コルシア書店の仲間たち
"若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かって私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。"1992年発刊、日伊翻訳者として知られた著者62歳の時の2冊目となる本書は、共同体の日々を回想した珠玉の一冊。
個人的には、日伊翻訳賞に名を残し、没後20年にあたる2018年に脚光を浴びていた時に読み直そうとしつつも果たせなかった事から、今回あらためて手にとりました。
さて本書では、著者が30代の頃に住んでいたミラノにあった、サンカルロ協会の物置を改造した小さな書店【コルシア・デイ・セルヴィ書店】に何らかの関係のあった人びとが、章ごとに【一応の主役となって立ち現われて】はスポットがあたるのを繰り返す構成になっていて。読み手は回想を傍で傾聴するというより、著者の視線を通し、【一緒に生き直す】ようにエピソードやゴシップの日々を近くに感じる事になるわけですが。"私のミラノは、狭く、やや長く、臆病に広がっていった。パイの一切れみたいこの小さな空間を、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり"(P64)と記すように、著者のごく狭くも【輝き、満ち足りていた日々】が絶妙なバランス、文体で描かれている事に感心させられました。
また一方で、私自身が、若い時はアートスペースというかバーのような空間を。現在は大阪にて本のスペースを共同体として運営して、気づけば10年以上たち中年になっている事から。著者が小さな書店にして共同体【コルシア・デイ・セルヴィ書店】で関わりの出来た、リーダー格の大柄で人間くさいダヴィデ神父、夫となるペッピーノ、小柄で上品な老女ツィア・テレーサ他、様々な"よくわからない"人たちが囁いたりしていた様子を老年に差し掛かって振り返る眼差しは『やわらかいのに立っていて』(大竹昭子評)自身の過去と重ね合わせて何とも共感し【今のタイミングで】本書と"出会って"本当に良かったなとしみじみと思いました。
イタリア好きな方や、共同体としての書店に興味のある誰か。あるいは人生の午後に、かってを振り返りたい誰かにもオススメ。