エッセイ🔢「累乗」と「指数法則」について
「ゼロ乗」が「1」になるのはどうしてか?
「累乗」。中学生のはじめの頃に学ぶ。「2の3乗」ならば
2×2×2=8 となる。
右肩の上の「回数」分だけ、かけ算しろ!ということ。
「回数」だから、正の整数しか現れないはずなのに、高校生になると
「5の-3乗」のように「負の数」が出てきたり、
「5の(1/3)乗」のように「分数」が出てきたりする。
もともと、「同じ数を、右肩上の回数だけかけ算する」、という定義だったのだから、分数や負の数が出てくるのは、おかしい。
とりあえず、正の数だけに限定して話をする。
具体的な例を挙げてみる。
5の3乗と5の2乗を掛けたものは、
5を5回掛けたものと等しい(↑)。
一般的に書くと次のようになる。
次に割り算を考えてみる。
具体的な割り算の例を挙げる。
一般的に書くと次のようになる。
では、もうひとつだけ、具体例で考えてみよう。
つまり、機械的に「公式」に当てはめると、5のゼロ乗は「1」になります。
まとめ
中学生のときは、累乗を同じ文字を掛ける「回数」として定義しました。
高校生では、「整数」のときに成り立った「法則」が成り立つものとして、
累乗を「再定義」しています。
中学生の頭で「0乗が1になる」ことをおかしく感じるのは、むしろ当たり前なのだと思います。
だって、「ゼロ回」掛けるなら、当然「ゼロ」だと考えていいはずです。
時折、数学では何の断りもなし*に「再定義」が行われることがあります。
(*一応書いてある場合もあるけど)
一般的な教科書では、指数の「拡張」と書いてありますが、指数の「再定義」と書いたほうが、分かりやすいと思うのですが...。
一般的なことから考えて、「法則」を導きだして、その法則に当てはめて、何も「矛盾」が起こらなければそれでいい、というのが、数学的な考え方なのかなぁ、と今更ながら思っています。
もう一つは「ゼロ」の扱い方ですね。数学の問題で難しい、と感じるときはたいてい、「ゼロ」の場合を考慮しなければならない場合が多いように感じています。