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人間は分かり合えない
「人は理解し合うことができない」なんて言うと反発をまねくだろうか?
「あなたが人のことを理解できないのはね、あなたに人を理解しようとする気持ちがないからですよ」
そう言われればそんな気もする。他人についてどうこう考えるより、自分自身のことを考えている時間のほうがはるかに長い。
私は「今日の夜、何を食べようかな?」ということは毎日考える。
けれども、「◯◯さんは、今日の夜、何を召し上がるんだろうか?」なんて、ほとんど考えたことがない。
ところで、「相手のことを考えて行動しています」と言う人がいる。しかし、「相手のことを考える」とは、一体どういう意味だろう?
たいていの場合、よくよく話を聞いてみると「もしも自分自身が相手の人の立場にあるとしたら、私にこうしてもらいたいと思うだろう」と考えているに過ぎない。
簡単に言えば「己れの欲せざるところ、人に施すことなかれ」。あるいは、「己れの欲するところ、人に施すべし」。
結局のところ、「私は相手のことを考える」と言いながら、自分自身の思考の枠に当てはめているに過ぎないのだ。
相手が本当に何を考えているのか?、ということは、面倒くさくても、その都度相手と対話してみなければ分からないものである。
二人で同じ映画を見て、「あのシーンがよかったね」と語り合い、ことごとく意見が一致すると、「分かり合えた」と思うかもしれない。そして、だいたいそこで話が終わる。
しかし、その場面が「どうして面白いと思ったのか」と更に突っ込んで尋ねてみれば、まったく見当違いな理由で意見がたまたま一致した「かのように」思ったに過ぎないことも多々あるのではないか?
「賛成か?反対か?」のような表面的な意見が一致したことをもって、「この人と私とは感性が同じだ」と思い込んでいるだけではないか?
実際には真逆な理由かもしれない。
「どこまでが一致して、どこからが一致しないのか?」とお互いに意見をぶつけ合うことは、ほとんどないのが一般的ではないだろうか?
「他人のことを考えて行動しています」という人の大半は、私にはとても「自己中心的な人」のように思える。
「他人のことを考えて行動しています」という人は、他人のことなど、まるで考えていない。真の意味で他人の視点からモノを考えていない。常に自分の視点からしかモノを考えていない。心の奥底では、「人なんか理解できない」という信念があるように私には思える。
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