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箇条書き|幸福論アフォリズム
幸せとはきわめて理性的なものである。
gladnessはhappinessではない。
幸福を説く者は、幸福ではない。
幸福は努力すること自体に存するものであり、必ずしもその達成を意味しない。
幸福になることをあきらめることが幸福への第一歩である。
夢は形を変えて実現する。思い描いた通りに実現したものは満足であり、持続する幸福ではない。
幸福を実現した者が幸福なのではなく、幸福に値するように生きた者が美しい。
幸福の絶頂は、不幸への序章である。
自らを幸福だと主張する者は、幸福が何であるかを全く知らない者である。
人は死すべき運命にあり、完全な幸福などあり得ない。
地獄を知らぬ者は天国を知らない。
幸福とは、そのただ中にいるときに感じるものではない。幸福に気が付くのは常に事後である。
時間が流れる限り、幸福と不幸の波が訪れる。
過去を語る者は、幸福ではない。
幸福をあきらめることも、幸福の一形態である。
他人を斬り幸福を語る者は、自己陶酔しているに過ぎない。
他人と比べないことを意識しているものは、他人を猛烈に意識しているものであり、決して幸福ではない。
世の中に不幸な人が1人でもいる限り、人間は幸福になれない。
幸福は感情ではなく、理性そのものである。
幸福な人生を歩んだ者が幸福なのではなく、幸福に値するように生きた者が真の幸福者である。
幸福を定義づけることはできない。
幸福論を語るには、幸福を再定義しつづけるしかない。
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![山根あきら | 妄想哲学者](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/174416477/profile_fcefecdb1e85490884f33fa4d8bca9d0.png?width=600&crop=1:1,smart)