激論第7弾 私は紙の本しか読む気がしない!!
私は紙の本しか読む気がしない。
デジタルなもののほうが、場所もとらなし、大量の書物の持ち運びも便利だろう。
紙の本は重いし、冊数が多ければ、ある程度広い場所も必要になる。
紙の本は劣勢で、そのうち駆逐されてしまうのだろうか?
私は、本当に本が好きな人がいる限り、「紙の本」がなくなってしまうことはないと信じたい。
私はなぜ紙の本が好きなんだろう、と考えてみた。私の世代はそもそも幼いときネットもまだなかったから、「慣れ」なのかなぁと思っていた。しかし、何となく腑に落ちなかった。理由をうまく説明することができなかった。
哲学用語に「これ性」という言葉がある。そのまま「これせい」と読む。唯一性と言ってもいいかもしれない。
本というものは、基本的には、一人の人だけが読むものではないから、何千冊あるいは何万冊も「同じ」ものがコピーされる。
私が持つドストエフスキーの新潮文庫も、あなたが持つドストエフスキーの新潮文庫も装丁も中身も同じだ。
だが、たとえあなたの文庫本のほうが、私のものより新しく綺麗だったとしても、私は決してあなたの本と取り替えてほしいとは思わないだろう。なぜか?
「これ性」がないからである。
本当に本が好きな方にはわかっていただけると思うが、本でもCDでも、「店で買う」という行為を含めて「1冊の本であり、1枚のCD」なのだ。
見かけ上まったく同じでも、私のドストエフスキー文庫本には私のドストエフスキーの「これ性」があるが、あなたのドストエフスキー文庫本には私の「これ性」はまったくない。
電子書籍は「これ性」を帯びにくい。
単なるデジタルな文字が並ぶだけだ。
何年経っても、紙の文庫本のように変色したり、醤油をこぼしてしまっても綺麗な文字のままだ。
そしてもうひとつ。
電子書籍には「tangibility」(有形性)がない。質量感、手触り感と言ってもいいかもしれない。
例えば、推理小説を読む。紙の本📖ならば、終わりが近づくことは残りのページ数ですぐにわかる。残りページが減ってきたら、それまで読んだことを総合して、犯人を絞り込み始める。
電子書籍でも、ページ数やパーセント表示が出るのかもしれないが、やはり紙の本がもたらす実感には及ばないだろう。
というわけで、私は「紙の本派」である。
「派」と言っても、「派閥」を作る気持ちはない。「電子書籍派」の方の意見を排除する気持ちも毛頭ない。
ただ、「わざわざ紙の本にする人なんているの😆?」という投稿記事に腹がたったのだ。
「電子書籍」にも「紙の本」にも、どちらにもそれぞれの良さがあるのだろう。
自分の価値観を他人に押しつけてはならない。
ただ私は「紙の本」だけを読み続けるつもりだ。
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