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まず、あたり前のストレッチからはじめる
「ストレッチを日常のルーティンにしよう」と再開をした。
身体を柔らかくしたいという目的ではなく、最近の身体の不調を感じていることへの危機感からといった方が良い。
とにかく最近の症状としては
・身体が重い
・お腹の調子が悪い
・体重の増加
・足が攣る(就寝時、道路横断のため少しダッシュした時)
・とにかく疲れやすい
そんな思いから、インスタグラムなどで流れてくる動画を参考にストレッチを開始した。
股関節がカタイのを認識しているので、股関節まわりの動的ストレチを中心にトライした結果・・・
股関節を痛めてしまった。
なんとも情けない話。
そこで、股関節を痛めてしまった背景の把握と、反省点を客観的に考えてみようと思う。
まずは静的ストレッチから
まず、運動習慣がまったくなく、体操やストレッチをまともおこなかっていなかったこと。
ガチガチの状態で、筋肉や関節をスムーズに動かせる状態ではなかった。
ストレッチには「静的ストレッチ」と「動的ストレッチ」がある。
静的ストレッチとは、筋肉をじっくり伸ばしていくようなストレッチ。
動的ストレッチとは、筋肉の収縮をおこない、関節などをまたぎ動きをつくっていくストレッチ。
分かりやすくここでは、
リラックスしたい場合 → 静的ストレッチ
動けるようにしたい場合 → 動的ストレッチ
として定義しておこう。
そしてどちらかのストレッチだけが必要というのではなく、目的や状況に合わせてどちらも重要だということを忘れないでおきたいところ。
今回のケースでいえば、身体をスムーズに動かせる状態ではなかったということから考えると、最初に取り組むのは「静的ストレッチ」だったのだろうなと。
動かすために「動的ストレッチでは?」とも捉えられるのだが、
「静」の状態を知らずに実行する「動」はリスクが高い。
鉄球のようにカチカチの筋肉や関節を動かそうとして、パキッと折れてしまうような。
また、片足で立てないグラグラの状態で、ランニングをしたり山を駆け下ればどうなるか、想像できるところだろう。
柔軟性のない筋肉や関節では、力を適切に伝えることができない。
なので、今回のケースでは「静の状態を知る」ストレッチから開始する必要があった。
目新しいことだけに飛びつかない
次にインスタグラムで流れてくるストレッチ動画だけを参考にしてしまった点。
スポーツマンや治療院の施術服を着た人、ヨガなどのインストラクター風な人たちが紹介する有益なストレッチ動画。
きっと効果的で、正しいものなのだと思う。
そして、
「これを続けると〇〇になるよ」
「これはNG、正しい方法は〇〇」
「保存し、見返しながら続けてね」というセリフと一緒に流れてくる。
これらはシンプルに「マーケティングとしての一つの手段」である。
次の案を比べてみてほしい。
① 重要で本質を捉えてはいるストレッチだが、とても地味で目を引かない
② 動作があり見た目も良い、キャッチになりやすいストレッチ動画
おそらく、大半の方が「何かあたらしそう!」と感じる「②」を
閲覧する確率が高いだろう。
「①」の誰もが過去に経験済みのストレッチ動画を発信したところで、
「そんなの知ってるよ」
「昔、部活で散々やったよ」
といって、知っているものはスキップ確率は高い。
それならば、目新しいストレッチを発信した方が閲覧される確率は高くなるだろう。
「見られるためには?」という観点からすると、目新しいものを発信することが必然条件となるのは自然なこと。
そこで問題だったのが、わたしが目新しいものだけに飛びついてしまったという点だ。
股関節がカタイと認識はしており、その重要性を知っているからこそ、段階を踏まずに「見栄えの良い動的ストレッチ」ばかりをトライしてしまったこと。
それが股関節を痛めてしまった要因の一つだろう。
誰でも知っているストレッチをやる
股関節を痛めたという失敗を機に、いまいちどゼロベースに立ち返ろうと思う。
もしストレッチの知識もなくSNSに馴染みがなかったなら、
どんなストレッチをやっていただろう?
インターネットで信頼できる動画を探し、じっくり学ぶかもしれない。
書店でストレッチの本などをみて学ぶかもしれない。
それらの前半ページに載ってあるストレッチはもしかすると、
10代に教わったとても地味で華やかなものではないかもしれない。
・地面に座り開脚し足の指へ状態を倒す
・立位から状態を折り曲げて倒し、太ももの裏・お尻をのばす
いわゆる、誰でも知っているストレッチ
けれど、それがとても重要なのだと。
身体が柔らかくなるとか、成果のことだけではない。
実践してわかること・気づくこと。
できることと、できないことの理解。
「静」ができたら「動」を取り入れる。
適正な状態を知り、適切な対処をすることを意味するのだと思う。
あたりまえのストレッチを始めて、五日ほどがたった。
一日わずか15分、ストレッチに時間をさいているだけで、ズレていた感覚が修正されていく感覚を実感できている。
1日1%(15分)の継続は、実りのための土台づくりだと再認識させられることろである。