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自分を本当に幸せに出来るのは、自分の「本音」という世界で一番クソ厄介な存在と向き合う「覚悟」です。

このnoteでは「本気になる」ということについて書いていきたいと思います。

結論、私が思う「本気」とは、「成し遂げる覚悟」が決まった状態です。

例えば、30歳のサラリーマンが、将来はなんとなく海外に住みたいな〜という願望を持つとします。
しかしそこに、海外に移住する時に伴う下記のようなリスク達が立ちはだかります。
・仕事を失うリスク
・家族を失うリスク(一緒に来てくれないかもしれない、移住先でうまくやれないかもしれない)
・交友関係を失うリスク
・財産を失うリスク(移住先で仕事が見つけられなかった時ただ引っ越し代や手続きのお金だけかかることになる)
(…もっとあるかと思うのですが、私が思いつく限りはこんな感じでした…。)
ここでいう「本気」とは、海外に移住する上で考えられるリスクを把握し、払わなくてはならないかもしれない代償を払うことを決断した上で、
海外に移住する、という自分の望みとそれにより発生するデメリットを天秤にかけて自分の中でどちらを選ぶかを決断することです。(と私は思います)

なので、ここで海外に行かない、と決めることも「本気」のうちの一つです。
それは、今いる「ここ」にとどまって生活を営む覚悟が決まった状態です。

いやそんなん言われなくたってそりゃそうだろ、って感じですが、
私個人的に、この、「覚悟を決める」というアクションが上手になることで、自分の人生を満足度の高いものに出来るのではないか、と考えている、ということを書いていきたいです。

「やる」にしろ「やらない」にしろ、それを選ぶ覚悟さえ決まっていれば、納得して先に進めるので、自分が選んだ道に満足している状態だといえるのではないか、と私は思います。
もちろん、生きていれば自分は変わっていくものなので、この人生、途中で方向転換し放題パラダイスです。
その方向転換も、自分がそうする覚悟さえ決まっていれば、自分を幸せにしてくれる道であることは言うまでもないと思います。

しかしながら、「なんとなく」で自分の道を選んでしまうと、
一生「やらされてる感」に苛まれるのではないでしょうか。
「なんとなく」の中にはきっと、「皆がこうしてるから浮かなくて済む」「一般的にはこうだから誰にも目をつけられずに済む」「一番楽だから」「波風立たないから」みたいな小さな理由があるのだと思います。
それらの小さな理由達の中に、自分の中でどうしても外せない、大切にしている信念というものがあって、(例えば絶対「普通」でありたい、人と同じでいたい、みたいな願望を強く持っている人もいると思います)
それを貫く覚悟が出来ているなら全く問題ないと思うのですが、
そうではなく、なんとなく、考えるのめんどくさいから、自分に向き合うのが手間だから、そうしているのであれば、
おそらく自分で選んだ道にもかかわらず、「やらされてる感」はずっとついてくるのではないか?と思う次第です。

そもそも、大勢を統合するようなパッケージ化された教育を受けて、
ある程度のドレスコードを定められたこの世界で生きていると、
大切なのは自分がどう思うかではなく、社会の中でどう上手くやるか、(モテまくりたい、人より裕福でいたい、など)が大切なんだ、という価値観が生まれると思います。
そうなると、一番厄介なのは自分の「本音」という状態になりかねないような気がします。(曖昧すぎるだろ言い回し)
しかし、自分の「本音」以外の何者も、自分を幸せにすることは出来ない、と私は強く感じています。
どんな素晴らしい本にも教えにもクソほど魅力的な性的対象も自分を幸せになんか出来ません。(言い切ってすみません、私はそう思います)
自分を本当に幸せに出来るのは、自分の「本音」という世界で一番クソ厄介な存在と向き合う「覚悟」です。(と私は思います)

なので、まず自分の本音と向き合い、自分の腹の底を把握する、
そこからその腹の底からの願いを叶える覚悟を決める=本気になる、
と、自分が望んでいることを自分で叶える、というシンプルなことが出来るようになり、
そのシンプルの積み重ねで、自分の人生に自分の思う通りのアクションが積み重なり、
結果、満足度の高い人生になる、幸せになる、ということだと私は考えます。

なので、個人的には、日頃から覚悟スイッチをガバガバにする練習を行っています。
(最初から最後まで、私の独断と偏見なので、医学的科学的根拠等は一切ありません)
その練習方法とは、日頃から出来るだけ多く「納得する」ということです。
そしてそのために「言語化」する習慣は欠かせません。

例えば、会社で本当は健康のために自分で作ったお弁当を食べたい。
でも朝も夜もそんな時間が無いし心の余裕的にキャパが無い。
自炊弁当とコンビニ弁当を天秤にかけた時に、
自分の心の余裕を保つために、今日は楽をしよう!コンビニ弁当にしよう!
と、心のバランスを保つことを優先する、と自分で言語化して納得すれば、お昼にコンビニ弁当を口にしても納得して食べられるよね、という話です。
(コンビニ弁当が悪いって言ってるんじゃないです全く。(普段めっちゃ食ってます)まじであくまで例えです)
もしここを、「うーんなんとなく今日はコンビニ弁当でいいや!」とするとランチタイムに「コンビニ弁当なんか食べてだめな自分」「私は自分に甘いから一生健康になんかなれないんだ」みたいな発想が生まれかねないかもしれません。
何かを得る、ということは、何かを失う、ということです。
失うかわりに得ているものがあるはずなので、失うものと得るものを天秤にかけて、どちらを選ぶか決断する覚悟を決め、納得さえ出来れば、
ストレスを感じなくて済むんじゃないかな、と思う次第です。

こういうことを言ったりすると、
「お前はそれでいいかもしれないけど私は違う」
みたいなことを言われたりするので、人は千差万別!もちろん全ての人がこれでOK!というわけでは無いですし、
前述した通り私の独断と偏見なので、科学的医学的根拠無いので、ご承知おきください。

毎回思うけど、例えめっちゃ下手じゃね!???

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