議論で愛💝を語るな!
この度、「議論で愛を語るな!」(わたしの現代新書)という本を上梓した。
課題が山積する現代ほど、多様な議論が必要とされる時代はない。
しかしながら、「人に優しい」「癒される」「共感できる!」ことばかり追求して、物事の本質に迫る徹底的な議論というものが欠如している。
議論は喧嘩ではない。殴り合いでもない。人を論破して打ちのめすためにあるのでもない。
議論とは、絶対的な真理に近づいて行くために必要不可欠な手法である。
この記事では「議論で愛を語るな!」のエッセンスを紹介する。
(1) 言葉の定義および前提条件
きちんとした議論をするときには、言葉の定義、お互いの前提を等しくする事が必要だ。
ここまで、たどり着くまでにも議論が必要なのだが、いったん合意した言葉の使い方やお互いの前提を反古にすると議論が噛み合わなくなる。
お互いの定義や前提を議論が始まってから恣意的に変えると不毛な自分語りに堕する。
互いが定義と前提を遵守して議論を戦わせていれば、「ここまで合意できますね、これより先は合意できませんね」という論点が明確になる。必ずしも、何らかの結論を見ることだけが議論の目的ではない。
(2) 二種類の決裂
議論を重ねる中で、お互いの意見が一致を見る場合や、お互いの意見を止揚した結論を得る場合があるが、決裂する場合もある。
ただ、決裂には二種類ある。
1つはもうこれっきり互いに水と油だから、話し合うことは辞めようという場合。
もう1つは「この点に関しては、合意できない」という合意を得て、その他の所ではさらに議論したり、協力しようという場合。
後者のような場合のことを
「agree to disagree」(合意できないことに合意する)という。これが出来れば、何ら実質的な結論に至らなかったとしても、議論した意義はある。
(3) 議論をぶち壊すNGワード集
人それぞれですねぇ。
愛が大切ですねぇ。
真心が大事ですねぇ。
自分の信念が大切ですねぇ。
特に関心がありませんねぇ。
楽しければそれでいいかなぁ。
議論してもムダでしたねぇ。
レベルが低いですねぇ。
頭がいいですねえ。
仲の良い人とだけ付き合います(相性が悪いみたいですねぇ)。
誤解のないように言っておくと、お互いに楽しく「おしゃべり」したい時は、別に今書いた箇条書きの言葉を使ってもいい。
ただ「議論」というものは、きちんと定義された言葉をお互いに使い、前提条件を一致させた上で、あくまでも「言葉」を戦わせることにその意義がある。議論には感情的な言葉は必要ではない。
「愛」だとか「恋」だとか、「真心」だとか「誠意」だとか、そんなものを議論に持ち出すことは、無意味であるばかりでなく、有害ですらある。
なぜなら、「愛」「恋」「真心」「誠意」という言葉は、万人が合意できるような定義がなく、単なる「気分」を述べる言葉だからである。愛も真心も、議論をぶち壊すだけだ。
議論する時に愛や真心を持ち出すな!
結び
①
「議論」と「おしゃべり」とは峻別しよう!似て非なるものだ。
②
議論するなら、「言葉の定義」と「前提条件」を明確にしよう!
③
議論においては、「人それぞれ」という相対主義を駆逐しよう!
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