自分の生きづらさの本質って何なのか?
ちょっと記事投稿のペースがかなり遅くなってはいますが、先日7月11日(セブンイレブン)の日に誕生日を迎えたということで、ちょうどいいきっかけで記事を書こうと思います。
気づけば42歳になりました。
noteの投稿をし始めたのが、ちょうど2年前。
40歳の時でした。
きっかけはバセドウ病になって休職したこと。
奥さんの「ブログでも書いてみたら?」という一言から、休職期間中一気に記事を書いていました。
あれから、2年。
先日投稿した記事で、東京から福岡に帰って、仕事復帰したけどメンタル落ちちゃったという投稿をしていました。
今日はその後の経過と、生きている中でどこかずっと感じていた生きづらさ、そして次の挑戦について書こうと思います。
長文になるかと思いますので、興味ある部分だけでも読んでいただけたら幸いです。
1,福岡へのカムバック。バセドウ病の悪化、うつの発症と発達障害の可能性
福岡へ帰ってきたあと、私は、バングラデシュの革製品OEM新規事業の立ち上げをする担当になりました。
東京で発症した適応障害もかなり落ち着いていたし、実家もある福岡に帰ってきていたので、気持ちにも余裕がありました。
いままでやったことのある仕事内容の総まとめのような仕事だったし、まずは自分一人でやっていることから、ある程度自分のペースで仕事ができていました。
ボーダレス入って、今回で新規事業の立ち上げに関わるのは3度目。
自分が主になるとはいえ、大丈夫だろうとやっていたんですが、仕事のギアが上がり、5月頃からだんだんと不眠に。
不眠が続いた結果、徐々にメンタルの状態も悪くなっていきました。
不眠は3か月近く続き、どんどん自分自身ができていないとマイナスの思考ループになっていきました。
極限までいった結果、ちょっと気に障ることがあると家の奥の部屋で壁を殴りまくる、具体的に自殺の方法を考える、衝動的に家を飛び出す。
など、さすがに赤信号が点滅していました。
いくつかメンタルクリニックを探したのち、ようやく見つけたクリニック。
そこの先生と薬が合って、なんとかこうやって落ち着いて記事をかけるくらいになりました。
落ち着いた後に奥さんと話したときに、
「症状がひどいときは、本当に別人だった。」
というほどの状態だったそうです。
気づけばバセドウ病も悪化し、ひどいウツ状態に。
自分でも抑えきれないくらいの何かが積みあがって現在の状況になったのはなんでだったのか?
それがある種全く見えず、今回は本当に苦しい気持ちでした。
そんな中、現在通っているクリニックの先生に言われた言葉で、これまで生きてきた中で漠然と感じていた
”生きづらさの本質”
が少し見えたように思いました。
2,誕生日を迎えてみて、振り返る”生きづらさの本質”
現在通っているクリニックの先生が言った言葉、それは
「ADHD(発達障害)の特性が、ある種生きづらさを生み出している可能性もあるね。」
でした。
ADHDで主に見る特徴として
・注意欠陥(忘れ物が多い、物をすぐ無くす、ケアレスミス)
・スケジュール管理が特に苦手(後回し癖、納期に追われると極端にストレスを感じる)
・落ち着きがない(集中力がない)
・マルチタスクが苦手
・好きなことはいくらでもやれる
・好奇心が強い
・発想力がある
・フットワークが軽い
などがあります。
よくよく考えてみたら、司法書士事務所時代からその特性に合わないことをかなりやってきたなーと。
司法書士事務所では、書類作りが大切、もちろんケアレスミスはダメ。
自分でスケジュール決めて、いつまでに書類を作るか管理も必要。
いろんなことやってる事務所だったので、司法書士関連、行政書士関連、土地家屋調査士関連と多岐にわたったことをやることは好きでした。
あとは、人の話を聞くことはとても好きだったので、お客様とちょっとしたタイミングでお話しするのは好きでした。
そして、ボーダレスに入ってから、
ビジネスレザーファクトリーでの商品開発は、かなり細かいところまでこだわって作る必要があります、でもどうしても私が苦手なところで、詰めが甘い状態が続いていました。
もちろん発売までのスケジュール管理もしないといけません。
革の色を決めたり、商品開発も何個か同時並行、金具を何にするか、関係各所との連絡、などなど、苦手なことのオンパレード。
ただ、それでもアイディアを考えることや、新しい物を考えることは好きでしたし、開発をする上で協力してくれる方を探したり人と関わることは好きでした。
その後、UNROOFに転籍して、上記の仕事にプラスして、
・工場のオペレーション構築
・工場のマネジメント
もやるようになり、負荷はマックスになって初めて大きく体調を崩しました。
バセドウ病や適応障害を発症し、トータル半年程度の休職。
福岡に帰ってきてからも、OEM事業は上記の苦手なことオンパレードの極みの中だったので、回復したての自分には負荷が大きかったようでした。
結果、極限のところまで落ちてしまいました。
ずーっと10数年感じてきた、なんとなく自分が自己肯定感が低いこと、どこか”生きづらさ”を感じること、その本質が今回のことで垣間見えた気がしました。
はっきりとした診断を受けたわけではないですが、それでも”自分の特性からくる”生きづらさが見えたことで、じゃあどうすればいいかを考えられるようになりました。
それと共に、はっきりと障害と言われたわけではなくても、いわゆるグレーゾーンにいるからこそ、外には見えず、自分でもいまいちはっきりとした理由もわからず、ものすごい生きづらさを感じてる人ってきっとたくさんいるんだろうと、自分自身が体験することでより感じました。
3,人に対する感謝
もうあと一歩で死のうかとまで考えていた状況を経て、やっぱり感じるのは、それでもギリギリで生きようと思わせてくれた家族、そして会社の仲間やこれまで出会った友人、仕事を通じて知り合った知人のおかげだという感謝の気持ちでした。
どちらかというと人から好かれるし、相談されるタイプの私。
人から相談を受けたとき、いつも言うのは
「あなたは、そこにいるだけでも価値がある。」
ということ。
人には言えていたのに、いざ自分のこととなるとそれを自分に言ってあげられませんでした。
そんな自分をいろいろ言わず、もっといい病院がないかと一生懸命支えてくれた奥さんやいつも笑顔で元気に声をかけてくれる息子がいてくれたことが、ギリギリ私の気持ちを止めてくれました。
すぐそばにいてくれてよかった。
薬も効いて気持ちが落ち着いたとき、そう心の底から思いました。
でも、いざ”死にたい”と思ったときに、誰でもが誰かに話せるかというとそうではないよなと、とても強く感じました。
私は、奥さんに最初その状況を話すことで、じゃあどうすればいいかと共に考えてくれるようになり、今の状態まで回復できました。
それでも、
「こんなことを話したら、重荷になるかもしれない。」
とぎりぎりになるまで言えませんでした。
じゃあ、一人で暮らしている人は、そんなことを言える人がいるのか?
一人じゃなくても、ちょっと吐き出せる場所ってないのか?
正直そんな場ないよなーというのが自分の気持ちでした。
自分がその状況になってみて、恥ずかしいとかいろんな気持ちで”言えない”という状況をなんとか変えたいと思いました。
だから、noteにこれまでの状況を正直に書くことで、会った人には嫌にならない範囲でオープンに話すことで、
「ちょっと話してみようかな」
と、ギリギリになる前にそう思えるかもしれないと、記事を書くことにしました。
自分は、最初はやりたいと思っていたことが、だんだんと周りの期待に応える”義務感”ばかりになってしまっていた、そんな気がします。
だから、その中で、周りに弱音は吐けない。そんな気持ちになっていた私。
きっと同じような状況にある人って結構いるんじゃないだろうかと思いました。
4,これからの挑戦
これからの挑戦という見出しですが、まずは”心と体の健康が第一”。そう思っています。
人を幸せにする前に、自分自身が幸せなのか。
それっと本当に大切なことだと感じています。
じゃあ、今後何をしていくのか?
まずはやっぱり
「やりたいこと・やれること」
を中心、やっていこうと思います。
人それぞれ、得意・不得意、好き・嫌いはあります。
苦手なことが主軸のことを続けていたら、自分自身もつぶれてしまうし、結果会社にも社会にも貢献できないように思います。
どこか違和感を感じて働いているのでは、もしかしたらそれは無理をしているのかもしれません。
変な凝り固まった義務感じゃなくて、いい意味で「自己中心」で考えることが大切だと。
でも、どんな職場でも、好きなことやらせてくれと言って、やらせてくれるわけではありません。
私は、運がいいことに、復帰してから本当にやりたいと思っていたことにチャレンジさせてもらえそうなんですが。
詳しくは、復帰してからお伝えできればと思いますが、自分が好きだし、得意な
・人と話をしたり、人の相談をきいたり、人とつながり、つなげること
・大好きなボーダレスのことを人に伝えていくこと
・写真
を中心の仕事をやっていくことになりそうです。
UNROOFにいたときにたくさんもらった私の一番大切な価値観、
「誰にだって価値はある。」
という言葉を実現していけるよう、自分のペースで自分を大切にやっていこうと思います。
私自身が、”生きづらさ”を解消していく姿を発信していくことで、それ自体が何か生きづらさをなくすきっかけになればいいなーと。
ということで、これからもマイペースに自分のことをできる限りオープンに発信していこうと思います。
大した内容書いていないこの文章を見てくださった皆さん、そしてすでにつながっている皆さん、本当にありがとうございます。
できる限り自然体で、無理せず生きていこうかと思うので、引き続き見守っていただけたら嬉しいです。
ではでは、また思いついたら突然記事を書こうと思いますー。笑
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