取ったイメージや情景や情感を、こうしてnoteに書くなどして描写する。
無理に感想や感情を言葉にしようとしなくていい、ただ風景を「描写する」のだ。
どんな形で、
どんな色で、
どんな角度で、
どんな組み合わせで、
何が描かれている、
何に焦点があたっている、
なぜかこれが目に入る、
これが印象に残った、
これが分からなかった、
というようなことを。
そうして視線をその作品にうつす、つまり自分から目をそらすことで、少しラクになる。
心がひきこもっている時、わたしは起き上がれるし、動き回れもするし、人と会話もできるけれど、なんというか「眠っている」感じだ。
心ここにあらず、というかべきか、ふわふわと夢の中をただようように日々を過ごすこととなる。
この3月は特にその「眠っている」というような感覚がつよい。
「春眠あかつきを覚えず」というよりも、
「冬眠いまだ明けず」というような。
そんなわたしも、「物語」にふれることで、少し目が覚める。
内側にばかり向いている視線を、外世界にそらすことができる。
まさに今わたしには「物語」が必要だ。
星野源さんがいつかオススメしていた、このドラマを見ようかと思っている。
新しい何かに夢中になって、頭の中でぐるぐるとなり続ける声を振りきって、目を覚まして、目をそらしたい。
頭の中の声を、かき消したい。
順調に、春。
この落ちこみ方は、ちゃんと春だ。
冬がやわらいで、でもまだ桜が咲くにはちょっと遠い、この浅めの春。
ちょっとだけ疲れ気味。
頭ん中のうるさい声に飲み込まれないように、物語にふれて、目をさまして、目をそらして、うまいこと生き抜きたい。
そんなことをつらつらと書いていたら、ラジオからこの曲が。
この曲、切なくて好きです。