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経済学エッセイ | 仕事と比較生産費説

はじめに

 経済学は、いわゆる「社会科学」の学問の中で、かなり精緻化された学問であると考えられている。 
 しかしながら、物理や化学といった「自然科学」の学問と比べると、普遍性という点において、劣っているかもしれない。
 かつて、ノーベル経済学賞に輝いたサミュエルソンは、「経済学の理論の中で普遍性を持つ理論は何か?」と問われた際に、熟慮したあとで「比較生産費説」と答えたという。

 この記事では、「比較生産費説」の意味を簡単に説明したあとで、最初に比較生産費説を唱えた、D.リカードウ「経済学および課税の原理(上)(下)」(羽鳥卓也・吉澤芳樹[訳]、岩波文庫)の記述をもとに具体的な数値例について考察してみたい。


[ 1 ]

全部1人で仕事をこなそうとする人、うまく仕事を分担することが出来る人

 「あらゆる仕事を他の人よりも効率よくこなすことができる人」と、「なにをやらせても他の人よりもうまく出来ない人」がいるとしよう。

 優秀な人の中には、自分で何から何まで人に任せようとせずに、何でも自分でやったほうが効率が良いと考える人がいるだろう。
 比較生産費説とは、このような状況の時に、優秀な人が1人で仕事をすべてこなすよりも、「仕事をうまくこなせない人」を使ったほうが効率がいい、ということを示すものである。

 例えば、話を単純化して、仕事を「企画立案」と「その他の雑務」という2つに分けて考えてみる。

 Aさんは、
「企画立案」するのに30日、
「その他の雑務」をするのに3日
かかるとする。
 Bさんは、
「企画立案」するのに60日、
「その他の雑務」をするのに4日
かかるとする。

「企画立案」においても、「その他の雑務」においても、Aさんのほうが「絶対的な優位」にあるが、

「企画立案」の面では、
60➗30=2 (2倍)
「その他の雑務」の面では、
4➗3= およそ1.33 (約 1.3倍)
である。

つまり、
「企画立案」の面では、
Aさんが「比較(相対的)優位」にあり、
「その他の雑務」の面では、
Bさんが「比較(相対的)優位」にある。

 結論を先に言うと、いずれも「絶対的優位」にある者(今の例だとAさん)がすべての仕事をこなすよりも、それぞれの者が「比較優位」にある仕事に特化したほうが、全体としてみた場合、利益が大きくなる、ということが「比較生産費説」の教えるところである。

 今の例でいうと、Aさんが仕事をすべてを抱えこむよりも、
Aさんが「企画立案」を受け持ち、
Bさんが「その他の雑務」を受け持つ
というほうが、全体としての効率が良いということである。


[ 2 ]

リカードウ「経済学および課税の原理」、第7章外国貿易について(前掲書[上]、pp.183--210)

 比較生産費説は、D.リカードウ(1772--1823)が提唱した学説である。

 リカードウは、話を単純化して、次のように記述している。
 ポルトガルとイギリスの2か国があり、「ぶどう酒」と「毛織物」という2品目を生産していることを想定する。

1単位作るのに必要な労力

(自給自足の場合)

🇵🇹ポルトガル🇵🇹
ぶどう酒 80人
毛織物  90人

🇬🇧イギリス🇬🇧
ぶどう酒 120人
毛織物  100人

ぶどう酒も毛織物も、ポルトガルのほうが1単位作るのに少ない人数で済むから、ポルトガルのほうが「絶対優位」である。

ポルトガル🇵🇹の場合、
ぶどう酒 : 毛織物
= 80 : 90 
= 1 : 1.125 

イギリス🇬🇧の場合、
ぶどう酒 : 毛織物
= 120 : 100 
= 1 : 0.83 

よって、
ぶどう酒では、ポルトガル🇵🇹が「比較優位」であり、
毛織物では、イギリス🇬🇧が「比較優位」である。

ここで、それぞれの国が「比較優位」にある商品の生産に「特化」するとしよう(ポルトガル🇵🇹は「ぶどう酒」だけを作り、イギリス🇬🇧は「毛織物」だけを作る)。

そうすると
ポルトガル🇵🇹では、ぶどう酒を
( 80 + 90 ) ➗80 = 2.125 単位、
イギリス🇬🇧では、毛織物を
(120 + 100 ) ➗100 = 2.2単位
生産することができる。

それぞれの国が特化する前は、ぶどう酒も毛織物も、それぞれ「2単位」だったものが、いずれも生産が増加したことがわかるだろう。


[ 3 ] まとめ

 比較生産費説によれば、単独で生産(あるいは仕事)するよりも、それぞれの「比較優位」にある商品(あるいは事柄)に「特化」したほうが、生産性が上がる。

 理論的には、「比較生産費説」は正しいと考えられる。
 しかし、「暗黙の仮定」が含まれているので、注意は必要である。
 
 上記した例では、「暗黙の仮定」として、「国(あるいは個人)の習熟度はずっと変わらない」ということがある。

 当然のことながら、技術面での進歩や、個人のスキルの向上があれば、絶対優位も比較優位も変わりうる。

 しかしながら、比較生産費説を学ぶと、「どんな人でも、いないより、いてくれたほうがいい」と言われているような気がしてくる。

 優秀な人も、そうでない人も、共存共栄していくことの大切さを教えてくれる理論のように思える。
 みな自らの「比較優位」にあるものを模索し続ければよい。「絶対優位」だけが生存戦略として正しいわけではないのだ。

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