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夢に執着しすぎることで治らないなら、諦めたほうが楽かもしれない

【おことわり】
今回、”諦める”ということに対して、前向きにとらえた内容を書いたつもりです。
その夢に関して「諦めないで」「叶えてほしい」などの、私がなぜこういう考えに至ったのかを無視したアツいコメントなどは辛いので、控えていただくようお願いします。
なお、”スキ”に関してはwelcomeです、いつもありがとうございます。





本当に本当に、鬱病がひどい。

(それならnoteなんか書けないだろ、という批判は受け付けません)


とにかく心が乱れる。

食欲だけはあるけれど、とにかくぐったりしている。


鬱病10年目。

そもそもこんなに長くかかると思ってもいなかったけれど、
せめてそろそろ、自立に向けて動けると思っていたのに。




私には、やりたいことがたくさんある。
夢がある。

その中で、

大きな夢、ひととして叶えたい思いが強い夢が、


結婚して子どもを産み、育てること。


「およめさんになりたい」「おかあさんになりたい」
なんて夢は、
もはや、当たり前のことではないことは実感中。
あえて、その道を選ばない人生を送るひともいて、生き方の多様化も進んでいる。


でも、私は、子どもを育てたい。

子どもがだいすきになってから、病気で保○士を辞めざるを得なくなったから。

私は、子どもがだいすきだ。


ただ、仕事として、以前と同じような現場に立つことは、もうないと思っている。
仕事として向いていないことが分かったし、
現場に立つことを考えただけでもう、フラッシュバックが起きる予感しかしない。

、、、、、、本当のことを言うと、
自分が子どもをもし授かって、いずれ保育園や幼稚園に入れるとしても、
その、園内に、母として自分が足を踏み入れるまでに、心が回復するだろうか。

そこまで、”現場”が怖くなっている。


でも、

ひととして、女性として、自分の子を育てたい。
母親として、明るく、保育のような余計な縛りのない中で、
子どもと一緒に成長していきたい。

こう、思うことは、自己中だろうか。




現在、私は35歳。
25歳から鬱病の治療をしていて、
数回、パートタイム(短時間)の仕事をしたことはあるが、続かずだった。

周りの友人が、結構早い段階で結婚、出産を次々にしていった。
ちょうど、私が病気になるかならないかの頃に、結婚ラッシュが始まった。

かなり、それが苦しかった。

私の周りが特別早いんだ、ということに気づくのも、自宅療養で人と会っていない状況では遅かった。

孤独だった。


だから、というわけではないのだけれど、
元気になりたい理由のおおきなひとつに、
結婚相手に出逢い、子どもを授かり、育てたい、という夢があった。


ひとと出逢うには、
社会に出られるようになることが前提だと思っていた。

学生時代(女子短大)は合コンなんて苦手で、誘いを断っていた。
今思えば、自分が男性と話している姿を、一緒に行った女子にみられることが耐えられないと思っていたんだろうな、、、、、、

仕事をするようになると、仕事量が多く、ひとり担任が多かったことに加え要領の悪い私は完全にワーカホリックだった。
出逢いなんて求めている場合ではなく仕事が襲ってくるので、この仕事をしながら男性と交際する同期とか、休憩時間に脱毛サロンの話をする同僚に
(どうやったらその時間と体力を確保できるんだろう、、、)
と思いながら、連絡帳を書いていた記憶がある。


そんな私は、独身で彼氏なんかもいないまま、鬱病になった。

当然、そこからの出逢いなんてあるわけもない。
家にずっといるのだから。

誰かに紹介してもらおうにも、
「鬱病です付き合ってください」
なんて、口が裂けても言えない。

もともとつきあっていた相手が鬱病になった、
とは、全く状況が違うのだ。


また、
今やマッチングアプリが主流になっているが、
きっと、私の同級生の友人に話したら笑われるだろうな。
もう、子どもも大きくなっている頃だろう。

生活の次元が違いすぎて辛いので、あまり連絡をとらなくなってしまった。

仮に、私がマッチングアプリに登録するにしても、
プロフィール欄に
「無職」
と書いて、誰が付き合ってくれよう。

困ったことに、
私はバカ正直で、嘘がつけないのだ。



ここまでが、相手に出逢うまでの困難。

ここからは、もし仮に妊娠、出産したら。


私には、体力がない。
2歳までは、ずっと落ち着きなく走り回っている子どもだった。
そのときに、もしかして、一生分使い切ってしまったのでは、
というくらい、母を困らせていた。
幼稚園に入ってから病気がちで、風邪をよく引き、肺炎になり。
大きくなってからも、数々の、、、、、、

とりあえず、今まで肺炎は3回やった。

心身が、疲れやすい。
仕事から帰ると、玄関がゴールだった。動けない。
鬱病の前からだけれど、鬱病になってからはさらに疲れやすい。


身長147cm。小さい。
同じく背の低い母は、私を産むのに39時間かかっている。

私は、痛みに激弱だ。


そして、産んでからの大変な日々。

今後産むとすると、40歳前後。
もっと、体力が心配だ。

それに、マタニティブルー、産後うつなど、
メンタルも心配だ。

ママ友とか、そこまで考えると、もっともっとだ。





何が言いたいのかというと。



私は、今まで、
鬱病がよくなったら、結婚出産子育てを経験したかった。
自分の夢だった。
結構、大きな夢だった。

ただ、
それを叶えるには、
女性の身体には、悲しいかなタイムリミットがある。
最近では、40歳を過ぎても出産するひとがいるが、結構、経済的なことや、体への負担は、大きいのではないかと思う。

そして、産んだ後の子育ても、若いうちに産んだひととは違ってくる。
もともとの体力に自信があればいいのだが、そうではない私。



だから、
いい加減、良くなりたいのだ。
鬱病。

できるだけ早く。

ずっと、そう思って向き合ってきた。


でも、
もう、10年が経ってしまった。


こんなはずではなかったのだ。


しかも、
最近になって、また動けなくなるくらいの状態になっている。

こんなことは想像していない。



初めのうちは、いつ良くなるのかなんてわからないから、
ただただ焦ってしまっていたけれど、

”ゆっくり”
”焦らない”

という言葉を言い聞かせつつ、
良くなることを信じて、やってきた。

ずっと。

でもね。



正直、

もう、
「ゆっくり」も、「焦らない」も、「自分のペース」も、
それを信じて治療していくことにも、
もう疲れた。

だって、10年もそうしてたって治らないんだもん。

夢に近づくはずが、何も進んでないんだもん。



疲れたよ。
早く治れよ。

人生、一度しかないんだよ。
もう間に合わないとか、思いたくないよ。

「あなたの夢は今世では叶いません」
なんて、神様に言われたくないんだよ。




今日、あまりにも私がぐったりしているので、
「ゆっくりいこうよ」
と声をかけてくれた母。

そんな母に、この鬱々娘は、
このままだと夢が叶わない気がする、もどかしいということを愚痴った。

母は、

「そっかぁ、、、、、、子どもを産みたいのか、、、、、、」


と言っていて、

私は、
この夢を母にまだ話していなかったことに初めて気づいた。


「それは、私の力ではどうにもならないな、、、、、、」


と、母。

なんか、泣けてきた。


「なんか考えがネガティブな方向にいってるけど、体力が~とか言ってるなら、障害年金もおりることだし、いざというときのためにジムにでも通ったら?」
「暇なのがいちばんよくないよ」
「抽象的に悩んでないで、具体的に動いたら?」

などなど、母なりのアドバイスをくれたので、
とりあえず、ジムのいいところを探してみようかな、、、、、、



うん、ジムは探そう。


そして、
その母との話から時間がたつにつれ、


もしかして、
私は夢に固執しすぎていないか?
もし、この夢をいったん諦めてみたら、
一気に治っちゃう、ってことはないだろうか?


、、、、、、なんていう考えが、浮かんだりした。


この夢には、タイムリミットが関わっているから焦ってしまう。
他にもいろいろ夢はある。
そっちにシフトしつつ、
じっくり体力をつけつつ、
という感じで過ごしていたら、
結構気が楽になって気づいたら病気がよくなってきて、
最終的に、本当に夢への近道になったりするかもしれないな?

、、、、、、そんなことも、ある気がしてきた。


ほら、少し、気分が上向いてきた。





夢を諦める。

というか、執着しすぎない。


私は、本当に執着しやすい人間だと思う。

少し、考え方を、変えてみようかな?

まず、明日は、ジムを検索してみるか。




こうして、自分の生き方を考えて向き合うことが、
将来に少しでも光を与えてあげられますように。

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pizza
未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。