使いたくなかった言葉
「歳をとったしね」
20代の頃・10年前、歳をかさねても絶対に使いたくないと思っていた言葉。
40代になった今、当たり前に使ってしまっていることにふと気がついた。
・年齢のせいで、体がうまく動かなくなった
・代謝が落ちて体重が増えた
・代謝が落ちて痩せにくくなった
・年齢の影響で疲れやすくなった
・脂っこいものが食べれなくなった
・お酒が飲めなくなった
・疲労が抜けなくなった
同年代と会話をすれば、このような会話はテンプレートのように繰り出されている。
10年前にこのような会話に遭遇したならば、
「何をいっているんだ、対策すればいいじゃないか」と冷ややかな目で捉えていた。
そして、苛立ちすら感じていた。
しかし現に40代となった今、先ほどの言葉たちに苛立ちなど微塵も感じていない自分に気づく。
むしろ、共感ポイントのように会話を盛り上げている姿が容易に想像できてしまう。
そんな光景を客観的に捉えてみた場合、この共感している姿勢に危機感をおぼえる。
日常に流され、只々年齢を重ねていたという事実。
そのような日記を読み返しているかのように思えるのだ。
肉体の老化は自然の摂理であり、受け入れることが成熟の証であると理解はしつつも。
「年齢を重ねるにつれて代謝が落ちるから」と
そんな都合の良いことを言い共感を得てきたけれど、
もう一度ゼロポイントに立ち戻らなくてはいけないと感じる。
先日、日経の記事で以下のような記事が注目されていた。
要は、「20代半ばから60歳までは代謝はほぼ変わらない」というもの。
「年齢による代謝の低下」という、とても便利でマルチな表現に逃げれなくなった。
今をゼロポイントとして捉え直し、今後の進化を考えるタイミングなのかなと思うところです。