嫌われる勇気:2回目
1回目に読んだのは、10年くらい前だったか。
出版は2013年だったから、それよりは後だろう。
初めて読んだ当時は、聞いたこともない考え方や価値観に驚いたのと同時に、確か、会得するのにはこれまでの自分の人生の半分がかかると書かれていて、その時の長さに果てしなさを感じたことを覚えている。
ちなみに、今の年齢でも計算してみたら目眩がした。
1回目に読んだとき、よく飲み込めないままだったところは、2回目の今回でも、理解が深まったかは自信が無い。
あと5回くらい読まないと、しっくりくるところまではいけなそうだ。
違和感2つ
優越性の追求
同じ平らな地平に、前を進んでいる人もいれば、その後ろを進んでいる人もいる。そんな姿をイメージしてください。進んできた距離や歩くスピードはそれぞれ違うけれども、みんな等しく平らな場所を歩んでいる。「優越性の追求」とは、自らの足を一歩前に踏み出す意思であって、他者よりも上をめざさんとする競争の意思ではありません。
例えとして、人は上下ではなく横並びなのだ、と説明されていたが、前と後ろがある時点で、それも優劣なのでは?と思った。
ただ、後に地球儀の例えが出てきて、なるほどたしかに丸であれば、前も後ろも無いかもなあ、とは思えた。
自由とは、他者から嫌われることである
前半のハイライト的に語られた言葉だったが、アドラー心理学を表す言葉としては、やや違和感があった。
インパクトはあるから、この言葉になったのか。
この言葉だと、「よし!嫌われてやる!」みたいな、間違った方向への気合いみたいなものを感じるが、私が感じたアドラーは、どちらかと言えば、「嫌われていようが気にしない状態」というイメージだ。
本のタイトルについてもそうで、初めてタイトルを見たときも前者のイメージで、しかし読み終わる頃にはあれ?違ったな、となっていた。
好きなところ
青年のキャラクター
この本に出てくる青年の、哲人の一言一言に大袈裟に反応し、しばしば鬼の首を取ったような(という言葉がすぐに出てこなくて、敵の首かと思ったら違った)様子で哲人の言葉に食ってかかる様が、読んでいてだんだん楽しくなってくる。
「見事に墓穴を掘ってしまいましたね」とか、「わたしがその鉄面皮を剥がしてさしあげましよう!」とか、「なっ、なにをおっしゃいます!?」なんて言うのだ。
私の頭の中では、表情豊かな青年が、大いに胸を逸らして得意げだったり、目をまん丸にして驚いたり、百面相に忙しい。
それに対し、哲人は常に冷静で、「早合点が過ぎます」とか「ほう、それはありがたい」とか、冷静なつっこみや返しをするところがずるい。
さすがは哲人。
後半は特にてんこ盛りで、前半の噛み砕いた優しさはどこへ?!というくらい、「他者信頼」「他者貢献」「人生の調和」「貢献感」「導きの星」などなど、用語の嵐で息も絶え絶えな気持ちで読み切った。
2回読んでもおもしろい。
言葉を正確に捉えるところ
哲学書だからなのかはわからないが、「信頼」と「信用」は違うとか(他にもあったが見失った)、単語の使い分けが丁寧なところが気に入った。
そういう、言葉の意味を丁寧に分けて使えることに憧れる。
後半の価値観
後半は怒涛だったが、比例して刺さる考え方も多かった。
・ダンスするように生きる
・人生は線ではなく連続する点であり、登山ではなく旅である
・「いま、ここ」を生きること、「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てること
忘れていたところ、取り入れたいと思ったところ、自己理解が浅かったところ、もっと考えたいところ。
明日から少しずつ消化したい。
今日からか。