人を「ゴミ」扱いするような企業が成功するか?
「三方よし」という近江商人の間で
語り継がれてきた考え方は、今や
聞いたことのない人を探す方が大変
なくらい、世の中に浸透してきたの
ではないかと思う。
伊那食品工業の塚越最高顧問が、
この「三方よし」をもじって、
「四方よし」を追求しているという
話しは少し前に書かせてもらって
いる。
この「三方」あるいは「四方」の中に
は、「売り手」が入っている。
会社で言えば、「社員」である。
以前の記事の「八方よし」、これは
鎌倉投信のファウンダーである新井さん
が目指した考え方だが、その「八方」の
中にはズバリ「従業員」が入っている。
働いている人を大切にしない企業は、
早晩行き詰まる。
否、働いている人を大切にする企業
でなければ、中長期的に大きな成功
を遂げることはできない。
そのように考えるべきだ。
会社が事業を行う目的は、単なる
金儲けであるべきではなく、
社会に対する福利の増進をもたらす
ことにあるべき。
その目的を達するならば、利益は
自ずから付いてくるもの。
そのような考え方で、事業を行い
たいものである。
渋沢栄一が『論語と算盤』などを
通して強調した通り、資本主義は
仁義や道徳があってこそのもので
ある。
仁徳なき資本主義、仁徳無き会社は、
社会にとっては害悪なのだ。
今日、たまたま友人と話していた際、
某社のマネジメントが、人を人と
思わないような物言いをしていて
義憤に駆られた、というような話を
聞く機会があった。
何でも、仕事が今一つピリッとしない
社員のことを、
「ゴミはどの部署に移してもゴミ」
というような発言をしたとのこと。
やるべきこと、なすべきことが、
出来ていない、業績達成から程遠い、
そういう事情がたとえあったにせよ、
人のことを「ゴミ」呼ばわりするのは
さすがにいただけない。
今やっている仕事が合っていないの
かもしれないが、配属された場所が
変われば大活躍する可能性だって
必ずあるはずだ。
百歩譲って「ゴミ」だとしても、
「ゴミ」なりの活躍の仕方は必ず
存在するはずで、それを見つけること
ができないのはむしろマネジメント
側の怠慢だと捉えるべきである。
使い方によって、価値が何倍、何十倍
にも増幅しうるのが人だ。
モノではなかなかそうはいかない。
人の価値をそうやって何倍、何十倍に
増幅できるのが名経営者なのであり、
その差配、加減こそがマネジメントの
腕の見せ所。
それをハナからあきらめて、
「モノは交換すれば良い」
とばかりに人を扱うのは、甚だ残念な
態度だと言わざるを得ない。
いつか自分にしっぺ返しが来るのでは
ないかと、余計なお世話ながら心配な
気持ちになる。
一期一会、袖触れ合うも他生の縁、
人生の旅路で出会ったお互いのご縁。
「ゴミ」だなどと考えるのは本当に
勿体ない。
適材適所の実現に心を砕き、全体最適
を目指すのが正しいマネジメントの
在り方ではないか、そのように思った
のだ。