詩 | 許す人
「間違って足を踏まれたら?」
「許します」
「恋人に浮気されたら?」
「許します」
「お金を盗まれたら?」
「許します」
「家を放火されたら?」
「許します」
「大切な人が殺されたら?」
「許します」
「地球が破壊されたら?」
「許します」
「そんなことでは生けていけないよ」
「私は生きています」
「これから先のことだよ」
「私はこれまで生きてきました」
他人から見ればささいなことであっても、「絶対に許せない」「絶対に許さない」という考え方から自由になれない人もいる。
「あいつに関わるな!」「ひどい目にあいました」と声高に叫ぶのは見苦しい。「そういうお前は何様だ!」なんて、自分で自分に火をつけて身を焦がす者。
「どんなことでも許す」という態度では、生きてゆけないと考える人が多いでしょう。だから、「時に戦うことが必要だ」とか「関わることをやめる」とか「忘れてしまおう」とか「なかったことにしよう」とか。
「全部許しても生きてはいけない」と考える根拠は何でしょう?
すべてを許しているのに、生き切ることができなかったという人はいるのでしょうか?
そういう人は自己主張なんてしていないから、なにも言葉を残さず、天命をまっとうしたかもしれない。
ちっちゃなことでも、忘れたり、完全に無視したりすることは難しい。攻撃しつづけることは、さらにエナジーを使う。
「すべてを許そう!」という選択肢もあり得る。
憎い相手もすべて許すことができたなら、もっと平和になるでしょうに。
「わたし」だの「あいつ」だのという区別なく、すべてを許してしまえ。きっと楽になる。
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記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします