正直者が報われる時代、きているのかもしれない—カジサック×千原ジュニア対談—
私が応援中の赤ジャージの彼ががんばっている、YouTubeチャンネル”カジサックの部屋”。
このチャンネルの売りはたくさんあるが、彼は芸歴20年の漫才師でもあり、芸人(やタレント、YouTuber)さんを呼んでマンツーマンでトークする企画がチャンネル開設当初から話題だった。現在は、カジサッファミリーとして彼の奥様(ヨメサック)や5人の子どもたち(コサック)の出演もあり、家族動画も人気だったりするが、私はお笑いがだいすきなので、”芸人トーク”がやっぱりすきだ。
コロナさんの影響で、しばらくゲストを呼んでの企画ができず、カジサックファミリーだけで”夫婦チャンネル”として動画をあげ続けていたが、最近、自粛も開け、自宅とは別に新事務所(撮影所)も確保し、スタッフ(チームカジサック)と共にまた動き出している。
待ち望んでいた、”芸人トーク”復活!の、第一弾のゲストが、千原ジュニアさんだった。吉本の先輩で、がちがちに緊張していた彼だったが、前編、後編に分けて配信されたその内容はかなり深かったので、私なりに感じたことを書いてみようと思う。
特に私が書きたいのが、後編の方。
カジサックは、”ジャックナイフ”とも言われていたジュニアさんのことをとにかく「怖かった」と言う。イベントの打ち上げの席で、若手芸人の輪の中で飲んでいたときに、ジュニアさんが ”どん!” と、その若手が集まるテーブル席に突然座って、何も言葉を発さず、、、カジサック(梶原さん)は「オーディションが始まった⁈」「何か悪いことしてしまったのか⁈」と感じてしまったという。
でも、ジュニアさんにはそんな記憶はなく、ただ芸人さんの話を聞くのがすきなだけだと言う。ジュニアさんといえば、”すべらない話” への出演など、トークの技術に長けていることは言うまでもないが、何か自分で練習したり、技術向上のために工夫するということは意識していないという。芸人仲間との食事のときなど、自然と「昨日のタクシーでさー」などというエピソードを話し、これはウケたな、と言う感じで、日常の中でスキルを上げているようだ。また、関係性がない後輩芸人のことも食事に誘うなど、”ジャックナイフ”という過去に言われていたイメージとは裏腹に、器が大きくてやさしく、割と社交的な一面があるようだ。
1対1でのトークでないと、こういう”ひと”の本当のことは分かりづらい。
実際話してみないと、そのひとの中身なんて分からない。
やっぱり、カジサックのチャンネルには必要なコンテンツだなぁと思って観ていた。
そして、特に深いなぁと思った話が、”照れ” についてだ。
ジュニアさんが、トーク中に、「今まで感じていたことの謎が解けた!」と、話し始めた。
ジュニアさんのような世代の芸人さんは、漫才やコントを披露する際に、練習している姿を他の芸人に見せることは”恥ずかしいこと”とされていた。たとえ裏で必死に稽古していても、その真剣な姿など決して見せずに、涼しい顔をして舞台に立つのが美学とされていた。真面目で一生懸命な行動に対しての”照れ”があり、それを隠すことが当たり前だった。
一方、ジュニアさんの言うところの「キングコング以降の世代」(おそらく2000年前後デビューの芸人)は、その”照れ”がない。カジサックによると、梶原さんがキングコングとしてデビューしてからは、吉本の劇場裏ではみんなが壁に向かってネタ合わせをしていた。一度だけ、先輩に「なんで廊下でネタ合わせしとるんだ!恥ずかしいと思わないのか!」と怒られたことがあるが、全く意味がわからなかったという。
時代が変わっていて、否定でのいじりでは笑いは起きず、今は肯定での笑いが求められている。
ジュニアさんが結婚した際、結婚生活のことをメディアで聞かれて「いやー、結婚なんてするもんやないっすわー」と例の”照れ”で言ったところ、「奥様に失礼だ」と炎上してしまった。
「、、、、、、いや、すきで結婚して、、、愛してるに決まってるし、、、それを公共の電波でわざわざ言うなんて、、、、、、」
と、当時の正直な心境を語るジュニアさん。これが今の世代には”照れ”だと伝わらないのか、と思い知ったようだ。ただ、このジュニアさんが本心のまま「愛してます」と言ったところで、「ボケに見えてしまいますね、、、」とカジサック。”照れ”の美学で生きてきた世代にとって、今の時代はなかなか息苦しいようだ。
カジサック家の子育てで大切にしていることについて、ジュニアさんにきかれ、
「感謝の気持ちをもつこと、それを言葉にすることをいちばん大事にしている」
と答えたカジサック。
ジュニアさんは、カジサックの第5子誕生の動画を観て、子どもたちが母親に「ありがとう」と言う場面にいたく感動したようだ。「そうか、そうするとあんな素晴らしい子どもが育つねや」と。
そして、「やっぱり、照れずに言葉にしないと伝わらない」ということを痛感している様子だった。
「照れは、誰の幸せにもつながらん!」
「照れより素直に正直に!」
、、、、、、後輩であるキングコングの梶原雄太扮するカジサックに、先輩である千原兄弟の千原ジュニアさんが、
「これで思ってたことが確信に変わったわ」「俺らもシフトチェンジしていかなあかん」「勉強になった」
と、学んで帰っていったのが、なんだか、美しかった。
日々疑問をもって考え、解決しようとする。先輩後輩問わず、吸収して学ぼうとする姿勢。それが、本当に美しかった。
人間、若いころは多少なりともとがっている部分はあっても、時代は変わっていくし、世代の違うひとから学ぼうとする姿勢がなければ、継続して活躍し続けることはできない。過去の栄光やプライドが邪魔をして、聞く耳をもてずにいたら、そこでひととしての成長は終わりなのだな、、、、、、
と、ジュニアさんの姿勢をみていて感じた。
不器用だけど正直で、アツい気持ちでまっすぐに挑むカジサック、梶原雄太と言うひとが、いわゆる”世渡り上手”のひとに負けず、自分の思うままに突き進んで活躍し、しあわせを感じられたらいいなぁ、、、と思っている私。
”正直者がバカを見る”時代
なんていらない、
”正直者が報われる”時代
がくることを願ってやまないし、彼にその姿を見せてほしいと、勝手ながら私は思っていた。
だから、この動画で、私は、もしかして、今がその時代になってきているのか⁈と思えたことで、ものすごく感動したのだ。
私は、バカがつくくらい正直で、嘘がつけない。バカ正直なのも、バカ真面目なのも、不真面目な嘘つきよりはいいし、まっとうな生き方だとは思う。
ただ、正直すぎて、やさしい嘘もつけないし、真面目すぎるが故に損したことも、空気を悪くしたことも、たくさんある。そんな自分が嫌になることもしょっちゅうだ。
そして、バカ正直でバカ真面目に加え、自尊感情がバカがつくほど低い。”絶対こうだ”と思っても、空気を悪くした過去などが蘇ると、自信がなくその発言ができない。結局、自分の心にもやもやがたまっていく一方で、何もいいことがない。
”正直”と、それを”素直”に言葉にできるかどうかは、別の話。
私は、”正直”ではあるけど、”素直”じゃない。
カジサック家のように「感謝を伝える」ことが、いまだに苦手だ。病気になる前は、家ではかなり強がっていた。悩みなんて家族になんか言いたくないし、家族の前で泣くなんて絶対嫌だった。そして、ろくに挨拶もしない、「ありがとう」なんて絶対言いたくない。25歳過ぎまで続いた、長すぎる思春期だった。加えて、私が22歳?頃に母が心を病んで倒れてしまい、長女として強くいなきゃ、心配かけずにいなきゃ、と、仕事がどんなに地獄でも頼ること、相談することができなかったという問題も加わっていった。
、、、、、、こりゃ、倒れても仕方ないよね、自分。
保育士6年目の夏、鬱病の前兆があって仕事に出られないことがつづいたときに、母に「話してくれないと守れないから」と言われて初めて、仕事に関して自分の周りで起こっている出来事、状況を話した。ぶっ倒れたおかげで、家族に頼らざるを得なくなったのだ。そのおかげで、それまで10年以上口を利かなかった妹と仲良くなれたし、家族が自分で発言する雰囲気ができた。感謝は、それを経験していると自然と出てくる。「ありがとう」が言えるようになった。言い方は不器用だけど。
「正直な思いを、言葉にする」
これは、時と場合によって、本当に難関だ。
でも、このことが当たり前にできる雰囲気、ひとりひとりの違う個性が認めあえる時代に変化していったら、人間は今の何倍も生きやすくなる。
カジサック任せでなく、自分も、シフトチェンジしていかなくては。
ジュニアさんの姿勢を見習おう。
もし、これができるようになったら、心もよくなっていくだろうな。
自分の本当の思いを外に出せるようになったら、抱えるものがどんどん少なくなっていく。心のおもりが軽くなっていく。もちろん傷ついてダメージは受けるだろうけど、そこを越えないと何も変われない。
病気は病気として向き合いつつ、少しづつ。
カジサックが生み出す動画は、いろんな学びをくれる。
東京の感染者数がまた増えていて、活動に心配もあるけれど、安全第一でたのしい動画をあげていって欲しい。
皆様が、安全に、穏やかな心ですごせますように。
未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。