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ターシャのこと

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昭和から平成、令和と精一杯生きた母の記録です。拙いけど、読んだ方がご両親への想いを馳せ、人生とは、と考えるきっかけになれば幸いです。
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ターシャのこと(6)

ターシャのこと(6)

このnoteのターシャのこと(1)で書いたように、母ターシャは姪の赤ちゃん、つまり曽孫に会いに行き、病院を出る駐車場で転倒し、そのまま姪の入院している反対側の病棟に大腿骨骨折で入院した。顔も打ったので鼻骨か眼窩あたりに(私が細かくは把握していない)ヒビが入り、面会に行くとデビルマンのように酷い顔だった。
まさかねー、転ぶとは思わなかったわー、やーねー。
痛いだろうに脳天気な言葉が返ってきた。
可愛

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ターシャのこと(5)

ターシャのこと(5)

発見が早く、梗塞部位と程度が幸いして、ターシャの命に別状はなかった。
延命治療を望まない意思を、病院の問診時に残したのもこの時だった。
左側に痺れが若干残ったようだが、リハビリをし、退院してからは家に戻ってきた。実家のターシャの居住空間は主に2階で、1階からは階段を壁に手をつきながらゆっくりと登れば登れるが、下りはお尻でゆっくり降りることになった。この頃手すりを家の要所要所につけたり、杖を買ったり

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ターシャのこと(4)

ターシャのこと(4)

先生は私と父セバスチャンにレントゲン画像を見せながら病変部位を差していった。セバスチャンはその頃胸の痛みがでてきていたが、まだ自転車に乗れるくらい元気だった。
ここに癌がありますね。そのせいで肺が膨らまずに残った部分だけで呼吸している感じです。何もしなければもって3ヶ月と言う所です。ご高齢ではありますが、お年のわりにお元気ですし、痛みをとる目的で放射線治療をおすすめしますがどうしますか?
この時、

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ターシャのこと(3)

ターシャのこと(3)

母ターシャに胃癌が見つかったのは今から10年位前のことだった。
子供の頃はバレーボールをしていたこともあったが、ターシャは大人になってからスポーツは全くやらず、元来の骨太な骨格にお肉がついていて、常にふっくらしていた。昭和の女優京塚昌子のような肝っ玉かあさん体型。あんこが大好き。食べ物を粗末にしてはいけないと言われて育ったので、食事は体調が悪くなければ残さず食べる人だった。筋肉質で痩せ型のセバスチ

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ターシャのこと(2)

ターシャのこと(2)

私の母、ターシャは昭和初期の生まれだ。子供時代は戦争により世の中が急激に変化し、父セバスチャンとは四つ違いだったが、父のその頃よりもだいぶ物資が滞り、紙がなくて新聞の開いた真ん中を切り取って学校へ持っていったと言っていた。
ターシャの父は戦争に駆り出され、母は女手ひとつでターシャとその兄と妹の3人の子を荒物屋を営みながら育てたそうだ。物のないこの時代に20代でワーママでワンオペ育児をするしかなかっ

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ターシャのこと(1)

ターシャのこと(1)

ターシャ、というのは私の母のことである。ちなみに父のことはセバスチャン、兄はミーシャと呼んでいる。
ターシャは明るくて、話好きで、世話焼きで、マイペースでちょっと「あたしんち」のおかあさんにも似ていた。
縫い物が得意で私の子供の頃の服はほぼターシャのお手製だった。縫い物以外は割と大雑把で世間知らずだったが、几帳面でいささか気難しい所のある父、セバスチャンとは仲が良く、あの2人だからこそ夫婦だったの

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