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エッセイ|哲学書の読み方
(1)はじめて哲学書を読むならば
基本的には、ふつうの本と同じように、最初から読んでいって理解できればよいのだが、哲学書には独特な言い回しがある。
いきなり読んでいっても、チンプンカンプンになることが多い。
はじめて哲学書を読むのなら、ギリシア哲学から読んでいくのがよいと思う。多少、難解な言葉もあるが、基本的には他の本と同じように読めるからだ。
哲学で扱うテーマ自体は、ほぼギリシア哲学がカバーしている。どんな哲学者であれ、ギリシア哲学を完全に無視することはできないだろう。誰でも、多かれ少なかれ、ギリシア哲学の影響を受けている。
より具体的には、「饗宴」「ソクラテスの弁明」「国家」あたりを最初に読んだほうがいい。哲学ってこういうことかな、というイメージをつかんでおいたほうが、のちに別の哲学者の本を読むときにも活かされる。
最初から、洪水のようなニーチェの哲学を読むことは、あまりオススメできない。
ギリシア哲学に触れたあとは、自分の興味のある思想家・哲学者の書物に取りかかるとよい。
(2)個別の哲学者の著作を読むならば
エッセイや小説を読むならば、予備知識なしで読み始めるのが普通だろう。読んでも理解できないことがあれば、「~を読む」という文献や伝記の類いを読んで、その作品が書かれた背景を知ると、また作品の理解が深まる。
しかし、哲学書を読む場合は、いきなり哲学書を読み始めるより、入門書を先に読んでおいたほうがよい。というのは、ある程度、専門用語をおさえておかないと、まったく理解ができないか、あるいは、「誤読」する危険があるからだ。
注釈書を読む時間があるならば、原書(翻訳でもよいから)を2、3回読んだほうがよい、という考え方もあるが、著者がどういう結論へもっていこうとしているのかがまったく分からないと、フラストレーションがたまる。
(3)注意すべきこと
急いで先に進もうとしないこと。ひとつひとつ理解し自分の頭で考えるのが哲学だから、日によっては数ページも読めないことがある。
抽象的に書かれていることが多いので、具体的な例を頭に思い浮かべながら読む。
基本的には「弁護人」的な態度で読む。こういうことが主張したいのではないかと考えて、その都度、仮説をたてる。どうしても違和感を持ち、おかしい、と思ったら、しばらくそのページで止まってもよい。考えても分からないときは、もう一度前に戻ってもいいし、取りあえずその分からない箇所を棚上げして先に進んでもよい。
いずれにしても、自分の考え方と違うからといって、安易に切り捨てないこと。あとになって、自分自身の読みが浅かったことに気がつく場合もある。
(4)哲学書を読みたくないが哲学したいならば。
①
安易に「人それぞれだから」と言わないこと。なにを美しいと感じるかは、確かに人によって違う。しかし、誰でも、富士山を見れば「いいな」と思い、道端に犬のフンが落ちていれば「きたない」と思う。「いい」「きたない」という言葉をお互いに理解できるならば、人々が共通にもっている「概念」がきっとあるはず。他人との微妙な感覚の差異に敏感になること。
②
「嫌いな人」とコミュニケーションすること。理不尽に嫌われたとき、なぜだろう?、と考える。処世術的には、「かかわらない」「逃げる」ことも大事だが、「嫌い」という感情は、相手と自分との相違点があらわになる瞬間である。別に友だちになりたいわけではない。仲良くする必要もない。しかし、身近に嫌いな人がいたほうが学びも多い。
身近に好きな人ばっかりのときより、哲学をしやすい環境に違いない。
③
自分が正しいとは思わないこと。
自分と異なる考え方を示されたとき、あえて相手の立ち位置に自分を置いてみること。
「レベルが低い奴だ」というのではなく、相手が何を前提としているのか、どういう思い込みをもっているのか、と考えてみる。
「頭がいい人だ。理解できない」ではなく、自分に欠けているものはなにか?、理解を妨げているものはなにか?、と考えてみる。自分より賢そうだからといって、安易に鵜呑みしてはならない。また、自分には無理だ、と安易にあきらめてはならない。
(5)最後に
別に哲学することは、特別に素晴らしいことでも、高尚なことでもない。「『よい』って何だろう?」
「『ふつう』って何だろう?」
「『しあわせ』って何だろう?」
「『時間』って何だろう?」
「『存在』って何だろう?」
「『死ぬ』って何だろう?」
上に挙げたような問いは、仮に答えがあり理解できたとしても、物質的にも精神的にも、必ずしも「しあわせ」をもたらすものではない。
なんの利益もないものでも、「~って何だろう?」と、ある意味、無駄な問いかけが気になってしまう人もいる。
哲学がないほうが生きやすいものかもしれない。哲学は知識でも、倫理でもない。世俗的な意味では、しあわせどころか、不幸をもたらすかもしれない。それでも、答えのないであろう問いに絡めとらわれたなら、哲学に触れてみてもよい。すべての人にとって絶対的に必要なものだ、とは思っていない。
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