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忍耐の(俺流)適切な使い方

先日まじで尊い小説を読みました…。

本作は、主人公Xがめちゃくちゃ熱心なキリスト教徒である母親の教育に反発しながら過ごす思春期を描いています。
恋の素晴らしさ、人と関わることの残酷さ楽しさ、そしてニッキー・ミナージュやチャンス・ザ・ラッパーなど、今をときめく詩人たちから言葉の偉大さを学び、自分の気持ちを詩という形で表現することで、
母親(キリスト教)の教えに反する罪悪感から自分を開放し、自分自身を認め許していく…という成長物語です。
最後はものすごいスピードでとんとん拍子でハッピーエンドになっていくので児童書ならでは感ありましたが、別にそんなのどうでもよくて、中身っすよ中身、本当に素晴らしかったです。


さて、このnoteでは上記の「詩人になりたいわたしX」のある場面で母親が言うあるセリフに着想を得て、
私が個人的に思う、「忍耐の適切な使い方」について書いていきたいと思います。

まず「詩人になりたいわたしX」のある場面で母親が言うあるセリフとは、
「あなた(主人公、X。自分の娘)は私の長い我慢の日々のご褒美よ」
(一語一句本文と同じでは無いですがこんな意味)です。

本の中では、主人公の母親が放つ、
冷え切った結婚生活や、ビザの関係上結婚せざるを得ず、修道女になれなかった未練や不満?みたいな気持ちがないまぜとなったセリフとして描かれていました。

忍耐って、何か目標を達成するためには必要不可欠な、大切なアクションだと思います。
しかし、(個人的に)取り扱いが難しいと感じるので、ルールを設定した上で実行するのが良いよなあ、と思う次第です。

ではそのルールとは何か?ですが、
・忍耐の期間を設定する
・忍耐の目的を常に確認し続ける(見失わないように自己管理する)
です。

そもそも、なぜこれをやるのか?という目的や目標を忘れてアクションだけ実行し続けることほど途方のない時間の浪費は無いでしょう。
(趣味に没頭するなど、娯楽や癒やし、回復のための時間は別だと思いますが)
盲目的に何かにがむしゃらになることにはリスクがついてくると思います。
特に忍耐は、短期間ではなく長期間を要する場合が多く、長期間盲目的に何かにがむしゃらになってしまうと、
まず自分が生産性の無い状態に陥っていることに気づきにくいのと、
そこから軌道修正するのに時間がかかる
というリスクが発生することが想像しえます。

盲目的に何かにがむしゃらになることのリスクはもう一つ挙げられます。
(勿論これも私の独断と偏見ですが)
それは、「自分で自分から主体性を奪い、お客様目線で生きる」ことに繋がる、ということです。
盲目的になる=これさえやっていればどうにかなる
という考えですが、そもそも実行するのが自分である以上、自分が望むような結果が得られるかどうか(目標達成するか否か)は自分次第です。
つまり、最初から最後まで自分の責任です。(めっちゃ当たり前ですが)
なので、「これさえやっていればどうにかなる」かどうかは「自分次第」であって、「どうにかなる」と確信する時点で、主体性を手放し、何かしらの他力に頼っている(書籍なのか超自然的なパワーなのかわかりませんが)可能性があります。
一見、盲目になってしまえば楽なのですが、
前述した通り、盲目になった後、また軌道修正しようと思うと修正が大変です。
(やる気次第で自分でいけるとこまでは何とでも出来るとは思いますが)
なので、最初から盲目的にならぬように気をつけておく必要があるかと思います。
思わず盲目的にがむしゃらになりたくなる衝動を抑えて、
いつまでやるのか?
なぜやるのか?
を自分と話し合った上で、トライアンドエラーしていくほうが、より納得して楽しく物事に挑戦出来るのではないかなと思います。

なのでまとめると、忍耐を実行する場合は、
・いつまで忍耐を実行するのか?
(ある途中地点の目標達成までなのか、一定の成果が出せるまでなのか(じゃあその成果は具体的に何?)等)
・何のために忍耐を実行するのか?
を常に自分のルールブックとしてぎゅっと握りしめておくことが特に大切だなと思う次第でした。

そんな私が最近がむしゃらになって挫折した経験は、
ゲームで強い敵に立ち向かう時に、持ってる武器の全弾ヘッドショットすりゃ倒せるだろうと時間かけて実行して倒れなかった時、挫折しました。(くだらねー)
もうすべてが嫌になって(それくらいですべてが嫌になるなよ)ネットで攻略見たら、そもそもその敵は倒せないので逃げるしかない、ということでした。(一定まで逃げたらイベント発生して次に進めたらしい)
弾を全部頭に当てるまで何度もやり直しした時間、もったいねー!
(次からは一つの戦法で何回トライするか?そもそもゲームを進行するために実行しているのであって全弾ヘッドショットするために実行しているわけではない、みたいにちゃんと整理して臨みたいと思います)

最後に余談ですが、先日うちのネズミが死にかけました。
(今もかなりまずい状況ですが)
色々な病院を木金土とたらい回しにされ、最後の最後に、手術は出来ないけど東洋医学でアプローチ出来る、と言ってくれた病院にすがる思いでかかったら、なんと、症状が良くなりました!
なんかこういうとこよな、と思いました…。
15件くらい電話かけましたが、もう死にかけているモルモットを担当したくない(飼い主に騒がれたくない)みたいな気持ちがにじみ出た対応をされまくって大層心折れかけたんですけども、
中には、受付で断られた病院から改めて獣医から病院を紹介してくれたりなどしてくれたところもありました。
緊急度とリスクの高い、でも力を貸してほしい!と言ってるユーザーに対して出来ることと出来ないこと提示しつつ、出来る範囲で全力でやりますよ!!と言えるのがプロじゃね?と改めて思い、そういう社会人でいたいな、と心から学ばされました。
ネズミは、症状は良くなりましたが、弱りきってご飯を自力で食べられないので、毎朝・晩、お薬投与と強制給餌、そしてお灸(めっちゃかわいい)をして何とか介護しています。
何なら食べられるんかな…ひとりでも食べやすいものを模索中です。
寿命もあるので、覚悟はしているんですが、やっぱりどうしても、まるちゃんいかないで、私をひとり置いていかないでと、どうしても縋ってしまいます。
エゴです、分かっているんですが、人生で大切な人が死ぬことほど寂しいことってあるでしょうか。私にはこれ以上寂しくて恐ろしいことがこれ以上思い浮かびません。考えないようにしていますが、まるちゃんから放たれる匂いが、なんだか今までの元気だった時と違って、ああ、多分まずい状況なんだな、ということがわかるような匂いで、すごく辛いです。
いや、辛いのは私以上にまるちゃんでした。いや、あまり考えないようにします、今出来ることをやります!!!!!!
まるちゃんが快適に過ごせるように、出来ること何でもしたいと思います。
なんか湿っぽい話になりましたが、そんな近況でした。

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