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墓想のファドを作曲する・・シャンソン・フュネライユ(Chanson funéraire)という音楽の難しさ・・[Ⅰ]

「夜に大声で笑うヒキガエルを踏み潰し、
最早、生き返らない
ラザロの棺桶を見つめ、
サトイモの花に宿る
コロカシオミアに賛美(ハレオ)を贈る事が
この低き卑賤の地で
生きるという事か?」

「墓の魚」の詩「●ラクリファギア」より抜粋


こんにちは。
海洋生物と死のオーケストラ
「墓の魚 PEZ DE TUMBA」
作曲家です♪

先日、私達は
[公演]
【C・オビホリミスの供養 
キリストと線虫Ⅰ~Ⅲ】

の収録を
松明堂音楽ホールで行なってきました。

いわば、観客のいない演奏会です。

今回録音した音源や、録画した映像を
今後1年かけて編集し、
古い映画の様な
南ヨーロッパをテーマにした
映像作品を作っていく予定です。


■■
今回の公演のテーマとなる

ファド・エンテーホ(Fado Enterro)とは何か?
■■

「そして、
ユダを罵りながら、ユダと踊り、
最も低い墓穴から楽園を見上げる。
その行為をする者だけが
ファドの中に
悲しみと気高さを
見つけられるのだ」

「墓の魚」の詩「●ラクリファギア」より抜粋


そもそもファドとは、
ポルトガルのいくつかの町で歌われる
古い大衆音楽で、
港町リスボンで歌われる
ファドが有名です。

港町なので
船乗りとも
関係があったりします。

「貴方は遥か昔に
約束の地に行ってしまった・・
それ以来、
我らはファドの音の向こうに
楽園の影を見て泣く、
彷徨い人となった」

「墓の魚」の詩「●ラクリファギア」より抜粋


ファドは、喪失の音楽と言われます。
人生で失った
様々なものに対する想い(サウダーデ)を、
文学的に歌うラテン音楽なのです。

現地のファドにも様々な種類がありますが、
私達の歌う
ファド・エンテーホ(Fado Enterro)とは、
「墓の魚」が作曲する
オリジナルのファドで、
より死(メメント・モリ)や、
喪失(ジ・ウート)に特化した
神学的、トンボー(墓場)的な詩により
構成されるのが特徴です。

「苦痛に賄賂を渡し、
心臓に十字架を突き立て、
歯の無い梅毒と踊る。
詩人よ、
それを誰がご存知なのだろう?

ラケルの墓を讃え、
痛みなど無かったかのように生まれる。
ズレイカやロクスタに唾を吐き、
見事に己の罪を埋葬する男達を
私は知っている」

「墓の魚」の詩
「●生活困窮者のファド Fado dos Pobres」より抜粋


しかし、
ファド・エンテーホ
墓地の土壌を
強調されたファド
かもしれませんが、
それは、ファドそのものが
本来は内包しているものでもあります。

日本でファドが紹介される時、
ただ
「美しく叙情的な異国の音楽」
として紹介される事がほとんどです。

しかし、ファドの本質は、
音楽だけではなく、
であり、
海洋と密接な関係を持つ
ポルトガル文学的な
死へ向かう人生の宿命の哲学
にあります。

ファド・エンテーホの作品の多くは詩だけの存在であり、歌曲まで作られている作品は実はほんの一部です。

そういったポルトガル人の精神の面の方を
強調して伝えているのが
「墓の魚」というオーケストラの
特徴の一つです。



■■
[難解な音楽]と評される
「墓の魚」オーケストラの音楽
■■

「土に溜まる汚泥(デトリタス)には
ファドこそが相応しい。
それは死んだ漁師の歌であり、
浮浪者の歌であり、
聖人の歌だ」

「墓の魚」の詩
「●蚯蚓(ミニョーカ)のファド」より抜粋

「墓の魚」
シャンソン・フュネライユ(Chanson funéraire)
の独特なリズムや、
話し言葉を挟み込む曲は、
確かに難しいものなのかもしれません。

ただし、
決まった拍という枠の中で
きっかり奏でられる
プログレ音楽などの変拍子と、
「墓の魚」の
シャンソン・フュネライユ変拍子は、
実は似て非なるものなんです。

シャンソン・フュネライユ変拍子は、
あくまで[揺らぎ][曖昧さ]
表現する為のものです。

端的に言うと、
いい加減に演奏している様に
見せかける細工

とでもいいしょうか。

[揺らぎ]とはなんでしょうか?
南イタリア漁師達の歌や、
スペインフラメンコの歌など、
そういった音楽は、
楽譜にされる事なく、
その土地の住民達の中だけで
ショーですらなく、
日常の中で歌われてきました
(非商業音楽)

そして、
その地に住んでいる民族や、村の人達が、
何十年、何百年と
毎朝同じ音楽を歌って来た結果、
その土地だけの
独自の[リズム][揺らぎ]が生まれ、
それは決して他者が楽譜表記だけで
真似できるものではない
[癖]として昇華されたのです。

狂言や、が、
世界の演劇から見ても
特殊であるのと同じで
[きっちりとした共通言語]
よりも
[内輪の宴のいい加減さ]
の方が芸術的である事は
確実にあるのです
(言葉だって、
方言を全て標準語に直してしまっては
つまらないですよね?)

「墓の魚」の音楽の変拍子は、
あえてその
[調教されない南欧音楽]
の雰囲気を
楽譜で人工的に演出しようとした・・
つまり、
曖昧でありながら、
その民族にしか出せない呼吸

を作り出そうとした
世にも珍しい実験的音楽なのです。

そう言うと、本当に
試験官の中の音楽の様ですが、
別の言い方をすれば、
「演奏者は役者である」として、
徹底して映画の様に細部まで
現地性にこだわった音楽

と言う事も出来ると思います。

そんな訳で、
今日は珍しく「墓の魚」
音楽面についても語ってみました。



【C・オビホリミスの供養
キリストと線虫Ⅰ~Ⅲ】

完成は2026年頃を予定してます。


「腐敗槽(下水)に住む原生生物や細菌達の10の詩
Protista y Bacteria que viven en las aguas residuales. diez poemas」

を朗読しながら、
まるでダンテ[神曲]の様な
人間の魂の深淵世界に挑む
異色の配信コンサート

お楽しみに・・・♪














「墓の魚」オーケストラの
映画の様な配信コンサート・第一弾

スペインの魔女達、南米の迷信、
熱帯雨林の夢、独裁政権と社会主義など、
様々なテーマが入り乱れる
音楽で奏でる幻想文学
「死んだ珪藻とマキシロポーダのミサ」
こちらで公開中です↓↓↓

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蛆虫の作曲家による海洋生物の死のオーケストラ「墓の魚」記事
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