神様がくれた時間
ここ最近、天気が不安定だった。
そして、私の調子も不安定だった。
今日、久々に晴れそうだったので洗濯を2回干し、終わってから、神社にお参りがてら外を歩こうと思った。
が、
準備して、家を出たいのに、体が外へ向かわない。
心が苦しい。
行かなきゃ、と思うのに、動けず、
久しぶりに、頭を抱えうずくまるくらいの葛藤。
さっき、薬は飲んだはずなのに。
「いや、嫌なら行かなきゃいいじゃん」
と、お思いの方もいらっしゃるとは思うが、
ここのところ全然ウォーキングできていなかったので、せっかく久々に雨も降らないのだから、
”行かなければ” ”動かなければ” ”歩かなければ”
、、、、、、などと、勝手に義務感に苛まれる鬱病患者だ。
鬱病を治していく上で、規則正しい生活は欠かせないと思っている。
そして、できるだけ日光を浴びる、歩く、体を動かす。
習慣をつけてきた。
でも、鬱症状がひどいときは、外に出ることは苦しくて仕方がない。
もっと鬱の重かった時期は、お風呂に入ることがとにかく難関だった。今はそこは乗り越えているが、顔を洗うのに気持ちが向かないなと感じることは、今もときどきあったりする。
気持ちが向かないとき、
”どうしよう、しなきゃいけないのにできない”
と、現在の自分の状態に焦りどんどん苦しくなる。
でも、私はもう8年選手だ。
一旦パニックに陥っても、こんなことは何度もあったことだと思えるようにはなったし、したくないときはしなきゃいい。
気づいたら、帽子やカバンを置いて、行こうとする自分を諦めさせることに成功していた。
あとから、「何で歩いてこなかったの」と責めるかもしれない母はいるけれど、仕方ない。
(この母の存在が、結構私の行動と心を惑わす)
具合が悪いので、昼寝禁止チャレンジもおやすみして、寝た。
起きてから、やっと、外に出られた。
このnote用にしようとか、今日は外に出たよという記録用に、歩きながら写真を撮るのだけど、
空が、青い状態をみるのは、かなり久々だったことに気づいた。
新緑。
地方の県庁所在地で、田舎の都会的な、住宅街だけど自然豊かなところに住mんでいるが、恵まれている。
空が青い。
葉が緑。
当たり前なのに、しみるのは何故だろう。
今、外を歩くこともままならない状況のひともまだたくさんいる。
感染を過度に恐れて外に出られず、心を病んでしまうひと。
仕事がなくなったりして経済的に不安が募り、心を病んでしまうひと。
もともと精神疾患で通院したいのに、この状況で病院が怖くて診察を控え苦しんでいるひと。
医療現場で、心が壊れそうな中ギリギリの状態で今も働き続けるひと。
空が青いなんて、気づく余裕もないひとたちがたくさんいるんだろうな。
私は、今まで生きてきて余裕なんて感じたことはない。
でも、こんな時間が本当に大切だから、今、私はこの状況にいるんだろうな。
25歳までの多忙すぎる私の人生に、
神様が与えてくれた、長い、長いおやすみ。
いつまでもこうしてはいられないけれど、
”神様がくれた時間”
と言い聞かせれば、悪くはない。
もちろん、苦しみ、先が見えない現状を挙げたらきりがないけれど。
、、、、、、今日は、書かないでおこう。
自分で「限界」と言えなかった私に、
「鬱病」という病名をくれた。
「自分が悪い」と責めたり、勝手に背負っちゃう私に、
「鬱病だから仕方ない」という拠り所をくれた。
いつも、神社にお参りするけれど、もっと感謝の気持ちを伝えなきゃだね。
どんなことにも、感謝できる心を持てるひとになれますように。