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不登校児にコミュニティーは必要か

今日は、不登校児にコミュニティーは必要かというテーマでnoteを書きます。

岩手の不登校児どうやっって過ごしてる?


コミュニティーは絶対必要か!?

不登校が陥りがちな生活スタイル。運動不足、日照不足、コミュニケーション不足。あるあるですかね!?

私は「コミュニティーは絶対に必要だ!」と思い込んでいた人です・・・。

結論から言うと、親のコミュニティーはあったらいいが、子のコミュニティーは、そんなに一生懸命に親が用意してやらなくてもoK。

どっちでもいい。

と言うのが私の今の考え。

公立学校に子どもが通っていた時は、

お友達と仲良くして。
毎日どこかへ言って、先生やクラスメイトと楽しくおしゃべりしたり、体を動かしたり。

そうやって社会というものやコミニュティの中で育つことで、学びや体験を深めて、一人前の社会人になってゆくんだ。

と思っていました。

ですので、不登校になった途端、「一人前の社会人になれないのでは!?」と思ってしまったのです。

しかし、最近、そうではないことがわかってきました。

共働きやひとり親家庭などで、フリースクールへの送迎が難しい場合や、そもそもお子さんが家からあまりでたがらないなど、親はフリースクールなどに行ってほしいなと思っても、子どもはどこにも行かない選択をする場合もかなり多いようです。

我が家も、学校のコミュニティとは少し離れてしまったのですが、住む場所が変わったわけじゃないし、近所の子供達とも学校から帰ってきたら遊べる日もあったり。

最近の不登校あるある情報 in 岩手

岩手の不登校児、最近どうやっって過ごしてる?

・フリースクールに行きたくない子ども。
 フリースクールなどへ行ってほしい親。
・住んでいる街にフリースクールや居場所、行くところがない。
・フリースクールなどに行かせたいが、親の体力的時間的に送迎が難しい。
・子どもが家からあまりでたがらない。
・フリースクールにも行けない。
・遊ぶ同年代の子が近所にいない。
・通学も外遊びもしないので運動不足、日照不足。筋肉量や骨の強度に影響はないのか心配。
・兄弟で不登校でストレスがたまる。
・兄弟で不登校、家にいたい子と外に出たい子。それぞれ個性が違って対応に困る。
・不登校支援やサポートをしたいが、共働きで構えないのでほったらかしている。
・フリースクールの送迎がしたいが、凍結した雪道が怖い。
・家で猫とパソコンと過ごしている。
・ネットフリックスを見ながら勉強をしている。

など、様々な不登校の暮らし方、お悩みも聞こえてきました。

不登校が陥りがちな生活スタイルの一つ、「コミュニケーション不足」は問題なのでしょうか?

たくさんの不登校当事者や、多様な働き方をされている大人のお話を聞くと、「人と会わない」「コミュニケーションを取る機会が少ない」ことは、仕事をする上では問題がない場合も多いことがわかりました。

例えばプログラマーになってプログラミングで生計を立てる場合など。1人で黙々と勉強したり、実践する中で、「お金を稼ぐ」こと。はできる可能性は高いのではないかと思います。

ただ、不登校になったからといって、人が苦手だからと言って、全ての子どもがプログラミングに向いているわけではなく、、その子がやりたい場合はやらせて見るのもいいかもしれません。

仕事をする上ではそんなに重要ではないかもしれないコミュニケーションの機会。生きる上ではどうでしょうか?

運動不足、日照不足、コミュニケーション不足

もちろん、人と会わないこと、喋らないこと、外に出ない事でのデメリットもあります。

例えば、口を動かさないことは、口周りの筋力低下や、唾液の分泌の低下、食事の際の消化や臓器への負担などにもつながります。(高齢者は嚥下のしにくさにもつながりますね。)元気な時はさほど影響もないのですが、孤立が長期に及んだり、心身の全身状態が思わしくない場合は全身状態にも影響があったりしますので注意が必要だと思います。

外遊びが少ない場合は、汗をかく機会が少ないと、体温調整が苦手になると、熱中症も起こしやすくなります。

日光不足も、免疫にダイレクトに影響します。日光を浴びると、皮膚でビタミンDが生成されます。ビタミンDは食品に多く含まれていないため、日光を浴びないと不足する可能性があります。ビタミンDは、様々な病気を予防したりするので子どもの免疫城、とても必要なものです。

ビタミンDを生成するために必要な日光浴の時間は、地域や季節、天候、時刻、皮膚のタイプなどによって異なりますが、目安としては、夏であれば15~30分程度、冬であれば1時間程度です。

我が家では、日光不足を感じたら
・日当たりの良いところで読書をしてみる。
・外でお弁当を食べてみる。
などを工夫しています。

運動不足は、部屋でボクシング、外ではキャンプや登山、プールに行くなど、できるだけ取り組んでいます。外で子ども同士が遊んでくれている日はとても助かります。

不登校が陥りがりな生活スタイル。運動不足、日照不足、コミュニケーション不足。でも、基本的には「好きな事」をしたり、「心地よい」状態で自分がいるとストレスが少ないので、基本的は元気で過ごすことができそうです。問題が小さなうちに微調整して乗り切りましょう!

成功者はちっとも優秀でない!?

成功とは何を持って成功とするのかは、人によって異なると思いますが、考え方を柔軟にする1冊の面白い本があります。

「不登校は一人前の社会人になれない」は思い込み!

「○○じゃないと○○できない。」の思い込みを外す一冊・・・

・成功者は優秀――?
NO! アメリカの大富豪の大学での成績はよくない
・成功者は社交的――?
NO! 第一線の専門家やトップアスリートの9割は「内向的」
・成功者は健康――?
NO! シリコンバレーの成功者の多くは精神疾患スレスレ

精神疾患を肯定否定したり、不健康を推奨したりするのではありませんが、一旦、引きこもろうが、不登校になろうが、人生においていわゆる「成功」かどうかには関係ない、ということです。

小学校、中学校で必要な社会性

小学校、中学校で社会性を学ぶ。そういうことはよく言われています。私もそうするものだと思っていました。不登校になると、社会性が育たないのか?

そうは思いません。社会性は、学校以外でも育ちます。

会社に所属すると、会社の中でのうまい立ち振る舞いや人付き合いなど、またビジネスにおいての他者とのコミュニケーションも必要です。でもそんなの、もっと大きくなってからでいいのかもしれない・・・。

学校に行って、お友達とも仲良くできて、テストもそこそこで・・・・そうじゃなくても大丈夫!まず、親がそう言うマインドになることも大切だと思いました。

不登校になると、未来を悲観しがちですが、子どもの行動や選択を、今の時点で「良い」「悪い」のレッテルを貼らず、長い目で見て、子どもの心と体のサポートが出来たらと思います。

不登校児にコミュニティーは必要か

コミュニケーションが不要だとは思いません。周りの多様な考えや価値観に触れることで、子ども自身の考えや生き方に多様性が生まれ、命の持続可能性があがると思っています。

不登校児自身にコミュニティーは必要かと言う問いは、私はまず、親がどこかのコミュニティーに所属していると、いいことが結構あるのではと思います。

しかも、大きなコミュニティーでなくてもいいんですね。私は、大きなコミュニティーに所属はしていなくても、2〜3組の不登校ママさん達と助け合うことで、不登校の辛さを乗り越えることができました。

私の体験談は

・子が不登校になり、親も悩み、1人でなんとかしようと苦しんでいた。

2〜3人の不登校当事者ママさんと定期的に会い、情報交換をした。

・不登校児の子育てについて共感しあえる。

・困った時は少し不登校サポートを親同士で助け合える。

・不登校の暮らし方の情報やキャリアデザイン情報を交換できる。

・未来を悲観しないで良くなった。

・親自身が不登校という生き方や「今」の自分や我が子の状態を肯定できる。

問題は解決していなくても、それに対して1人で頑張らなくてもいいと思えるようになった。地域の人と情報交換しながら、問題点について前向きに話せたり、建設的なプランニングができるようになった。

安心して毎日を過ごせるようになった。

と、こんな風に小さなコミュニティに所属することで、暮らしや心が変化してゆきました。

「自分の輪郭」を手探りで探す経験

現代っ子は0歳から保育園に預けられ、「社会」「コミュニティー」の中で生きていくことを強要されます。

現代は、「社会」も「情報」も、大洪水のように有無を言わせず子どもに押し寄せてきます。

知人に、生まれてから大きくなるまでほとんどの期間を人里離れた山小屋で過ごした人がいます。NHKのドキュメンタリーにもなりました。

アイヌ語で「林の奥へ続く道」を意味すると言われる「タイマグラ」。そこに住む彼は、人里離れた森の中の山小屋で過ごした幼少期を経て、大きくなってから外の社会とつながりました。
https://www.nhk.jp/p/ts/L2GZXY5VGJ/episode/te/2LL3KW81GY/


神楽の舞い手として弟子入りした彼は、伝統芸能の伝承を通じて地域と自分のペースで、「社会」や「地域」と言う外の世界と繋がってゆきます。まるで暗闇の中を一歩一歩、手探りで進むように。

「自分の住む世界を広げていきたい。」と彼は言いました。

何かの目的があって初めて、
「社会とつながりたい。」
「自分や世界というものを、もう少し知りたい。」

そう、子どもの内側から溢れ滲むものがあって初めて、社会に交わってゆくのでも遅くないのだな、とそのドキュメンタリ映像を見て思いました。

外の世界を少しづつその手で確かめながら掴んでゆく、そして自分と外との境界を感じたり、融合させたりしながら「自分の輪郭」を手探りで探す経験作業。情報が溢れる現代において、たいへん貴重な体験映像でした。

自分自身と過ごす時間

不登校もそうですが、意外と1人の時間を長く過ごして「自己対話」をたくさんした子が、考えや自分の軸がしっかりしていたりもする例をよく聞きますす。

不登場は暇だし、誰とも話さず、自分と過ごしている時間が長いメリットもあるようです。

あるお母さんは、2年生で不登校になり、3年生になった今では、親の職場についていくかどうかを子どもに聞くと、最近では家で1人で過ごす楽しみも覚えたようで自宅で過ごしているとのこと。(フリースクールにも週2回通っている子です。)

コミュニティに積極的に属さない子を決して、否定せず、その子のペースで社会、コミュニティーに交わる「その時」を、じっくり、ゆっくり、見守ってはいかがでしょうか。自分はどう感じているのか、どうしたいのか。そんなことを誰にも否定、強要されない自由な子どもの思考時間。すでにそこに広がり初めているかもしれません。

ただ、外遊びや体を動かす機会、思い切り遊んで発散する機会がもっと欲しいですね。それは不登校児に限らず、高齢者や働く大人など、車社会において全ての地域住民にとっての共通課題です。

次回は、不登校を経験し、家族が先生でありクラスメイトになった小学生の不登校インタビューをお届けします。

大きな何かに所属しなくとも、家族や森といったものも、社会やコミュニティーと言えるのかも。

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