書く技術は学ぶよりも先に書いてしまえ!
算数とか数学とか理科とか化学とか、答えがあるものを研究している人は論理的思考ができる人。ぼくにはない能力で、そういう人はお世辞抜きに尊敬している。
こんにちは、本業はプログラマーのぴこつです。
算数と数学の違いや、理科と化学の違いはさっぱりわからない。わからないから、冒頭からあえてバカ丸出しの例えを突っ込んでみました。
これもぼくがポンコツであるがゆえにできる所業。答えを知ってしまっている知識は安易には使えないからね。
noteに記事を書くようになってから3ヶ月ほどが過ぎた。”ほぼ”毎日更新している記事も、ただひたすらに書いているだけでもどんな記事が読まれているのかも少しわかってくる。
「#noteの書き方」の参加人数を見てもわかるように、書く技術を学ぼうとする人がとても多いことがわかる。
実際、ぼくがnoteに対して思ったことや文章の書き方に関する記事を発信した時にはスキがたくさんつくような気がしている。
もっとも、ぼくはライターでもなければブロガーでもないから、記事を書く時に自分が意識していることや気づいたことをそのまま書いているだけなんだけど、それでもみんなが見てくれているというのはありがたいし、同時におもしろいなとも思う。
みんなきっと、たくさんの人に読まれる文章を書きたいんだよね。
ぼくもそう思うことはある!
考えてみれば、Twitterやインスタグラムでいいね!やフォロワーさんを集めたいと思うのと同じでnoteであってもみんなに見てもらうことが自身の承認欲求を満たしてくれることにつながるので、そのためにも文章術を学びたいという意欲があることは納得がいく。
誰だって、せっかく書くんだから誰かに見てもらいたいものだよね?
そのために文章の書き方を学ぼうとする姿はとてもすばらしいことだと思う。
きっとこれまでに自分で「文章を書くのは苦手だな」と思った人ほどその意識は高くて、そういうことにも真剣に向き合っていろいろ考えているんだと思う。
「文章を書けない」と思っている人は、きっとこんなことを考えているんじゃないかな?
「自分は文章が苦手だから、ちゃんとした文章やネタをしっかりと考えて慎重に発信しないといけない」
ぼくもnoteに記事を書き始めるまではそんな風に思っていた。
もしも文章が書けなくて悩んでいるのなら、ちょっと考えてみてほしい。
算数とか数学とか理科とか化学とか、に対しての学習には大変に意味がある。だってその先には明確な何かの答えが待っているのだから。
じゃあ、文章はどうだろう?
確かに誰かに読んでもらうための文章には一定の答えのようなものがあるのかもしれない。だけど、文章はやっぱりどこまで行っても行き着く先は自己表現だと思うんだ。
自己表現とは読んで時のごとく、自分を表現するということ。
自分を表現するために、凝り固まった文章術なんかいらない。仮に文章術の明確な答えが存在したとして、それをみんなが同じように使って記事を書いていたとしたら、そこには「自己」は存在するんだろうか?
そんな定型文の記事はAIが書いたらいいと思う。
AIにそんなことができるかはしらんけど。
そもそも文章に上手と下手なんてないはず。絵画や音楽のような芸術と同じで、まずは自分を表現できればそれで100点。
その自己表現が誰かにうまく伝わるかどうかは別の話。
まずは自分が伝えたいことや、思っていることがなんなのか?の方が大事なことだと思うんだよね。
さらにぼくの場合、自分自身が何を考えているのかもわかっていないことが多い。
そんな状態でnoteの記事も書き出してしまう。
まずは自分が考えたことや頭に浮かんだ単語。ふと気にしている言葉をまず書いてしまう。それに対して自分がどう感じているのかや、何を連想したかをツラツラと書いていく。
そうすると、自分の思考がどこかに向かって走り出す。
それがぼくの文章になっていくんだよね。
「文章術」のように最初から構図を考えて「これを書いてあれを書いて…」みたいなことを考えていると、逆に文章が書けなくなっちゃう。
現にそれを考えている間は頭は動いていても手は止まったまま。
noteも白紙のままで何も進んじゃいないはず。
それよりもまずは、なんでもいいからnoteの「投稿」ボタンを押して書き始めてしまうことがぼくのおすすめ。
なんでもそうだと思うんだけど、事前に学習したり勉強することって意外と簡単。
勉強しただけで「その気になってしまう」という状態になって、いざやり始めようとするとなぜか手が止まって始められない。
きっと何かを実際に始める時というのが一番ハードルが高いんだと思う。
事前の勉強って、そのハードルを飛ぶ前から自分で上げてしまっているんだよね。
むしろ自分が無知の状態でハードルが低いうちに一回飛んでしまおうよ。
ぼくだって、無知だからこそ最初に「算数」と「数学」を同じもののように書けてしまった。
知らないものは「知らない」と書いてしまえば「この人は知らないからこう書いてるんだな」と思ってもらえる。
むしろ「知ったかぶり」して間違ったことをドヤ顔で書いてしまう方が読んでる方としても読みたくなくなるんじゃないかと思ってるんだけど、どうかな?
ぼくはライターでもなければブロガーでもない。
そんなぼくに書く技術があるとは思わないないけれど、自分が思ったことを自分の思ったように書くことはできていると思っている。
それが伝わるか伝わらないかは、ぶっちゃけわからない。
それでも書き続けることで、ふとどこかの誰かの目に止まって「スキ」を押してもらえたりフォローされたりする。
これがぼくは好きだし、おもしろいなと思うんだよね!
noteに書いた文章はすぐには見てもらえないかもしれないけれど、ずっと前に書いたものでもずっと残っていて、急に見つけてもらえることもある。
書く技術を勉強したということは自分の頭の中にしか残らないし、その記憶も消えてしまうかもしれない。だけど自分の書いた文章は実績として残り続ける。
ぼくはどんな文章でも、残った文章の方が価値があると思ってる。
ということで、この記事を最後まで読んだ人は直後に右上の「投稿」ボタンを押して、いま思いついた言葉を書いてね!
スキを押してくれれば、あなたの記事を追いかけていくから(笑)
じゃあ、またね。
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