選択したのも感じたのも全て自分
こんばんは。ぴかまるです!
このnoteでも何度か紹介させて頂いている人間塾というものに、私は毎月参加させて頂いている訳ですが、先日の内容で特に心に残ったことを共有したいと思います。
前提として、私が日々感じたことをこの場で偉そうにお話させて頂いていますが、私自身凡人ですし、何もできないことに日々絶望しています。
言葉で発信することと、そんなお前は一体どうなんだということをリンクさせることは非常に難しいなと感じつつ、毎週記事をアップしております。
そんな情けない私であることを理解したうえで、今回の記事を読んでいただけたらと思います。
では早速ですが、皆さんは何かをしている時、それ以外全てのことをしていないという意識を持ったことがありますか。
また、誰かに会っている時は、それ以外全ての人に会っていないということにもなります。
つまり、私たちは限られた時間の中で何かを選択するということは、必然的に何かを捨てているということです。
その上で、今おこなっていること、会っている人との時間を大切にできていますか。
さらには、自分が選択したことなのに愚痴や不満をこぼしながら時間を過ごしていませんか。
ついつい私たちは、外ばかりを良くしようと工夫しますが、それよりも自分の心が選択したものを何より大事にすることにフォーカスするべきだと思います。
私ごときがこんなことを書いているのも、自分が外に矢印を向けているからこそ心に刺さった内容だったからです。
誰かを非難することだって同じです。
他人に対して思う気持ちですら自分であることを理解すれば、自分が情けなくなってきます。
これは私の実体験にもなりますが、
日々矢印が外に向いていた自分に絶望し続け、少しずつ矢印を自分に向けていくと、
起きている事象は同じなのに、見える世界が変わっていく訳です。
見えている世界が明るくなることで、前向きに絶望することが出来るようになり、次に踏み出す一歩が軽くなります。
そして、失敗したことが価値であることも理解できるようになります。
失敗したことはなんだったのかをクリアにして、
自分の言葉で整理することができれば、次誰かが同じ道を歩む際の貴重なアドバイスに変わります。
これが本当の教育活動になると学びました。
誰よりも失敗をして、その経験を伝えることができる人が上に立っていくものの本質なのかなと感じました。
こんなことを振り返りつつ、今日からまた一歩ずつ踏み出していきたいとお思います。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました!