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『染み』に我が友を思う鬱病pizza―お帰りのハイタッチがしたい―

現在配信中のKing&Princeのアルバム『Re:ERA』の中に、
『染み』という永瀬廉のソロ曲がある。

※各サブスクでも配信中。


King&Princeがエージェント契約しているSTARTO ENTERTAINMENTの事情に詳しい方は、きっと私なんかよりもこの曲の背景をよく把握していると思う。

この曲は、永瀬廉が大切にしている、関西jr.からの同期である西畑大吾(なにわ男子)、正門良規(Aぇ! group)と共に作った曲。
作詞を西畑が手掛け、ギター演奏を正門が担当。2人はコーラスにも参加している。
3人の関係性がうかがえ、事務所に入所してから今までの3人のストーリーが思い浮かぶような友情、青春ソング。
この3人の絆を知るひとにとって、特にアツい曲となっている。

私は、永瀬廉をjr.の頃からリアルタイムで知っているわけではなく、後々に調べて同期のことも含め勉強しただけなのだが、それでも
”あ、あのときのことかな”
と想像できる言葉が出てきたりする。

3人は、2011年4月3日に現STARTO ENTERTAINMENT事務所に入所した同期で、学年は永瀬が2つ下。
3人のうち最初にCDデビューしたのは、19歳の永瀬。2019年の出来事だ。
その前の2015年、親の転勤で大阪の事務所から東京へ移ることになったとき、少し先に上京していた(こちらも家の事情)平野紫耀と共に関西のトップとして活躍していた永瀬は、残る関西のメンバーのことを心配していた。
実際、2人の抜けた後の関西Jr.は、”焼け野原”と言われるほど大変な状況になったらしい。
(この辺の事情も私はなんとなく知っているだけなので詳細は語れない)
(”なにきん”と検索すると詳細が出てくるかと思う)

『King&Prince』として永瀬がデビューしてから時が経ち、
2021年に『なにわ男子』としてCDデビューした西畑、
そして2024年、今年やっと『Aぇ!group』としてCDデビューを果たせた正門。
事務所もいろいろある中、まだデビューできないグループもたくさんいる。
”デビュー”という重みを知っている永瀬は、King&Princeのメンバーとして紆余曲折を経てなお、「King&Princeを全うしたい」と現在もグループの一員として活動を続けている。

『Aぇ』のデビューの発表は、内内では知らされていたらしく、そのライブ(イベント?)の日に西畑と永瀬は共に現地大阪に行っている。その様子を、永瀬がInstagramのストーリーにあげていたのだが、大事な仲間がついにデビュー、というときを自分のことのように喜んでいた。


先に花咲かせた 背中追いかけた
疑うこともせずに 黙って待っててくれた

『染み』King&Prince(永瀬廉)
詞:西畑大吾

お待たせのハイタッチ 嬉しそうな顔

『染み』King&Prince(永瀬廉)
詞:西畑大吾

西畑が書いた詞を見ると、先にデビューした永瀬が、自分の活動が多忙な中でも、ずっと仲間がデビューできることを願っていた様子が伝わってくる。


個人的に「飄々として」という言葉で永瀬廉を表現した西畑大吾氏のセンスが”素敵やん”、と思った。


この曲がタイトルだけ発表されたとき”激重ラブソングだ!”、と勝手にぞくぞくしていた私だが、思わぬ方向性にびっくりした。
『Re:ERA』のアルバムには曲ごとに、髙橋海人の創ったキャラクターがいるのだが、そのキャラクターにも海人の愛が感じられた。
実は私は最初、意外過ぎることと海人の気持ちを考えてしまい、この曲をすんなり受け入れられずにいたが、そのキャラ『ケルベロズ』を見て、まるっと愛することができた。ちゃんと、King&Princeふたりの愛がこもった曲になっていることがわかった。

@kingandprince_um

King & Prince 6th Album「Re:ERA」 2024.10.14 Digital Release / 2024.12.11 CD Release いっつも重なってる三兄弟、kerberoz(ケルベロズ)🐶 #KingandPrince #ReERA #染み #永瀬廉 #なにわ男子 #西畑大吾 #Aぇǃgroup #正門良規

♬ 染み (永瀬廉) - King & Prince

※生まれてくるキャラをみてほしい。


そして、全体のサウンドが爽やかな青空を思わせるすがすがしさ、
永瀬の清涼感のある声もマッチしている。
そして、不思議とメロディーがキャッチーで離れなくなってしまう。
SNSで「予備校のCMソングみたい」というどなたかの投稿を見かけたが、本当にそんな感じ。

是非聴いてみてほしい。




この『染み』は、この同期3人のことを描いた曲であることは重々承知なのだが、私には、何故か自分ごととしてとらえる要素が、この曲にあった。
多分、こんなの私だけではないだろうか。

と、いうのも、

お待たせのハイタッチ

をしたい相手が、私にはいる。
広く言えば、私と関わってくれている、支えてくれているたくさんのひとたちがいるのだが、
友情ソングであるこの曲を聴いたら、
こんな私と今もつながっていてくれる、数少ない友達のことを考えてしまう。



私は、25歳のときに鬱病を発症した。

周りの友達は、私がダウンする前あたりから結婚、出産など、
昔でいう”女の幸せ”と言われる世界へ踏み出していた頃だった。

そんな中、私は動けなくなり職をなくし、痩せてひきこもり、外に出るのも怖くなり、窓から外をみられたら合格、そんな日々。
少し周りが見えてきたら、
気付いたら、
友だちはみんな、私がいなくても大事なひとと共に生きていた。家庭を持って母になっていった。

私だけ、人生が止まっていた。

身動きが取れない。

子どもがだいすきになったのに、子どもの仕事ができなくなった。

自分の子育て、ひいては結婚、その前に婚活や出会いを求めようとも、
「鬱病です付き合ってください」なんて無理な状況だ。

当たり前などなにもない。
こんなはずじゃなかった。
普通に結婚して、子育てをする未来があると思っていた。

ただ、
私の周りが特別結婚ラッシュが早いだけだった、ということは、後から友人とのやり取りで知った。
人生に意味がないと思い命を捨てようとしたこともあるが、そのことを知ったことは少しだけ、安心につながった。


私は地方に住んでいて、大学進学や就職、結婚のタイミングでどんどん県外へ出ていくことが普通になっている(特に私の周りは)環境なのだが、
県内に就職、実家暮らしのまま病気になった私はここに取り残されて、実家から離れることもできずにまだ、12年経ってもここにいる。

鬱病の初期、メールや電話も怖くてできないときに友人とは文通をしていた。
ぽんぽんとすぐに返さなくても大丈夫、という安心感と、言いたいことが吐き出せるという一方的な自分の都合もあった。

私に届いた手紙たちの一部。

その中でも、
結婚して県外へ出た私の高校時代からの親友Tがくれた、

「いつになっても待ってるからね」

という言葉がうれしくて。

鬱病治療が長引いていっているが、
「どうして早く治してくれないんだってお医者さんに私が言いたいくらいだよ」
と言ってくれたのもその親友T。

彼女が帰省し、私の調子がいいときは会ってくれる。
そして、
自分の生活(子育て、夫婦のこと)をあまり話すと私が具合が悪くなることもわきまえていてくれて、うまいこと自分の話も明るくしつつ、私の話を聞いてくれる。


エピソードはまだある。

親友がまだ新婚の頃、LINEをしていて突然
「ディズニーランドに行ってくる」という話をしてきた。
Tは何も悪くない。自分の生活をしているだけ。
ただ、私はそんなところに行ける生活をしていないので、勝手に苛立ってしまい、誰かとケンカをすることなどほぼない私だが、なんだかいっときの感情で、ただのジェラシーで、イラっとした言葉を放ってしまった。

TからのLINEは途絶えた。

少し経って、私の家に届いたのは、

オラフ。

この子だった。

私とTは、当時アナ雪にハマっていて話をよくしていた。
(第一次アナ雪ブームの頃だった)
私が勝手な感情で苛立っていたのに、そんな中、せっかくの夢の国ディズニーランドで私のことを気にさせてしまった。しかも、そこで私にお土産まで買っていてくれたのだ。

Tは私と連絡をとることを、迷っていたみたいだった。
そして、その後、私とのやり取りの中で決まったのは、

”ふたりで、アナ雪真っ盛りのディズニーランドへ行く!”
ことだったのだ。

Tは、「行くか!」と、行ってくれたのだ。

決して調子はよくなかったが、舞い上がった。

同じ新幹線を各々で予約し、先に私が乗っていて、当時Tが住んでいた途中の駅からTが乗り込み私の隣の席に座る、という状況になるように打ち合わせた。
その他チケットや宿などは、ディズニーに慣れているTが全部予約してくれた。

前まで、2人でどこかに行くときは私が計画したりすることが多かったが、全部やってくれた。

出てきたアルバムから。
(顔モザイク)

このとき、Tが家に送ってくれたオラフも連れて行った。
そして、オラフ帽をかぶり、オラフのポーチをぶら下げ、完全なオラフヲタクになってパークを回っていた。
被り物はしないタイプだったが、この日ははしゃいでしまった。
シーは雨だったが、パークの日は青空だった。
忘れられない。

帰りの新幹線で、実はちょっと不安だったんだ、ということを打ち明けてくれた。
鬱病患者とふたりきりの旅行、さぞかしハードルは高いことだろう。
行った先で、私にはそんな素振りは見せずにいてくれた。


あれから何年も経ったのに、
いまだに私は鬱病の治療を続けている。
おそらく、ディズニーランドへ行った頃は、パートで前職と同じ仕事にチャレンジしてみたが打ちのめされて数か月で辞めた後。
もうこの職は二度と、という思いで絶望感もあった。
それもあって、Tにあたってしまったのかもしれない。
でも、一気に晴らしてくれた。

どんなときも、そんなそぶりは見せず、通常運転で連絡を取り合ったり、会ったりしてくれる。

子どもと関わる職業をしていたときに病気になったので、いまだに子どもを見ると、、、ということがある。(子どもはだいすきなのに)
現在2児の母であるTだが、事情をわかってくれ、
子どもに会いたい!というときは、親友と息子ちゃんと私の3人で一緒にイオンに行ってくれた。
今は2人で話したい、というときは親に子どもたちを預けてきてくれた。


、、、、、、そんな彼女に、

お待たせのハイタッチ

といえることが、できる日がくるといいなと。



その親友だけでなく、
唯一地元に残っていて連絡をとったり会ったりしてくれる、別の親友もいて。

その子は、高校時代に出会ったA。
いつも飄々としているけれど、
私が病気になってから、会ったときにさりげなく、こんなプチ土産をくれる。

LUPICIAのティーバック。


「買いすぎて賞味期限近いから」
などと言うが、全然そんなことないのだ。

各種の飲み方の説明書きと共に、4つも。

私は紅茶が好きだが、LUPICIAの紅茶が飲みたくてもお金がないから買えない、、、ということを、親友Aは知っている。

あえて、バラでいくつかくれる。
気を遣わせているな、と思わせない量を考えているのだろう。
そういうさりげなさ。
紅茶って、飲んでもあたたかい。
Aの、さりげない愛情も沁みる。


クールなAは、結構本音をずばっと言うタイプ。
私が病人ということを知っていても、手紙などでときに本音を話してくれたりする。
でも、そういう内容が書かれた手紙には、私が不必要に傷つくことのないよう、ちゃんと前置きをしてくれる。

鬱病だから、と変に気を遣いすぎず、今までと変わらない関係性で接してくれることも、本当にありがたい。
し、結局その本音も、根底にやさしさが溢れていたりする。

その子の言葉で「あ、そうか!」と目からうろこが落ちる経験もする。
Aもまた、私にとってなくてはならない存在なのだ。

Aは、自身が仕事に関していろいろ大変なときも、事実婚状態の彼の状況が大変な時も、リアルタイムで私に深く話してこない。
私が、感情移入過剰なことも知っているのだろう。

あとあと話を聞くと、大変だったんだな、もがきながら生きているのは私だけじゃないんだな、と思い知らされる。
それは、心強さにもなる。

何より、”こんな私と会ってくれる”ということがありがたい。

地元にコメダ珈琲店ができてからもう何年も経つが、できた当初から
「コメダ行こう!」(A宅の近くなので)
と約束していた。
そこから数年会えずにいて、その間母とコメダには行ったりしたのだが、ようやく会うことになったときに私はその約束通り
「コメダに行きたい!」
と言った。
具だくさんのピザトーストをぽろぽろこぼしながら食べる私を、見守ってくれていたA。
どんなときもいつもフラットに会ってくれる存在は、本当にありがたい。

県外に出ていったひとがほとんどの中、地元にAがいてくれてよかった。
距離が近い、ということの安心感って、結構あったりするから。


他にも、

SNSで知り合ったファン同士のつながりがある。
私がLIVEに行けない状況だということを知っていたり、
中には私と似たような病気だったりするひともいて。

そんなひとたちが、手紙やファンアートなどの創作物をくれたり、自分が行ったLIVEでわざわざ私のためにグッズを買ってお裾分けしてくれたりするのだ。

LIVEでgetした銀テープやグッズのおすそ分け。
心身健康守まで。




友人は、ここにあげているひとたちだけではないが、
こういう、私を思っていてくれる、

疑うこともせずに 黙って待っててくれた

『染み』King&Prince(永瀬廉)
詞:西畑大吾

というか今も
”待っててくれている”
ひとたちに、
心から「元気だよ!」という言葉が言えるようになることが、
何よりの恩返しだと思っている。

お待たせのハイタッチ

鬱病に”完治”があるのかも考え方によるし、
私にとって「お待たせ」と言える状況が何を意味するのか、ちょっとはっきりさせられない。

社会復帰なのか、
フルタイム勤務なのか、
自立して暮らすことなのか。

何をもって
「お待たせ」
と言える状態なのかはわからないけれど、

”いつになっても待ってるから”
というひとが、味方がいてくれることは、生きようとするのをやめようと思う瞬間がくるときに思い出したいことだ。

今も、まだあるから。


希望がこの手を離さず握りしめた

『染み』King&Prince(永瀬廉)
詞:西畑大吾

同期3人の話に戻ると、
きっと、「黙って待っててくれた」”永瀬廉”という存在は、
西畑くんや正門くんにとって、
なかなかデビューできずにいる間も踏ん張れる力の源になっていたのだろう。
いつか、いつか自分も、と。

彼らと私の状況は比べるものでは決してないけれど、
この曲でいうところの私は永瀬廉ではなく、
未来の正門くん(今年デビュー)に違いない、と信じていたい。

決して、私にとっての

先に花咲かせた

『染み』King&Prince(永瀬廉)
詞:西畑大吾

(=彼らにとってのデビュー)
は、結婚や子育てという具体的な項目ではない。
大きな目標ではあったけれど、今はそのような贅沢よりも、、、、、
いや、、、、、、
今も親子連れをみるといろいろ考えるけれど、、、、、


心から、「元気だよ」って言える日。

それが、「お待たせ」なのかな。


グラデーションのように調子が変化するのが鬱病なので、
はっきりと「治った」「よくなった」
ということもないだろうし、
よくなった!と思いきやまたダウン、ということもあるのだろう。
今まで何度もあったように。

先が見えない日々が続く。

まだデビューできない、それを待っているjr.など、育成枠のタレントさんたちは、似たような気持ちを持っているのかもしれない。
もがいてはいるけれど年齢ばかり重ねて、このままだったら将来、、、、、、
という不安。
それが、重なる部分があると思っている。


みんなに、永瀬廉のような、私の友人たちのような、心強い存在がいるといいな。



この、とある同期3人の青春ソングが、まさか”私にとっての希望”に気づかされる曲になるとは思わなかった。

ありがとう、King&Prince。
ありがとう、永瀬廉。
ありがとう、作詞してくれた西畑くん、やさしい正門くん。
ありがとう、3人にケルベロズを作ってくれた海人さん。


ありがとう、待っていてくれるひとたち、、、、、、


待たせすぎている。
12年、もう13年目になる。

でも、希望、握りしめていかないと。



『染み』が収録されているアルバム『Re:ERA』情報はこちらから。
各サブスクで配信中なので是非。


苦しみの中にいるひとが、たいせつなひとに
「お待たせ」
と笑顔で言える未来が、必ずきますように。

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