私と妹は違うからよかった
木曜、祝日。
妹の仕事の休みと祝日がかぶって、家族4人が家にいた。
妹は、平日のうち2日間、曜日で休みが決まっているが、土日は出勤。
毎週土日の、父と母が崩壊している、怒号鳴り響く我が家の状況を、なんとなくわかっていてもすべては知らない。
それを、その日は目の当たりにした妹。
その日は、朝から父がした行動が母にとって本当に許せず、一日中母はその苛立ちから立ち直れなかった。
昼は、私と父がとある作業をしているとき、それに関連する父に関しての愚痴を隣の台所からぶつぶつ言う母。
私は、鬱調子が悪いと、その場所で鳴っている音や声が同時に、同じ情報量で聞こえてしまうことがある。
誰かの話を聞いているときも、流れているTVの内容まで一緒に頭に入ってきて混乱したりする。
頭の中で情報を分けられないというか、ひとつに集中したいのに一気に全て頭に入ってくる状態になってしまう。
(自閉症のひとが突然耳をふさぎたくなるのは、こういう状況になるからだと聞いたことがある。)
このときも、父の説明を聞こうとしているのに母の言葉も入ってきてしまって、母には悪いけれどパニックになり
「ごめん、同時に聞こえる!!!!!」
と叫んでしまった。
そうすると、
「ほら、こんどはpizzaがこうなるでしょ。私がいなかったら、家族3人で仲良くできるのよ。私が死ねばいいのよ。、、、、、、、、」
、、、、、、あああああ、始まった。
なんだか、ついには泣き始めたようだ。
もう、耐えられない。
「私が出ていくから待って!私が治って出ていけばいいから!自立できない私が悪いから!、、、、、、」
と、私も完全に狂ってしまう。
父は頭を抱える。
毎週土日と祝日、こんなことをいつも繰り返している。
妹は、昼の食卓でも暗い顔をしていた。
両親と私にとってはこれがいつものことだが(とはいえ毎回半端なく精神が疲弊する)、さすがに妹にはきついだろう。
夕方、
妹と2人になる時間があった。
妹に、休日の両親のことでの辛い状況や、今後の家族のことについてはあまり話す機会がないというか、話すことがためらわれるというか、、、、、、
妹は、妹であまり考えすぎずに、いつものゆるキャラ的癒しキャラでいてほしいこと、
そして、
妹自身、あまり将来のことを考えたり、必要以上に向上心をもたない、こだわらない性格で、話してもなぁ、、、、、、というところも正直あった。
でも、”今日の機会に”と思って、話し始めてみた。
この日の状況のようなことが毎週起こっていること、
私はどうしても感情移入過剰(父と母どちらにも)だし言葉や感情がノ-ガードで心に直接刺さってしまうこと、
このままだと私も母も治れない、私が元気ならいいけれど一生こうなのかと思いいろいろ諦め始めている(結婚出産その他)、離れるために自立する=社会に出ることもできていないのでもどかしいということ、
母は家でしか感情をこうして出せない、出さないでいるとまた倒れてしまうので仕方がないけれどこちらはつらいということ、
このまま両親を看取るまで家にいて死んでいくだけの人生になるのか、と考えてしまうこと、、、、、、、
いい感じに相槌を打って聞いてくれる妹。
ふと、
日頃の疑問を聞いてみた。
「あなたは、私たちが心配で家にいるわけじゃないよね?」
(8時間労働、34歳でいまだに実家から通いの妹)
妹は
「ううん」
「これから家出たいとか、将来とか何か考えてる?」
と聞いたら
「うーーーーーん」
「考えたくない?」
に
「うん」
と即答。
、、、、、、すご、、、、、、、、、、
その上、
「ごめんねこんな暗い話を」
と私が言ったら
「いや、そんな話しているときにこんなん見てる妹だけどいいか?笑」
と、スマホ画面を差し出す妹。
そこにいたのは、
カピバラが温泉に入ってのほほんとしている写真だった。
、、、、、、、、、、こ、こいつすげぇ、、、、、、、、、
家族がこんな状況なのに、こんな歳なのに何も考えていないなんて、、、、、、
と思われるかもしれないし、実際思うこともある。
でも、
過去を考えても変わらないし、先のことを考えても何が起こるかなんて誰にもわからない。
目の前にある”今”を、
自分の身の丈に合った、背負える程度の”今”を、
ただただ生きる。
それができているのが、今の妹なのかもしれない。
環境が変わること、状況が変化すること、急な予定変更など、イレギュラーなことが苦手な妹。
たとえば、「1カ月後に旅行に行こう」と誘いを受けると、眉間にしわを寄せて考え込むタイプ。
私なら、そんなチャンス滅多にないからいいきっかけ、行ってみよう!となるのだが、妹はそうはいかず、気持ちの準備に時間がかかってしまう。
実際、修学旅行で財布を忘れて行ったり(普段忘れ物をするタイプではない)するなど、遠出での失敗が多いのもあるのかもしれない。
今、34歳になっても一人暮らしを望まず現状維持、むしろ積雪する冬は職場まで車で送迎してもらうという感じ。
車も欲しくない、ひとり暮らしの欲求もない。
以前、妹には長く付き合った彼氏がいたが、
その彼がやりたいことがコロコロ変わるひとで、妹と同じ職場で働きつつも資格試験に出かけて歩いたり、しっかりとした”これ”という職業を目指すわけではなく探しているような状況だった。
一方、妹は”やりたいこと”が、ない。
彼が安定した職について結婚することを目指してくれていたのかはわからないし、そうだったら妹もついていこうと思ったかもしれない。
ただ、妹も、彼のやりたいことが変わりすぎて「ついていけない」と言っていた。
彼が実家を出てひとり暮らしをするというときになっても、同棲もなく、妹が料理を覚えたりするような素振りもゼロ。
一緒に暮らしたいとか結婚しようとか、そういう考えもなかった。
子どもに関しては、妹は苦手なので、欲しいと思わなかったようだ。
結局、彼は転職し、長年付き合った妹とも、じきに別れることになった。
最初は、”我が妹の8年という月日を!”と、彼に殴りこみに行きたい気にもなったが、
妹も妹で、ただただ一緒にいるだけの彼女だったので、
彼も、妹が何を考えているのかわからなかったのかもしれないな、と。
「私に”やりたいこと”があったらなぁ」
と、今も妹は言っている。
大きな目標は見つけられなくても、
今のことに精いっぱい向き合ってがんばって、また次の日も、
ということで自分をもし“良し”とできるのであれば、
きっと、しあわせなのだろうなと。
私は、鬱病になってから11年、
できなくなったことばかり探して、
”あれやりたいこれやりたい、でも何もできない!”
と、叶わないことに失望してばかりだった。
治る、よくなる、進める、という未来を信じては裏切られてきた。
期待しすぎ、向上しようとしすぎ、未来を描きすぎ。
そして傷ばかり負って。
11年間うちのめされて耐えてきたその心は、ボロボロになっている。
向上心があるのはいいことか。
欲があるのはいいことか。
目標を立てるのはいいことか。
自分に期待するのはいいことか。
未来を想定して動くのはいいことか。
妹がカピバラの写真を見せてきたとき、
”今、両親の看取りの後まで考えている私っていったい何だろう?”
と思った。
妹は、鬱病で家にいざるを得ないわけでもなく、健康で、8時間働いているにも関わらず、人生で一度も一人暮らしをしたことがないことについて、全く負い目も感じていない。
私は、36歳という年齢に相応する経験値があまりに足りなさすぎるという自分に、ものすごく焦っている。
ひとり暮らしで貧乏したり節約したり、自活していけるような知恵を学ぶ経験をしていない自分。自分で生計を立てられない、光熱費とか、敷金礼金とか、大家さんがなんちゃらとか、固定資産税がどうのとか、そういうことを一切経験しないまま年齢だけ重ねていく自分が、怖くて仕方がない。
でも、妹は、
心の底ではわからないけれど、
そんなことは考えていないように見える。
母が料理をしていても、
居間で平気で寝転がっていたり、スマホでツムツムをしたりできる。
小学生時代から使っている自分の部屋を片づけられず、その割にちょくちょく買い物をして部屋がとっちらかっていく一方で、定期的に母に雷を落とされて泣きながら断捨離。ただ、本当に”片づける能力”がないので、家族総出の行事になってしまう。
私は、母が料理していると母の機嫌をみて台所で助手をしたり、今は邪魔だと思ったら居間にスタンバイして、指令があったらいつでも向かえるようにしている。
意思の疎通ができないとおろおろして母に雷を落とされる。
ただ、妹のように、母が台所にいるときにスマホで遊ぶことはどうしても、私にはできない。
でも、これは、多分考えすぎ。
妹は、
「○○してーー」
と言われたら
「はいよーーー!!!!」
といい返事をして、与えられた指令をきちんとこなす。
本来、それでいいはずなんだ。
考えすぎの自分が嫌になる。
ただ、妹も、あまりに両親に甘えすぎだ、と時々母にみっちり説教されてはいるようだ。
きっと、私と妹、足して2で割ったら、ちょうどいいんだろうな。
妹は、母の愚痴を聞くのがうまい。
いい感じに、
母の心地よい相槌をうってくれるみたいだ。
妹からぱっと出た言葉が、家族を和ませたり、ふとしたやさしさを感じさせたりする。
妹は、我が家にいなくてはならない、癒し系のゆるキャラなのだ。
妹は、土日の壮絶な現在の我が家の状況は知らない。
でも、妹は、
母が精神的にビッグダウンしたときに、求職中で家にいた。
14年ほど前の母の、いちばんおかしくなってしまった状況を見ている。
当時単身赴任していた父に電話をかけて呼び出したのも妹だと、父から聞いた。
私はそのとき社会人2年目、仕事の状況があまりにいっぱいいっぱいで、母の相手ができなかった。
今でも後悔している。
だからこそ、私は母を見捨てられないと思ってしまう。
ひとには、いいところとそうでないところがある。
誰にでも。
そして、それは表裏一体だ。
私のように、進みたい、やりたい、こうなりたい、将来こうなるだろうか、
と考えることがいいのか、
妹のように、現状維持、”今目の前にあること”を大事にする、やりたいことがいつか見つかったらいいなぁと構えているのがいいのか、
どちらが特別、いいとかではないんだろうな、
きっと、姉妹がこうして違うものをもっていることが、
いいような、気がする。
私たちが似ているのは、身長が低いことと、声。
電話で間違えないひとはほぼいない。
あと、天パであること。
根が真面目であること。
私が鬱病になる前まで、私たち姉妹は会話がなかった。
なんだか、話したくなかった。
そのうち、話さなくなった。
小学校高学年あたりからかな?
母がダウンして、父の単身赴任先へ泊る日々が続き家を守ることを余儀なくされた姉妹は、
さすがに職場から電話で話したりした。
このときちょうど、妹にも短期のバイトが入っていたので、帰りが早い方がどうするとか相談したり、クリスマスに私がファミマのチキン買って帰ったりしたなぁ。妹、肉関係のバイトだったのに。(今思えばひどい)
そして、私が鬱病になってからは、徐々に、家族のありがたみがわかるというか、家族に頼らないと生きていけないと痛感して、甘えるようになった。変に、心配かけたくないと思っていたことと、反抗期の長引きで、家族に弱みを見せられなかったが、見せざるを得なくなった。
そのタイミングで妹とフラットに話せるようになったし、妹の時々出るワードがツボに入って爆笑したりしている。こんなにおもしろい子だっけかこの子、と。
私が鬱病になって、いちばんの収穫が、
妹とまた仲良くなれたこととだと思っている。
幼少期は、いつもくっついて一緒に遊んでいた。
学年で2個、年は1歳半違い。年下として面倒を見るというよりは、ほぼ友達のような感じだった。
でも、姉妹って、兄弟もそうだと思うけれど、いろいろある。
何故か、急に会話がなくなったりする。
きっかけとか、そういうことはわからないけれど、ライバルでもあるし、いろいろあったんだと思う。
でも、鬱病になってよかった、とは言いたくないけれど、
妹と仲良くなってよかった、は、大きな声で言える。
妹の、かわいげがあってどんとしていてくれるところはうらやましいし、尊敬する。
私にはかわいげがない。
頭がかっちかちだ。
でも、5月に予定している女3人旅(母、妹、私)のときは、頼ってくれよ。
旅には慣れているからな。
旅慣れず、世界がなかなか広がらない妹の、新しい何かが見つかるきっかけになるといいなぁ。
姉妹や家族の、笑顔で過ごせる時間、穏やかな時間がこれから少しでも、多くなりますように。