こころの場所
【11/4】
大好きな本”モモ”には、時間と心の関係が書いてあります (ネタばれになるかもしれないので詳しくは書きませんが・・・)
”光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、 人間には時間を感じとるために心というものがある”
生産性、合理性が求められる時代にあっても、モモから得た教訓は忘れないようにしています
フレーズの中にもある”ココロ”ってどこにあるんだろうということを久しぶりに、ふと思いました
脳にあるのか、心臓にあるのか、もしくは場合によって変わるのか・・・
現代の脳科学ではこころは脳の前頭連合野にあるとされるようです
でも、目に見えない心の動きを感じる時、心臓のドキドキだったり、手汗だったり、からだに変化が感じられますし、心が痛む…なんていうときに胸に手を当てたりもしますよね
それも、脳から送られる信号による反応だとすれば、やはり心は脳にあると捉えられそうですが
”気持ち”、”思考”、”感情”、それぞれ言葉の定義を、心の概念と照らし合わせて、はっきり認識する必要もありそうです
ある方のメルマガに以前、魚の「鰓(えら)」という字に「思」があるのは、「田」が頭をあらわしていて、「心」が心臓で、魚の場合、頭と心臓のあいだの所にエラがあるから、魚へんに思いと書く、というようなことが書かれていました
人間の場合、ココロはどこにあるのか、わたしの中ではっきりとした答えはまだ出ていませんが、目に見えないことを考えることは、そのもの自体が面白いことだと思いますし、家でこども達と哲学的なことを語らえるのは、ゆたかなことと感じます
最近、朝の日課となった瞑想では、思考から感覚へのシフトを意識的にします、「思考」と「感覚」、どちらにも心の字がはいりますが、ゆっくり呼吸に意識をむけると、どちらの在り方もじっくり観察することができます
「時間」をこころで感じることを、忘れているときには
心の”場所”はわからなくても
ゆっくり、呼吸をして
いま、この瞬間をみつめることに、立ち返るようにしています