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2年間作編曲に向き合ってきたまとめ

これまで作ってきた37曲から、なんかいい感じな部分を切り取って繋げてみました。

その名も「All of philosofy 1」。

教科書みたいな名前ですね。
調べてませんが、きっと「All of philosophy 1」という教科書はある。
*調べたら「A History of Philosophy Volume 1」という本はありました。

そういえば、僕のペンネームであるこの「philosofy」は、「フィロソファイ」と読みます。
きっと「フィロソフィー」とか、そもそも読み方ようわからんから「〜nふぃ〜」みたいにぼやぼやっと黙読している方もいたのではないでしょうか。

大丈夫。お好きに呼んでください。一応正式名称はあるということで。

ちなみに「philosofy」と入力すると、未だに(?)どんなテキストエディタを使っていても99%下に赤線が出たり変換候補がご丁寧に教えてくれたりします。
それphilosofyじゃなくてphilosophyじゃね? って。
余計なお世話じゃ!

僕はGoogle神を信じているのでよろしくお願いします。あ、Googleだけ対応しても意味ないか。

……割とどうでもいいことで前置きが長くなってしまいましたが、そもそもこの記事にこれから書くことはそんな感じのゆるい内容なので、お付き合いいただける方はおねがいします。


ようやく好きなものに出会えた

これが一番です。
ようやく、心の底から好きだと思えるものに辿り着きました。

が、正直かなり遅い。いやあまりにも遅いです。あと10年早く、つまり12歳くらいから始めていれば最適であったなと今になって思います。本当に。

言っても何もならないし仕方がないとは思っているものの、これは完全に後悔していることに違いはありません。ただただ悔しい。

そしたらこんな地獄みたいな遠回り

をせずに済んだはず。
ずっと家にいる間に曲を作っていれば。こうして文章を書いていれば。

あの頃はただただ消費しかしていませんでした。だから特になにも残りません。
別にそういう生き方を批判するわけではないけれど、僕にとってそれは意味のないことでした。

あ、全然ゆるくないですね…… 回顧すると必ずといっていいほど暗い話題になるので、残念ながら不可避です。

フカヒレスープって何気に美味しいですよね。たまに缶詰にあるやつ。

フカヒレ 不可避。 れ(?)

さぁ! こうして空気を切り替えたところで次の話題。

とても懐かしい。

上の動画を作るために全ての作品に目を通しました。
普段自分の曲を聴くことはほぼありません。作ったらそれで結構満足するもので。それは文章も同じです。

で、過去の曲を聴いてとてもなつかしい気持ちに。
特に歌詞ありのものは、ああ、確かにこの時こんなこと思ってたな、感じてたなって。
それを作った時の精神状態が確実に楽曲に反映されています。

例えば以下の2つの曲

は本当に精神が崩壊していて希死念慮に囚われていた時に、そのどうしようもない感情をそのままぶつけたものになります。

後から「うつの曲」と自分で呼んでいるのですが、改めてこうしてみると、とても興味深く感じるとともに、確実に過ごしてきたその時たちが一気にブワッと蘇ってきてなんか泣けました。こんな自分でも生きてきたのだなぁと。

歌詞はこれ。

本当に何も知らない頃 全てが輝いて見えた
知れば知るほど世界の残酷さに嫌気がさす
見えない希望それは僕の無知のせいなのか?そうであれ!
あぁ 僕らは学び成長してく
だけどさ同時に純粋だった心は薄汚く色褪せる
絶望希望全てが未知の世界を何かが分かった気になり僕らは今日も生きてる
逃げ出せない社会 思い描く理想求めてまた本を開く

綺麗な言葉や愛の歌が全く心に響かない
軽々しく語られるその台詞に意味などない
目の眩むような輝く世界はなくていい 実現不可能
あぁ 前向き思考に染まった思考停止
幻想に生きてる先に 確かな未来など存在しない
偽りの顔で人を利用するだけの奴も消える 僕も消える 儚さ忘れ生きてる
時は全てを消す 取り返せない過ち悔やむことをも過去へ

知るほど自分が行方不明 救いようのない事実に救われる
それが確かに自分であることの証明だから
全能感に浸る痛い奴よりマシだろ 愛せよ普通を
あぁ 才能を前に努力など無意味と知る
歌いたい歌叫んだところで地声が良くなきゃ誰にも届かない
情報過多の身も蓋も無い惑星で命尽きるその時まで自分の席を探すよ
格差まみれの社会 気付かないフリをして今日もまた人の群れへ

あぁ 僕らは学び成長してく どこまでも
望んだ未来 叫んで消えてく 見つける度に新たな旅路を知る
絶望希望全てが未知の世界で 僕は消える 生まれ変わる 考え変わり続ける
逃れられない自分 気付かないフリをしてみても どこまでも一つ

無知の功罪

クローゼット開けて少し戸惑う 全然ときめく服がない
外見を装い社会に対抗 そうでもしないと怖いから
優しさを弱さと見られ ひとり消えない言葉の棘
何もかも捨て駆け出したいよ
重ねた日々の時 重すぎる
自然のままにただ生きていたい
ただそれだけが望みさ 面倒な世界のどこかで

予想通りの日々 汚れた生活 考えるなと言われるだけ
生きてきた証を残したくても 認められなきゃただのゴミ
求められればそれは個性 そうじゃなければなんなんだよ
何もしたくない 何も見たくない
それだけを願うのダメですか
自分を壊し ただ空気読み そんなことするなら消えてやる
本当は違う 生きていたい

クローゼットの中 ひとりの世界 何にも見えない安心だ
内面を装い社会に適合 それも結局無理だった
優しさを向けてくれても ひとり眩しい言葉の影
本当はまだ夢を見ていたい
重ねた日々が見せる現実
消えたい人を止めるその人に この痛みがわかるものか
そんなこと思う自分が嫌い

ただ風に吹かれ 何もない空へ意識沈めていたい
自分の小ささに気がつくこと それが確かな安心感

何もかも捨て駆け出してみても
重ねた日々の時 思い出す
自然のように強く穏やかになれたらいいなと思えてる
そんな気持ちはまだ生きている

草原クローゼット

完全に勢いで言葉とメロディを書いて、なんかPCに齧り付いて完成しました。

今またこんなようなものを書いて、そしてメロディも書いて編曲できるかと言われても、できない気がします。これはその時にしかできなかった。

まぁでも作り方は今もその頃と特になにも変わっていません。

今後は楽譜も使っていこうと思っているのですが、どうなることやら。

結構恥ずかしい

それは楽曲のクオリティでも、内面をさらけ出すことでも、です。

「無知の功罪」もそうですが、その頃はなんか音圧をゴリゴリに上げていて、改めて見たら案の定海苔波形でした。
なんか、とにかく音量を上げればいいだろうって。

が、その音圧大好きマンだった頃もたまにそうではない波形のものもあったので、それらもやっぱり制作時の心の状態が反映されていたのではないかな、と思います。
ゴリゴリに歪ませて音色をビビらせることが、何か精神の解放のようなものだったのではないかと。

今が完全に編曲能力を身につけたというわけではないですが、その頃の曲をもう一度作り直してもいいのではないかな、と考えています(新しくメロディを書くより編曲する方が楽ということもある)。
多分また違った曲調になるはず。

内面をさらけ出すことはまぁ確かに恥ずかしいですが、しかし何かを表現して世に出したい、何かしらの影響を与えたいという気持ちの方が圧倒的に強いので、こうして続けております。もう、これ以外の生き方がわかりません。

最後に

文章でも音楽でも、触れていただいている方に感謝。
今後も気ままに続けていくので、よろしくしていただけると嬉しいです。

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