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なんにもできなかった日記
人との予定がない日。
正確に言えば、やることやるために予定をいれなかった日。
私は、起き上がるきっかけを見失って、無気力に横たわって、ようやく足の裏が地についたのは午後5時。
なにやってんだろう…。
やるべきことはたくさんあるのに。なんにもする気が起きなくて、
立ち上がり方を忘れたように、リール動画を下に下に送り続けて、目を閉じて、そんな自分を軽蔑して。あああ、涙がでてきてしまう。
月のも
生きづらさに名前を付けないでみる。
高校の教科は地学が好きだった。(長くなるので理由は省略)
でも、「宇宙の歴史」はちょっと苦手だった。
小学生くらいのときから苦手だった記憶がある。
宇宙の、何億何兆っていう歴史を語られると、自分があまりにもちっぽけで無力に感じて、生きる意味を見失う気がした。得体の知れない不安、孤独感のようなものに襲われた。
なにか、深く傷ついた経験があるわけじゃないし、不自由の多い生活をしていたわけじゃない。
生きているだけで誰かを傷つけている。
私は、傷つけた側だ。
木々の向こうには原発がみえて、手前に広がる青々とした人気のない草原には黒い塊が重なっていました。バスの車窓から見えたほんの数秒。直観的にそう思いました。
いわきから双葉まで、太平洋沿いを北上していました。
震災前の風景を私は知りません。ただ、ところどころに残る建物が、墓地が、そこには暮らしがあったことを、何百年も前からそこに息づく命があることを、想像させてくれます。
『
エゴも、嫌悪感も、罪悪感も
困っている人がいたら助けたくなる。
隣の人の痛みが自分の痛みのように感じる。
恵まれた私は恵まれない誰かのために生きたい。
そういう美しいことを言っておいて、実は、《そういう自分でありたいだけ》。困っている人がいたら助ける私でありたい。隣の人の痛みを感じられる人間でありたい。恵まれない誰かのために生きる自分でありたい。
人のためといっているようで、本当は自分のため。
そういうのを偽善というのか
出会った人と、漂ってみること
3月31日、21:40をまわったところ。
同期のひとたちの卒業報告や、年度終わりの投稿をみていたら、自分もなにかを書き残しておこうと思い始めた。
とはいえ、そんなに、書くことない。いつもnoteを読んでくれる人が、3スクロール以上は読めないって言ってたので、少なめ少なめで…
※ ※ ※
この1年、たくさんの人に出会った。いろんな地域の福祉をめぐり、地に足つけて暮らしを守る人たちや、そんな生き
2023年ですね、すこしでも、健やかで豊かな日々になりますように。
2023年ですね、すこしでも、健やかで豊かな日々になりますように。
最近文章を書くとき、アウトラインを意識するようになっていたんですが、たまには散らかった文章でも、と思い、めずらしく、下書きもせずにnoteに直接打ち込んでいます。
一年前の今日、「母が亡くなって100日経った」noteを書きました。
だから、今日は母が亡くなってから、1年と100日。というより、1月10日は母の誕生日。大切な日
わたしだけの世界から、ぬけだしていきたい。
最近、だいじにしていきたいこと。
たぶん、とてもあたりまえのことしか、書いてないです。でも、そのあたりまえが、むずかしいことだと、気づいた。備忘録です。
■わたしだけの世界を生きてきたわたしは、とても頑固。
じぶんが思う正義を手放せず、それを起点にしか動けず、わたしの価値基準で、正負、善悪を判断し、向き合い方を決めてきた。
人が思う正義に耳を傾け、ときにじぶんの想いを握りしめる力を緩めてでも、そ
ほっちのロッヂの記録:2か月のまとめ!
2月から、ほっちのロッヂで「感じ手」として過ごしていました。
みどりが芽吹く時期までいるつもりだったのですが、雪が降りました⛄
いきいき暖かい時期に、また来たい。
2か月で感じたこと。
なぜロッヂで過ごそうと思ったのか1月から9月までの休学期間。
どこでなにをして過ごそうかな?ということを考えていた昨年12月、知り合いの紹介でほっちのロッヂに1週間やってきた。
年明けから春まで、ロッヂで過ごし
今日で半年
心を穴だらけにして生きたあの時期が遠くに感じるけど、実家に帰ってもおかえりと抱きしめてもらえないのはまだ信じられない。
本当は何にもせず天国みたいなとこ引きこもってたいけど、そうできない環境に身を置くことで生きてる。
自分で決めたんだから。頑張ろう
お母さんありがとう
ほっちのロッヂの記録13:ケアワークとソーシャルワーク
2月から、ほっちのロッヂで過ごしています。
続けられるかわからないけど、記録できる日はnoteに記録していこうと思います。
ここで過ごすのもあと1週間…。
まなび:ケアワークとソーシャルワークについて
ケアワーク
ここで私がやっているのはまさにケアワークといわれるものだと思っている。
子どもが心地よく過ごしつつ、好きや嫌いに出会えるように、一緒に遊んだり、食事やトイレしたり、ともに時間を過