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明治期宇都宮の初午料理「すみづかり」
「初午」というのは2月最初の「午」の日を指すが、この日はお稲荷さんの祭礼の日と決まっているようだ。
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今では新暦でおこなうところが多いようだが、本来は旧暦。今年2022年は、今月3日が陰暦2月のはじまり、そこから数えて最初の午の日はその4日、つまり陽暦3月6日(日)にあたるらしい。
前に☝「元旦」論3回目でも取り上げた、明治後期の百科事典『國民百科辭典』をみてみると、次のように書いてある。
ハツウマ 初午 又初午詣、福參り。二月上午日に行ふ稻荷社の祭禮。伏見稻荷の鎭座原始が元明帝の和銅四年二月初午の日なりしより例となると。東京にては王子、妻戀、三圍等より市内所在の小祠に至る迄灯を揭げ太鼓を打ち、小兒蝟集して遊ぶ。
和銅四年は西暦でいえば711年だからときは奈良時代、ずいぶんとまた古いお話だ。
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☝これも以前同じ合本のほかの号をご紹介した明治20年代の『風俗畫報』に載っている、東京は金町の半田稲荷大社の当時のようす。
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半田稻荷の社は武藏東葛西領金町にありその鎭座の來山詳かならざれどもいとふるくより小兒の大厄疱瘡麻疹を護して輕からしむるとて都下の小兒を持てる家にては當時(文化の頃)必ず祈願を籠る事なりし……社前常に詣人の絕間なく殊に每年二月初午二ノ午等の日は其賑はしき事いふ計りなし……
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この半田稲荷神社も、和銅四年創建説もあるのだそうだ。
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表紙絵は、王子稲荷神社の初午風景らしい。
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☝このお狐さんがたしか、王子土産じゃなかったかな。
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ところで、『改訂新版 世界大百科事典』の「初午」項には、民俗学者の田中宣一が次のように書いておられるようだ。
2月初めの午の日,およびその日の行事をいう。全国的に稲荷信仰と結びついているが,旧暦の2月初午は農事開始のころにあたり,そのために農神の性格をもつ稲荷と結びつきやすかったのであろう。関東地方では稲荷講が盛んで,稲荷の祠に幟(のぼり)を立て油揚げや赤飯などを供えて祭り,参加者が飲食を共にしている。スミツカリという独特の食品を供える所もある。子どもが稲荷祠で太鼓をたたいて過ごしたり,ときには籠(こも)ったりもする。稲荷神社としては京都の伏見稲荷大社や愛知の豊川稲荷が有名であるが,また各地には大小さまざまの稲荷があり,信仰を集めている。……
この「スミツカリという独特の食品」について、これまた以前も引用した☟『婦人寳典』という本に紹介記事があるのだが、おそらく土地の方にもこの本は知られていないとおもわれるので、この際ご覧に入れることにしよう。
卷の三の鼇頭に「各地特殊の料理」という記事がある。
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編集発行元の大日本女學會が各地方の会員から募ったレシピのなかから30種ちかくを択び、それに料理の家元☟四條流9代の石井泰次郎
が評を加え、ついでに蘊蓄も披露する、というなかなか面白い企画だ。ちょっと『オレンジページ』みたい? ちょっと違うかな?ww
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これの最後に、宇都宮市の方が投稿された「すみづかり」という料理が載っている。
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此すみづかりと云ふ料理は、我が宇都宮を始め、近在各地に於て、古來二月初午の日に、各家に拵える習ひとなり居るものにて、恐らく他國には例のなき異樣なる仕方なるべし。
先づ大根の皮を去り、鬼卸にておろし、(宇都宮地方にて鬼卸と云ふは、大根をセンに卸す器具にて、竹もて刃をつくり、最もあらく且つ不揃におろす器具なり。)大根の水氣を搾らず、其まゝ鍋に入れ、別に大豆の熬りたるを盆に入れ、搖りて皮を去り、前の大根に交ぜ、さて、酒の粕と醬油と酢とを加減して入れ、文火にて一日位煮あげるなり。
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此料理は初午の日の外は决して拵へず、氣候も寒く殊に十分に煮たるものなれば腐敗の虞なく、澤山につくり置きて、數日間總菜に用ゐるを習とせり。すみづかりとは酸味漬りなどの文字を用ゐるべきか。
評 この料理はいかにも特殊なり。僧膳の料理の一品として古代より傳はれる物の一種なり。……
古式の料理法を代々受け継ぐご一族の当主である石井のご興味を大いに惹いたようで、このコーナー中最長の記事になっているのだが、実はこれ、現在では「しもつかれ」と呼ばれる当地の郷土料理と同じものらしい。
「すみづかり」と「しもつかれ」、だいぶ語感が違うけれど……。
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「鬼卸」というのは☟こういう(画像3番目に出てくる)道具らしい
が、ご存知なかったらしい石井が指摘しておられる山東京傳『近世奇跡考』
卷之三にある図というのは、「古代山葵擦圖」というもので、説明文を読んでみても「おにおろし」とは書かれていないようだ。ということは「おにおろしとは」はこの引用の後の疑問文にかかっているのだろうが、ちょっとわかりづらい。
「是に似たる器にや。圖を以て示されたし。」とまで仰せだが、結局ご覧になれたのかどうか。この『婦人寳典』再版にもその図が載っていないのは残念……。
扨すみづかりとは酸味漬りなどの文字を用ふべきかとの質問に對して、次にいさゝか書そへて、讀む人たちの一考の料とせり。
すみづかりとは、スムツカリの轉語にして、古代の語のゝこりなり。スムツカリの事は、伊勢貞丈翁隨筆(小車錦の卷百三十條をぐるまにしき)に載せられたり。
ここにいう『貞丈叢書』はインターネット公開はされていないようだ。伊勢貞丈は十八世紀の有職故実家とのこと。
ということでその中身はわからないのだが、その次の『宇治拾遺物語』の方は喜多村信節『嬉遊笑覽』卷十上にも出てくる。
これに添えてある解説によると、「酢むつかり」に使われていた「酢」は、元々は柚子の果汁だったようだ。
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スムツカリの語源考ふべし。酢のむつまじくつくとの意なるが如し。能く考ふべし。
石井は「酢が睦まじく着く」から「スムツカリ」なのでは、とのお考えだったようだ。ただ、「考ふべし」と2度も書いておられるように、確信はお持ちになれなかったとみられる。
それはともかく、明治時代あたりまでの宇都宮周辺地域では「すみつかり」「すみづかり」と呼ばれていたものが、いつの間にか「しもつかれ」優勢に変わってしまったようだ。だから今日ではなおさらのこと、☟宇都宮大学『宇都宮大学農学部學術報告』12巻1号掲載の阿部憲治+鈴木健治「栃木県郷土料理「しもつかれ」の製法検討」にも紹介されているように、さまざまな語源説が出ているのだろう。
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この記事を書いているヤツは、実はひょんなことからここ何年か、栃木ご出身の方にご実家製「しもつかれ」のお裾分けをいただいている。
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こんなことでもなければ、恐らく一生口にする機会はなかったろう。
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チーズが結構合うお味☆ とおもうので、いつもとろけるヤツをかけてチンしていただいている。
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