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もう歌人なんて名乗らなくていい

 友人から感想を聞きたいと依頼があったので、イヤイヤながらもゆっくり読んでみることにしました。

短歌研究社 短歌研究2024 5+6 300歌人の新作作品集「2024年のうた」

結構なボリュームなので時間が掛かりました。おまけに師匠にも無理を言って感想を伺ったものですから、ただでさえ暑苦しい残暑の中でちょっとした感想文に四苦八苦しておりました。
一人5首の人もいれば、10首の人もあって公平にとはなかなか言えませんが、数日掛けて読み終えて、小さなふせんをつけた気になった歌は五つくらいでした。

 巻頭のお三方はそれぞれが安定の定常運転といった感じですが、やはり万智さんは別ものだとあらためて感じます。私はうまく表現できませんでしたが、師匠がうまく代弁して下さいました。

 俵万智さんの歌の格別の安定感は、棒磁石に例えてみればよく解ります。お父様が磁石の研究者でいらしたなんて、まるで絵に描いたような巡り合わせです。歌の発地と着地がはっきりしていて(歌意や意図が明確)まるで磁力線を辿るように詠われています。しかも詠う本人の位置は棒磁石の真ん中から微動だにしません。自らと発地、着地の位置関係がきちんと保たれて崩れない。これこそが彼女の最大の魅力であり強みだと感じます。
殆どの歌人が自分を中心位置に保てずに、出来事や言葉や衝動に釣られてある時には発地へ、あるときには着地へ吸い寄せられてしまう中で、絶対的な距離感を保ち続ける作歌ができることはまさしく才能です。

ミルクさんの磁石の例え、本当に解りやすくてビックリでした。
馬場あき子さんは発地や着地を自分に吸い寄せてしまうタイプ
(磁力が弱くなり着地も不明瞭、磁力線の描く世界は限りなく小さいものとなる)
穂村弘さんは着地を放り投げてしまうタイプ
(磁力線はもう軌跡を追えないほど行方不明、ポケモンGoのようにウロウロして歌意を探すハメになる)

先の師匠の言葉を胸に、2024年という一定のテーマに沿った作品を読み始めました。
多分、広告入稿のある結社の人ばかりだと思われますが、それにしても年齢や世代を問わず、相変わらず自分が大好き、自分に起こった出来事は特別、初めて経験したことは詠わずにはいられない、といったおきまりの現代短歌病の症状が蔓延しています。
特に70代以上と思われる歌人には顕著で、もはや報告や日記と短歌の区別もつかないのでしょう。痛々しいというか、きっと季節が巡るように毎年同じテーマを同じような言葉で詠み続けて、もう引き出しもサプライズも何も残っていないのでしょう。短歌の体裁をかろうじて保っている程度で、出来は全く素人以下だと感じます。

中堅も若手も揃って何も変わらない、変われない、自分の感性大好きな身勝手な比喩や例えに、やはりわからない人は一生わからないままなのだろうかと、首を傾げてばかりの歌が続きます。
中でも若手の2トップである、大森静佳さんと藪内亮輔さんは群を抜いてのポンコツぶりで、この二人を崇めている学生短歌会の体たらくが良く理解できます。
リアルな現実を置き去りにして、いきなり川端康成やモンゴメリの世界に浸ってしまっている自分自身に気付かず、現象と心象への距離感が保てないまま歌が世に放たれてしまっています。
歌を読んで脳内再生した時に明かな違和感や異物感、そうじゃない感に苛まれて、「それは君だけの感想だよ」と突っ込んでしまうこと数多。経験値も少なければ、経験を補う思索や想像が足りていないことを歌そのものが自白しているようなものです。

読後の感想を「コミケの同人誌レベル」とおっしゃったミルクさんが付箋を貼ったのはわずか2首のみ。(これはプロとして及第点という印なのでしょうか・・・)

佐田公子さん(覇王樹)
能登の無念 より

・手に取ればはらら散りゆく雪やなぎ潔きかな清きものらは

吉村実紀恵さん(中部短歌)
闘魚 より

・水の色さまざまに見ゆ淡きことばかり手紙にしたためし日は

確かに、王道中の王道といった感じの2首ですが、いずれも気付きや悟りを含んだ絶妙の距離感が保たれた良歌だと思います。このような歌がもっともっとあれば、現状を憂う必要はないのかもしれませんが、その場しのぎのインスタント作歌がこう蔓延っていては、もう本格的な歌人は生まれないかもしれません。
それは短歌というジャンルそのものの没落や消滅を意味すると思いますが、限界集落のように結社が一つ、また一つと無くなって、波が足元に来なければ気付けないのかもしれません。

 老害という言葉そのものは好きではありませんが、老害と思われても仕方のない頑なさや頑固さ、意固地、なりゆきまかせで投げやり、何でも老いのせいにして逃げようとする、ネガティブなイメージばかりが昨今は浮かびます。
 本当は80歳や90歳でも「笹井宏之賞」にチャレンジして欲しいし、若者を圧倒する表現力や洞察力を見せつけて欲しいと思いますが、今のぬるま湯の環境では到底ありえないことでしょう。

 ボーカスペーパーという紙があります。
元はキレイな模造紙のような紙ですが、わざとクシャクシャにして荷物の隙間に詰めて使用します。クシャクシャの皺だらけにしなければ用をなさないのです。多くの歌人はキレイなままの紙で居ようと必死です。でも、御呼びではない。
大事なのは自らの見た目ではありません。
何が守れて、何が届けられるのか、そのために自分はどうあるべきなのか、短歌はそれを問うている文芸だと思います。

「短歌研究」・・・・・ちょっと詰め物にするには小さいんですよね。

・老害の心は石に成り果てて沁み入るもなし沁み出すもなし

ミルクさん 短歌のリズムで  https://rhythm57577.blog.shinobi.jp/