短時間のテンパリングでスパイスの香りは本当に油に移るのだろうか?実験してみた@wacca【カレーのカガク】
今まで、カレーの構成要素として玉ねぎやトマトに関しての実験を繰り返してきた。ここからはカレーの本丸であるスパイスに関しても切り込んでいこうと思う。
今回は、短時間のテンパリングだけでスパイスの香りは本当に油に移るのだろうか?という実験をしてみたときのレポート。過去レポートはこちら。
インド料理でスパイスを扱うときに多くのレシピでまず登場するのが「テンパリング」ではないだろうか。
テンパリングとは、スパイスを油で加熱して香りを引き出すことであり、ヒンディーでは「タルカ(Tadka)」などとも言われ専用の小鍋「タルカパン」も存在する。(便利なので買おう)
テンパリングはインドで全土的に見られる方法だが、地域によってスパイスの組み合わせや使う油が異なってくる。基本的にホールスパイスをテンパリングするが例外もあり、香ばしさを引き出すためにチリパウダーを油で少し焦がしたり、ヒングを油で炒めたりする場合もある。
テンパリングに関する疑問はつきない。
テンパリングをした後に煮込む場合、ホールスパイスはいつ取り除くのがいいのだろうか?
クミンシードなどシードスパイスは焦げやすいが、どのくらい加熱すると香りが最も引き出されるのだろうか?
調理のスタート時のテンパリングと仕上げでのテンパリングの違いは何なのだろうか?
というかそもそも、本当にスパイスのテンパリングの工程は必要なのだろうか?
ちょっと考えてみよう。
スパイスのテンパリングとは?テンパリングの基礎知識
スパイスのテンパリングとはそもそも何なのか、ここで一旦復習してみる。
テンパリングとは一言で言えば「スパイスを油で加熱すること」だが、その役割を大きくまとめると以下の3つに分けられる、と言われている。
①風味を引き出す
スパイスの香気成分はそもそも植物の細胞内に含まれている生物兵器である。
動けない植物は身を守るために捕食者の動物にとって毒である成分を細胞の中に溜め込んでいる。その成分は細胞の中にあるので、熱で細胞を破壊することが「香りを引き出す」ということだ。
油を冷たい状態から加熱するコールドスタートでも温めた状態から加熱するホットスタートでもどっちでもいいが、スパイスの香りを引き出すには特定の温度帯まで持っていく必要がある。観察していると、マスタードシードを弾けさせるためには必ず180度〜200度の温度帯まで達する必要があるようだ。(弱火だと加熱と放熱が拮抗してしまい、いつまで経っても弾けない現象が起きる)
②香りを油に移す
スパイスの香り成分は精油、エッセンシャルオイルであり、水よりも油に溶けやすい性質を持つ。
テンパリング自体はカレーに限らずペペロンチーノなどパスタでも使われる技法で、オリーブオイルでニンニクや唐辛子をじっくり加熱することで香りを油に移し、料理全体に行き渡らせることが最終的な香りを左右する。
③香りをキープする
スパイスの香りは油に溶けることで揮発しにくくなる。料理全体に香りの溶け込んだ油が行き渡るようになることで香りが最後までキープされ、食べた時に口の中で香りが放たれる。
本当にそうなのか実験してみた
今回もいつもどおり、八丁堀waccaの三浦さんに全面協力していただいて実験を行った。waccaは最近リニューアルオープンしており、お酒が飲めるスパイスバル業態に進化。話題のラー飯やカルダモンハイなどとても美味しいので、ぜひスパイス飲みにどうぞ。日々進化し続け休むことを知らない三浦さん、身体壊さないように気をつけてください…。
問い:短時間のテンパリングで本当に香りは油に移っているのか?
疑問はたくさんあるものの、短時間のテンパリングで本当にホールスパイスの香りは油に移っているのか?ひいてはテンパリングの本当の役割はなんなのか?ということを今回は考えてみたいと思う。
仮説:テンパリングだけではなく、煮込みの工程こそがスパイスの香りを引き出すのでは?
経験上、短時間の加熱では油自体に香りはほとんど移らないのではないかと思う。
カルダモンやシナモンなどのホールスパイスは実際に食べるときに口当たりの邪魔になるため、最初に炒めるだけで煮込まず、すぐに取り出してしまうという話もたまに聞く。
しかし実際には、その後のテンパリング後の炒めと煮込みの工程でこそ香りがカレー全体に行き渡るのではないだろうか?感覚的にはなんとなくわかっているのだが、実際に食べ比べてみることで実感を持って普段の調理に活かすことが今回の目的である。
また、特に南インドの料理に多いのだが最初にテンパリングするパターンと最後にテンパリングオイルをかけて仕上げるパターンの両方が存在する。全く同じ材料でテンパリングをするタイミングを変えた場合にどのような違いが出るのだろうか。
実験方法:
検証する上で、煮込んだとしても食べにくいホールスパイス、カレーに混ざっていても問題なく食べられるホールスパイス、長時間煮込めば食べられるホールスパイス、の3つの区別を導入する。
シナモン・クローブ・カルダモンなど基本的に取り除きながら食べるスパイスとマスタード・フェヌグリーク・カレーリーフなど一緒に食べてしまえるスパイスでは扱いも変えるべきだろう。
今回は実験のため、煮込んでも食べにくいホールスパイス群からシナモン・クローブ・カルダモンを、問題なく食べられるホールスパイス群からマスタードシード・フェヌグリーク・カレーリーフをピックアップしてみる。
実験1:スパイスを油でテンパリングして1日漬け込んだものと、テンパリングした、ものを比べてみる。
全部で以下の4パターンを用意し、油を試食して香りの違いを複数名で評価する。
油なめ実験の結果
①食べにくい系(シナモン・クローブ・カルダモン)
②食べられる系(マスタードシード、フェヌグリーク、カレーリーフ)
4種類油を舐めるのはなかなかしんどいうえ、味が分かりにくかった。途中から塩を舐めながら油の試食をしたら少しわかりやすくなったが、バゲットを用意すればよかった。
当たり前だが、テンパリング後長時間油に浸されたほうがスパイスの香りは油に移っている。
短時間のテンパリングで香りは油に多少は移るが、十分に抽出されているとは言えなかった。
また、カルダモンなどの揮発しやすい香り、フレッシュな香気成分はテンパリング直後の方が香っており、時間が経つにつれて失われているようだった。しかしその反対にロースト香やシナモンなどの香りは時間が経つほどに油に移っていくように感じられた。
実験2:実際にカレーを作り比べてみる。
2-1:バターチキンカレーを2パターン作る。
(食べにくい系:シナモン、クローブ、カルダモン、ブラウンカルダモン)
レシピはこちら。バタチキ職人のなますてクッキングさんを召喚しました。
①で十分に香りが出るのであれば短時間のテンパリングでスパイスの香りは十分に油に移るので、スパイスは取り出して一緒に煮込まなくてもいいということになる。
2-2:サンバルを2パターン作ってみる。
(食べられる系:マスタード、フェヌグリーク、カレーリーフ)
それぞれのカレーを複数人で試食して評価し、香りや味に関してどの程度差分があるかを見る。
実験2:カレー作り比べの結果
食べにくい系スパイス:バターチキンカレー
①ホールスパイスをテンパリングした後、スパイスを取り出してから煮込んだもの
②ホールスパイスをテンパリングして一緒に煮込んだもの
両者を食べ比べてみたところ、スパイスを残して一緒に煮込んだ方が苦味があり、コントラストがある分味が立体的、引き締まって感じられた気がする。
食べられる系スパイス:サンバル
サンバルに使ったのは食べられる系のスパイスが中心だった。サンバルの評価は仮説と異なり、先テンパリングの方が全体的に香りが行き渡っていておいしい、という意見に。フェヌグリークやカレーリーフを煮込むことで全体の味へ影響が出るのかもしれない。
以上の実験から、テンパリングをすることで少しは油に香りを移すことはできるものの、カレー全体の香りへの影響力を持つのはホールスパイスそのもので、煮込んでいる間にカレー全体に香りが浸透するということがわかった。
考察(時間のない人はここだけ読んでね)
今回の実験結果にはそこまで大きな驚きはなく、単なる確認作業という感じではあった。
テンパリングは「スパイスの香りを油に移す」工程と言われることが多いが、実際短時間の加熱では油にほとんど香りは移っていないことがわかった。
テンパリングが必要ないと言っているわけではない。テンパリングは必要である。しかし今回はその役割をはっきりさせたかった。
実のところスパイスのテンパリングはスパイスの香りを油に移すことではなく、油で加熱することでスパイスの水分を飛ばし、香ばしさ(ピラジン類)を発生させ、煮込む段階で香りが料理全体に行き渡りやすくするための加工の意味合いが強いのではないだろうか。スパイスの香りは水溶性のものもあるし、油溶性のものでもその全てが短時間で抽出できるわけではないということだ。(当たり前ですね)
食べにくい系スパイス(シナモン、カルダモン、スターアニス)
よくある疑問としてシナモンやカルダモン、スターアニスなど食べにくいホールスパイスを使う場合はいつ料理から取り出すべきか、というものがある。
いま確実に言える答えとしては、煮込む場合はスパイスを調理の最後まで取り出さない方が良い。テンパリング自体はスパイスの香りを取り出しやすくするための準備であって、煮込んでいる間にスパイスからは香りがずっと出続けている。食べてもらうときに邪魔になるという場合は水を入れるタイミングで出汁パックに入れたり、専用の穴あきメタルボールに入れる、または「スパイスが入っていたら当たりです」とマインドコントロールをする、などの解決策がある。
単体で食べてみるとわからなくても、実際に最後までホールスパイスを煮込んだものと食べ比べてみると全く仕上がりが違う。
そのまま食べられるシード系スパイス(マスタードシード、クミンシード、フェヌグリークシードなど)
サンバルなどを作るとき仕上げでジャッとかける方法が多いが、そのまま食べられるシード系スパイスのテンパリングのタイミングは必ずしも最後にこだわらなくてもよく、調理開始時のテンパリングと仕上げのテンパリングでは最終的な味わいと香りが変わってくるということが確認できた。
調理開始時のテンパリングは、スパイスの香りが料理全体に回ることでうまみが増して感じられた。
一方、フローラルな香りやフレッシュな香りは煮込むほどに揮発して失われるので、直前に加熱して料理に加える方が香りが残りやすく、鼻から入ってくる香りに鮮烈な印象を残す。
香りを全体に回したときの複雑さを狙うか、香りのフレッシュ感を狙うかでテクニックを使い分けられるようになると表現の幅は広がりそうだ。
残された課題
ホールスパイスの香りを引き出すには油で単に炒めるだけでは十分ではなく、煮込む時にこそ香りが引き出されることがわかった。
ではそもそもホールスパイスを油で加熱せずにカレーを作ったらどうなるのか。それでカレーが成立するのなら特定のカレーを作る時にはテンパリングは必要ないということになり工程を省略することもできる。
テンパリングをせずに作ったカレーとそうではないカレーの比較も行ってみようと思う。
また、粒が小さいクミンシードやマスタードシードなど食べられる系シードスパイスの適切なテンパリング時間というのも検証してみたい。クミンはどこまで焦がして良いのか、マスタードシードはどのくらいまで弾けさせていいのか、など知りたいことがまだまだたくさんある。
参考
玉ねぎ実験やバスマティライス比較など、過去の「#カレーのカガク」実験についてはこちら。
◆ブログはこちら
▼普段は東京マサラ部室(https://twitter.com/masala_bu)でインドを作っています。
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スペシャルサンクス
実験から公開までだいぶ寝かせてしまってすみませんでした!飽くなき料理への探究心がものすごく、二周年を迎えたwaccaの三浦さんいつもありがとうございます!!そしていつもなにかと協力してくれるマサラ部室メンバーにもスペシャルサンクスを贈ります。
今後もカレーにまつわる疑問を検証する実験を続けていきます。
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