美と花椿、そして詩 - 最近何をしたか 4/25-5/5
花椿
最近、資生堂の冊子"花椿"をもらってきた。随分ぶりということで事前にもらえる場所を調べて書店でもらってきた。今は書店で配っているんだな、と思った。私は子供の頃から花椿がとても近くにある環境で育った。資生堂が身近な存在だったというか、そんな感じだ。大学生になり一人暮らしをし始めても近くの化粧品売り場でもらってきたりしてた。その頃はなぜもらってたのかは分からないが、例えば大学で芸術なんとかにいたからとかではなく、昔からあったそれがその時もそこにあった。それだけだった。だから芸術というより昔から続く自分の中の美のイメージという意味が大きい。花椿は美を追求する資生堂の一つの答えのようなもの、そう思っている。それは化粧品はもちろんのこと、行ったこともない資生堂パーラーだってそうだろう。時々母がもらったきた資生堂パーラーの青い包み紙の色はとても鮮やかで忘れられない。同じように花椿もそうだった。それは別に化粧、化粧品なのではない。アートであり、思想であり、美そのものである。そして資生堂は化粧品メーカーだが、ずっと美を追求しているものと思い続づけている。今回もらった花椿は以前に比べてサイズが大きくなっていた。グラビアも芸術的なものとファッション的なものとがあり、コラムやインタビューもずっしりしている。資生堂の広告としてのグラビアもポップでワクワクするような仕掛け。そして本誌には詩があった。そのうえ別冊として花椿文庫という文庫サイズの小冊子が付属していて、それ自体が詩集になっている。あなたが選ぶ「今月の詩」というものである。web花椿で紹介された詩から一番多くの票を獲得したものを文庫化しているようだ。こういう試みも興味深い。私はここで詩を載せたりしているが、詩を読むという行為は、教科書に載っているような明治の文豪などのものを断片的にしか読んだことはない。恥ずかしい話だが本誌の詩と文庫の詩に触れて、それは世界にあまたある詩の中の一部であろうが、やっぱりその素晴らしさに感激するのだ。そういう濃密でいい体験、経験をこの冊子が与えてくれたその事実は、ぱっと世界が変わるようなそんな切り替わる瞬間を提供してくれている。そんな気がした。
web花椿には「今月の詩」のほかにもtofubeatsさんがDJを務めるラジオ「花椿アワー」など、その他ビューティーからファッション、アートから思想など色々なコンテンツがあって楽しいです。
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コントラスト
黒と白のコントラストを考えることがある。白は生成りに近いのもあり、服としてはよく着る。下着のシャツとかそうだ。でも黒は敬遠していた。吸い込まれてゆくようで落ち着いているようで強いようで拒んでいるようだ。最近やっと黒い服飾を当たり前と感じるようになった。黒は便利だとも思う。それは老いたからだろうか、それとも成長したのだろうか。眩しい白の中に、いや白は純白ではない。だから眩しい光の中に暗黒がある。その逆もまた。その中で何かを探している。そこに放り込まれている。もがいている。開放を閉じ込めていると言うことは閉じ込められているということか。密閉されているものは開放できない。そのコントラストの違いは白と黒か。そうなると境界は曖昧になる。自分が着る服は様々なものだけど、白と黒だとどうなるのだろうか。そういうモノトーンな姿は定番かもしれないが体験したことはない。しかし近づいてきているのかもしれない。
ドットの花咲き乱れ
ソーサリアン、この広大な物語、この繊細で多彩な音楽、複雑で挑戦を楽しめるシステム。その中の音楽、それは今も聞き忘れられないものだ。古代さんをメインにして最高の曲の数々、限りあるが多種多様なシナリオ、当時、いや今もあの経験は快感でしかない。またプレイにお金は掛かるが音楽を聞きたかった影の伝説、これは実際曲数が多いわけでもなくシンプルな構成だが斬新さがあり、素晴らしさは今も色褪せない。前にも小倉久佳さんのダライアスIIの曲のことは書いているが、斬新さは変わらない。そしてCommodore 64のdemo文化の中でも重要なChiptune。今回の曲、いやこの曲以外のdemoやChiptune膨大な曲すべてが私の一部を作っている。そこには記憶も存在し今でもそれに浸かっている。もっともっと聞いていたい、そしてもっともっと聞いてもらいたい。そうしたら脳内、いやこの世にドットの花が咲き乱れるだろう。