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正解の無いグレーな中で「どうすればよかったか?」を考えていくというのが、現実世界をエンターテインメント化しないためのアクションだと思う

先日、ずっと観たかった映画を観てきました。

結論、非常に素晴らしい作品でした。
監督、その他制作スタッフ陣による、この作品を世に公開するまでの道のりや年月、そして実際に公開まで達成したという事実こそ、胸を打たれるポイントでありました。
こういう作品にお金を払いたかったのだ!と膝をぶん殴りたいような衝動に駆られ(だいじょぶそう?)ました。

この作品は、タイトルにも表現され、また作品冒頭でも断りがあったように、
正解を定義づける、あるいは誰かを批判するために企画されたものではない、との製作陣の意思表示が注意深く張り巡らされていたように思います。
その結果として、実際に私を含め映画の感想を発信している内容の中にそのような製作陣の願いに反したものがゼロかと言われるとそうではないですが、だいぶ観る側も配慮されているように感じます。

この配慮こそが、本作をエンタメ化せず、あくまでドキュメンタリーとして発信したかった製作陣の努力であり評価されるポイントであると私は感じました。
共通の敵を叩く、という行為は、エンターテインメントの体現だと私は思います。(あくまで私は、の持論です。)
分かりやすい例でいけばアンパンマンという作品において、バイキンマンという悪役を皆で力を合わせてやっつけるという描写は、まさしくエンターテインメントの典型例なのでは無いかなと思います。
なので、本作のように出演者が実在する人物である場合には特に、エンターテインメント化しないさせないための配慮が必要であり、それが注意深く対応されていたというのは適切なあり方だったのではないかなと思いました。

それに対して、最近のニュースはやりたい放題エンタメ化されていると個人的に感じます。

例えば、最近の大きなニュースとして、権力を持った芸能人や業界人がビジネスの場で不適切な行動をしていたとのことで連日報道がされているかと思います。
また、そのニュースと直接的な関連性は無いですが、法政大学でハンマーを振り回した女子大生が「ハンマー女」といったような表現で報道されたりもしていました。
さらにこれは特定のどのニュース、というわけでは無いですが、芸能界での不倫、アイドルのお忍びデートなども、(その知名度にもよりますが)連日報道されるニュースなんじゃないかなと思います。

こういった、「叩いて良い人」「ボコボコにして良い人」みたいな人を見つけて、とにかく自分が正義になりきって
「前から思ってたんですけどこの会社は・この人は実は〇〇な部分で問題があったわけですよ〜」
「こういう〇〇な特徴を持つ人はそもそも危険なんですよ」
みたいにとにかく自分があたかも当事者かのように、全知全能の神かのように、人を裁く正当性があるかのように意気揚々と発する人をよく見かけます。
(全く関連性のないセミナーとかでこのようなトピックについて延々話す人とかいますよね)
叩いて良い(と勝手に定められた)人を正義の顔をして叩く、これってめちゃくちゃエンターテインメントの最悪な一面だなと個人的に思います。

(断っておきますが、特定のニュースに関して、どちらかを擁護するつもりは毛頭ございません。)
しかしながら、現実世界というのは、白黒はっきりつけられないことばかりのグレーな世界です。
そもそも正解、不正解など決められないことが多い中で、誰かを悪者に出来るなんていうのは非日常的な快感です。
しかしその快感を貪った場合どのような結果をもたらすかに鈍感でいるのは、何の成長機会も発展性も無いと感じます。

グレーな中で「どうすればよかったか?」を考えていくというのが、現実世界をエンターテインメント化しないためのアクションである、と強く思います。
そもそも「他者」という別の宇宙の住人のような未知の存在と平和に共存していくのであれば、お互いの違いを受け入れる努力が必要です。
お互いの違いを受け入れる努力をしたいのであれば、現実世界とエンターテインメントとの境界線に自ら責任を持つ必要があると、私は思います。

まあでもこれは私の単なる娯楽noteなので何の信憑性もなくただの独断と偏見ではありますが、
白黒つける快感を貪り思考停止するくらいだったら、
グレーな中で「どうすればよかったか?」を一生哲学した方が、私の好みだということは確かです。
そう思わせてくれた最近のニュースと「どうすればよかったか?」に感謝です。

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