【おはなし】 ラジオのおじさん
仕事を終えて家に帰り、シャワーを浴びてからの夕食の時間。
僕はスーパーで買ったビビンバ丼を温めて、冷奴にネギとポン酢をかける。冷蔵庫の奥からキンキンに冷えた発泡酒を取り出してグラスに注ぐ。
ラジオのスイッチをひねり野球中継をつける。今夜は阪神対広島の試合が行われている。2対2の同点。阪神が負けてないから良しとしよう。
僕がラジオをつけると応援しているチームがピンチになる。得点チャンスのときにラジオをつけちゃうと点が入らない。どういうカラクリになっているのか分からないけど、とっても不公平だと思う。
僕は今日も定時まで働き、しかも残業までしたっていうのに。応援しているチームが勝ってくれてもいいじゃん。
「それはのぉ、運の使いすぎじゃよ」
ラジオの音声が乱れておじいさんの声が聞こえてきた。
「お主はのぉ、さっきスーパーで値引シールを貼ってもらったじゃろう。そこで運を使ってしまったんじゃよ」
「たったの100円引きだよ?」
「金額は問題ではない。値引きは値引きじゃよ」
どこの誰だか分からないけど手が混んでいる。僕の行動を監視しているみたいだ。
「それにのぉ、お主は昨日に布団を干したじゃろう?」
「それが何か関係あるっていうの?」
「アリアリじゃよ」
確かに僕は昨日の朝から布団を干した。本当なら月に一度はお日様に当てたいのに、体調を崩していたので2ヶ月ぶりになってしまった。季節性の風邪にかかってしまい寝込んでいたのだ。
「言い訳はよろし。ルールはルールじゃ」
月に一度は布団を干すと手帳に書いたことまでバレている。このおじいさんは何者なのだろう。
「それは気にせんでよろし」
僕はビビンバ丼を食べて発泡酒を飲む。得体の知れないおじいさんの相手をするのは食べ終えてからでいいだろう。
「よろし」
ふん。
ザー ザー ザー ♫
ラジオの音声が乱れていく。
ぼくは床屋さんの待合ベンチに座っている。先に来たお客さんから順番に並ぶシステム。右手を広げると500円玉が2枚ある。左手は弟の手をつないでいる。お父さんもお母さんもいない。ぼくは弟と2人で散髪に来たみたいだ。
店内のラジオからは知らない歌が流れている。シティーハンターやドラゴンボールの主題歌だったら知ってるのに。お父さんの好きな井上陽水だったらギリギリ分かるけど。
弟はぼくの手をつなぎながらキン肉マンの漫画を読んでいる。片手じゃ読みにくいと思うんだけど、何事も器用にこなす弟には問題ないみたいだ。
ぼくは順番を数える。1.2.3.4。あと4人待ったらぼくたちの順番が回ってくるぞ。
いつものあのおじさんにあたるといいな。でも、あと4人だと難しいかも知れない。あのおばさんにはあたりたくないな。いっぱい話しかけてくるからちょっと怖いんだよね。
ぷふぁー モク モク ◎ ○ 。.
白い煙が充満する待合ベンチ。窓は空いているけどおじさんたちは美味しそうにタバコを吸うから、ぼくは嫌だなって顔をしてしまった。
「なんや、にいちゃん! ワシに言いたいことがあるんかいな?」
サングラスをかけたおじさんがぼくに話しかけてきた。どうしよう。弟は漫画に夢中で気づいていないみたいだ。
「は〜い、お待たせしました。お次の方は・・・。あら、山本さんやね、こんにちは。お久しぶりですね、お元気でしたか? あたしは見ての通り元気満タンです。さあ、こちらにどうぞ」
名前を呼ばれたサングラスのおじさんは、ぼくから離れて行った。
ザー ザー ザー ♫
ぼくたちは散髪を終えて家に向かう道を歩いている。駅前にあったはずの映画館がいつの間にか真っ黒に焦げている。
ぼくの右手には四角い箱に入ったガムがある。散髪を終えてレジでおばさんからもらったんだ。左手は弟の手をつないでいる。
「にいちゃん、さっき、ちょっと怖かったな」
「なんや、気づいてたんか」
「うん。怖いから知らんぷりしとってん」
「そおか」
「次の日曜日は、ビックリマンチョコ買いに行くん?」
「そうやな。おこづかい溜めとかなあかんわ」
「にいちゃん、ムダづかいしたらあかんで」
「わかっとるわ」
「それ、いらんねんやったら、ちょうだい」
「ええよ」
ザー ザー ザー ♫
そういえば、僕はどのタイミングで弟と手をつなぐのを止めたのだろう。小学校が休みの日曜日には、毎週のように一緒に出かけていたのに。
僕は阪神タイガースの帽子を被り、弟は近鉄バッファローズの帽子を被っていたんだよな。お風呂だって仲良く一緒に入っていたのに、今ではお互いに立派なおじさんだ。
「それが成長というものじゃ。万物流転で諸行無常。儚いのぉ〜」
僕の左手には、発泡酒の入ったグラスが握られていた。
おしまい