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「甘えていいんだよ」

昨日、大好きなラジオ番組、TOKYO FMの「スカイロケット カンパニー」でメッセージを読んでいただいた。


「タダハラ案件」というメッセージテーマで、仕事をタダで依頼/受注したエピソードを募った回だった。

そこでわたしが送ったメッセージの内容はこうだ。

タダハラ案件なのか微妙なところなのですが、ちょっと戸惑っていることがあるので書き込みます。

わたしはよく、近所のおばちゃんからタダでご飯をいただきます。このおばちゃんは、定食屋さんを一人で切り盛りしているのですが、わたしを「娘のようだ~」とかわいがってくれています。その日に余ったおかずやお弁当を、週に1~3回くらい、ごちそうしてくれます。

さすがにいつも無料で頂いてばかりなのも心苦しいので、週に一度はお金を払って食べに行きます。それでも、「お友だち割引だよ~」なんて言って、安くしてくれる上に、「昨日の残りだけど、」なんて言って、どんどんサービスしてくれちゃいます。きもちはとても嬉しいですし感謝するばかりです。

でも、何も返せていない気がして、やさしさがツラいことがあります。おばちゃんからしたら、一緒に夕飯を食べたり、雑談をするだけでも嬉しかったりするのかな……と察したりはするのですが、葛藤があります。

このままお世話になってていいのでしょうか……。


「甘えちゃいましょう!」

読み終わるなりパーソナリティの二人がそう言ってくれた。そのことばに加え、リスナーの皆さんのSNSでのコメントもやさしいものばかりで、ウルっときてしまった。

背中を押してくれるあたたかいことばの数々に、絡まっていた心の糸がほどけていくような感覚がした。「あ、そっか、甘えていいんだ」と気持ちが軽くなった。

「こんなに甘えていいんだろうか」

「大切な人だから迷惑をかけたくない」

そんな葛藤がスッと消えていったような夜だった。



「いつでも頼ってね」

そんなふうに後輩に声をかけることがよくある。「いつでも相談してほしい」「抱え込まないで」「何でも言って」、その言葉とおりの意味で、いつでも頼ってきてほしい。

しかし、関係をつづけていると、どうやらそんな声をかけただけでは不十分なのだと気づく。相手が相談してくるころには、悩みに悩んだうえどうにも収集がつかなくなり、とっくに限界がきていることも少なくない。どんな些細なことでも言いやすい環境をつくるにはどうしたらいいのだろうと、今でも模索しているところだ。

そんな折、昨日のラジオ越しのやりとりを通して、「自分だって、こんなふうに人に甘えることに躊躇しているじゃないか」と気づいた。だったら後輩だって、頼ることや相談することに足踏みしているかもしれないよな。

わたしだって、昨日のようなメッセージテーマが設定されて、件のラジオ番組を長年聴き続けていなければ、ああやって相談できなかっただろう。用意された機会と、たまたま見つけたタイミングと、その時に持ち合わせていたもの。これらが重なってようやく吐き出すことができた。

これがきっかけで、後輩に対してとにかく自分から機会をつくろうと思った。相談事があってもなくてもいい、話しても話さなくてもいい、ただ機会・場所・時間……とにかく「枠」が用意されていることが大切なのだ。「いつでも」「何でも」とはきっとそういうことだ。信頼関係は大前提として、相手が何でも話せる「枠」を設けておくこと、それとこちらから声をかけてみることを、やっていこうと思う。

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