短編小説 | 悪霊
(1)
今日も千穂が私のもとへやって来た。軽い気持ちで引き受けた家庭教師であったが、すでに半年が過ぎた。最初はパッとしない感じのおとなしい女の子だと思ったが、ともに過ごす時間が増えていくにつれて、学校であった出来事や友だち関係の話などを、少しずつ話すようになった。
「今日はね、前にお話した男の子から告白されちゃった」と照れくさそうに千穂は言った。
「で、千穂ちゃんはなんてこたえたの?」
「うれしいけど、ほかにね、好きな人がいるから、って言って断っちゃった」
「そっか、千穂ちゃんには好きな男の子がいるんだね」
沈黙がつづいた。私は詮索するのはよくないかな、と思った。
「じゃあ、英語の教科書と問題集を出してくれる?」
(2)
「あぁ、ここに関係代名詞は、なにが入るかな?」
「えっと、先行詞が人で、主格だから、whoですよね」
「正解、よく理解できているようだね。じゃあ、少し休憩しようか?」
私は果物ナイフで、リンゴの皮をむいた。
「どうぞ。今日はリンゴしかないんだけど」
「先生、さっきの話なんですけど…。私の好きな人って、先生なんです」
「えっ?千穂ちゃん……」
(3)
千穂と目が合った。そして、千穂は目を閉じた。そのまま、魔がさした私は、千穂とキスをした。一度、唇が触れたあと、千穂は積極的だった。私のあらゆるところにキスし始めた。
手が千穂の胸に当たった。手を下に伸ばした。その瞬間、私の理性は吹き飛んでしまった。
「先生、そこはダメです」
千穂のかぼそい声を聞いたが、濡れる彼女とそのまま最後までいってしまった。
(4)
次の日、私は、自分の部屋から果物ナイフが紛失していることに気がついた。今日は千穂の母親が在宅らしい。千穂が昨日のことをなにか母親に言っていないかということが気になったので、思いきって、となりの部屋を訪ねた。
「こんにちは。昨日、千穂ちゃんが帰ったあとから、私の果物ナイフが見つかりません…。お心あたりはありませんか?」
「あ、先生、いつもお世話になっております。いえ、千穂からは何も聞いておりません。学校から帰ったら、きいておきましょう」
自分の部屋に戻ると、果物ナイフがベッドの下に落ちていることに気がついた。
(5)
その日の夜、母親が千穂に詰問する声が聞こえてきた。千穂には、万引きの前科があった。
「お前、またやらかしたね」
「私、やってない」
母親は、どうやら千穂を折檻しているようだ。私の部屋まで、母親が千穂を殴る音と悲鳴が聞こえてきた。
私はそれを黙って聞いていた。他人の部屋に乗り込んでいって、トラブルに巻き込まれるのはゴメンだ。
(6)
それ以降、千穂とは2度と会っていない。精神的におかしくなってしまったという。そして、精神科医がなにを尋ねても「私には好きな人がいるんです」という言葉を、繰り返し言い続けるだけだという。