短歌の香り

短歌の師匠ミルクさんのブログ、「短歌のリズムで」よりお許しを頂いたお話や短歌を掲載しています。長いものに巻かれてまで権威と内輪の賞を欲しがるエセ歌人達を歌で一刀両断するミルクさん。たった一騎で立ち向かうその心意気に惚れました。本物の背中を追って日々精進です。

短歌の香り

短歌の師匠ミルクさんのブログ、「短歌のリズムで」よりお許しを頂いたお話や短歌を掲載しています。長いものに巻かれてまで権威と内輪の賞を欲しがるエセ歌人達を歌で一刀両断するミルクさん。たった一騎で立ち向かうその心意気に惚れました。本物の背中を追って日々精進です。

マガジン

  • 私の好きなミルクさんの歌 Vol.1

    個人的にいいなあと思ったミルクさんの素敵な歌をまとめておくものです。

最近の記事

続・もう歌人なんて名乗らなくていい

 これだけ書いてもまだ「どこがダメなのかわからない」という声は多く耳にします。 現代短歌病は複数の症状の総称ですが、よい機会でもあるので前の記事のつづきということで (短歌研究社 短歌研究2024 5+6 300歌人の新作作品集「2024年のうた」)より、症例ごとに抜粋してお話してみたいと思います。 症例1(旧仮名バイアス依存症) 川野里子さんの歌集の記事でも述べましたが、語調統一のためにわざわざ読みづらい旧仮名を使うことを止められません。それはどのようなクズ短歌でも「趣

    • もう歌人なんて名乗らなくていい

       友人から感想を聞きたいと依頼があったので、イヤイヤながらもゆっくり読んでみることにしました。 短歌研究社 短歌研究2024 5+6 300歌人の新作作品集「2024年のうた」 結構なボリュームなので時間が掛かりました。おまけに師匠にも無理を言って感想を伺ったものですから、ただでさえ暑苦しい残暑の中でちょっとした感想文に四苦八苦しておりました。 一人5首の人もいれば、10首の人もあって公平にとはなかなか言えませんが、数日掛けて読み終えて、小さなふせんをつけた気になった歌は

      • 創造性の欠片もない令和のクリエイター達

         I feel ●●●● ※商標でしょうから伏せ字で という1980年台の清涼飲料水のコマーシャルを丸パクりしたハンバーガーチェーンのテレビコマーシャルが流れていました。 「懐かしい」はまだ良いとして、「リスペクトを感じる」とか、「英断に感謝」とか、馬鹿馬鹿しい書き込みが令和の未成熟な消費者意識を表していると感じます。 元の清涼飲料水のコマーシャルも動画配信サイトで幾つか確認することができますが。お金が掛かっていることはもちろん、それ以上に当時の空気感や変に誇張するわけでも

        • "ただごと歌"はなぜダメなのか

           「幼児の視点を純粋な視点と勝手に変換しているようなもの、子供が見たまま、そのままを言葉にするということが無条件に尊いという幻想に囚われている」  ミルクさんの感想はいつも的確で辛辣ですが、この”ただごと歌”に対する考えも痛い所を突いているようです。 ただごと歌と言えば奥村晃作さんが最も有名でしょう。 ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く 奥村晃作『鴇色の足』 本阿弥書店 この歌は「ただごと歌」などではない!と声高に言われる方もいらっしゃるよ

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        • 私の好きなミルクさんの歌 Vol.1
          10本

        記事

          私の好きなミルクさんの歌 014

           せっかくなので季節に合った歌をご紹介しておきたいと思います。 私の駄作とは比べものにならない切れ味の鋭さ、迫り来る臨場感と叙情、 師はいつでも何百歩も先を歩かれています。 「夕立は明日の予告」だなんて、ビリビリ痺れます。 確かに映画の予告編のような凝縮性とジェットコースターのようなスペクタクル感を激しい夕立からは感じますね。 そして最後は明日への希望の証である虹。ベタなんです。ベタベタなんですけれど、それがミルクさんの優しさなのだと思います。 誰の状況にも寄り添い、「それで

          私の好きなミルクさんの歌 014

          「自分」をフェードアウトさせてこそ短歌(落選歌でも宝物)

            "私が見えなくなるまで希釈せよ” 本当に有り難い、素晴らしい短歌の教えです。 ですがビックリするくらい今の短歌を巡る状況からズレています。もうずっと「自分から離れろ、自分を切り離せ」とおっしゃっているミルクさんとは真逆で、世の中の短歌の99.9%は私に固着した醜いものばかりになってしまいました。ミルクさんは何度も何度も、 「このままでは短歌そのものが消滅する」と警告しているのに、本当にわかっていないポンコツばかりで呆れます。大昔からあるのに無くなるはずが無いと馬鹿馬鹿

          「自分」をフェードアウトさせてこそ短歌(落選歌でも宝物)

          私の好きなミルクさんの歌 013

           もしも人に何かを教える機会があれば、このような心持ちでなければならないということを心底感じる特別な経験でした。それが私がこの短歌を目にしたときに受けた第一印象です。  0点の答案用紙に頭を抱える担任教師の姿が想像されます。頭ごなしに叱ることは簡単に出来ても、励ましをもって接したり、言葉を掛けることには多くのためらいや躊躇が頭をよぎり、うまく場をおさめることは容易ではないでしょう。 しかしその教師は数十秒後に真っ青なペンを取り出し、0の横に「等級」と大きく書き足しました。答

          私の好きなミルクさんの歌 013

          裏テーマを紐解く時間も学びのひとつ

           ミルクさんの指摘は常に的のど真ん中を射貫いているので辛辣極まりないですし、短歌を作っている99.9%の人達には耳の痛いお話ばかりでしょう。ただミルクさんは自分の偏った正義感や主義主張を押しつけて何もかもを自分と同じ方向に向かせたいと考えているわけではないと思います。今まで多くのミルクさんの短歌を読解してきましたが、それらは一様に「裏テーマ」なる問いかけを孕んでいました。ミルクさんの着想は多くの場合が問題提起やこれで良いのかという問いかけであり、そこまでを持って短歌の役割であ

          裏テーマを紐解く時間も学びのひとつ

          比喩を無理やりこじつける=「着想」の勘違い

           先日も京大をはじめ○○短歌会なる同人の会報誌を目にする機会がありました。 最近は多くの方が短歌雑誌の○○人詠に登場することもあって、プロの方も多く混じっておられるようですが、いやはや中身は以前としてすっからかんのままで、とても師匠に「読んでみて下さい」とはオススメできない代物ばかりでした。 小学生や中学生は時に大人もハッとさせるような発見を導く歌がありますが、高校生や大学生ともなればもう方法論に長けた頭で何でもショートカットして時短で済ませることに慣れてしまって、肝心の所に

          比喩を無理やりこじつける=「着想」の勘違い

          私の好きなミルクさんの歌 012

           夏が近付いて来ました。 毎日毎日、短歌に関わるということはなかなか難しいことですが、季節の変わり目や季節感のある食べ物、行事などを見聞きする度に「歌が作れないものか?」「歌にして残して置けないものか?」と自問自答する始末。心がけてはいるものの、弱い力をずっとかけ続けるというトレーニングが一番難しいということを身に沁みて感じております。  以前ある7月の日に、ミルクさんがメールに紛れ込ませた一つの歌がとても印象に残っていて、今回はその歌をご紹介したいと思います。  not

          私の好きなミルクさんの歌 012

          「死」に急ぐばかりの創作はなぜダメなのか

           師匠のミルクさんは、作歌において最も使ってはいけない言葉として「死」をあげられています。「亡」や「殺」なども、出来れば使わない方がよいとおっしゃいます。もちろん、単に暗いとか縁起が悪いとか、そのような単純な理由ではありません。  ミルクさんは「死」ほど自分の身近にあって、簡単で単純で幼稚で明確な落差言葉はないとおっしゃっています。落差の階段があるのなら、一歩目は「死」です。同じく「亡」や「殺」も二歩目三歩目という同じような位置でしょう。どちらかと言えば「絶対に使うな!」と

          「死」に急ぐばかりの創作はなぜダメなのか

          愚かな願いのなれの果て

          ・自分の短歌や境遇や信条に共鳴や共感してくれるひとがいるはずだ。 (そんな人はいません) ・誰かが見てくれて、誰かが気付いてくれて、誰かが掬って取り上げてくれるはずだ。 (そんな人もいません) ・みんなと同じような短歌をつくって投稿していれば、中には応援してくれる人やサポートしてくれる人がいるはずだ。 (そんな人もぜーーーーーんぜんいません) ・たくさん短歌を作っていけば、たまには素晴らしい短歌ができるはずだ。 (そんなに甘くもありません) ・作り溜めた短歌を本にすれば、きっ

          愚かな願いのなれの果て

          重症患者の症例を紹介します。(現代短歌病)

          本来はこちらには投稿せずにおこうと思っていたのですが、某大手サイトに書いたレビューが忖度なのか、圧力なのか、消されてしまったので、こちらに書くことにいたしました。もはや歌人も出版社も書店も、今の腐ったヒエラルキを守ることに必死なようですが、ダメなものはどうやってもダメです。辛辣なレビューに耐えられないようなものは、まがい物だと自白しているようなものなのです。 川野里子さん 「ウォーターリリー」 短歌研究社 実はこの歌集、面白いです。 だって師匠のミルクさんが「ダメ」と言わ

          重症患者の症例を紹介します。(現代短歌病)

          記憶の中の鮮やかさを共有する(落選歌でも宝物)

          落選歌の記事が少し読まれていて驚きました。 私の記事のアクセスなど一日に片手でおつりがくる程しかないはずなのに、なぜかその何倍ものビューがあって、「まぁ記事をコピペして学習するための巡回ロボットの機械的なアクセスだろう」くらいに思っていました。 けれども選者や選歌の物差しとして落選歌ほど明確なものはないのではないかとも感じていました。「選ばれる」「選ばれない」の線引きがどのようにされているのか全く明確な指針のない中では、世に出ることのない落選歌の方が逆説的に明確な指針になると

          記憶の中の鮮やかさを共有する(落選歌でも宝物)

          想いを留める役割を忘れない。(落選歌でも宝物)

           師匠の凄い歌ばかりでは疲れてしまうかもしれませんので、凡人である私の短歌でお茶を濁すこともお許しいただきたいと思います。 たまたま見かけたその年のNHK全国短歌大会のお題が「平」だったので、少し前に作ってあった短歌を応募してみました。選ばれるとか選ばれないとか、そのようなレベルのチャレンジではなくて、ただ入選歌集が欲しかったので適当な歌を選んで出しました。 ちなみに一応出す前に、師匠には見て頂かないと・・・と思い相談しておりまして、「たぶん選には選ばれないと思いますが、

          想いを留める役割を忘れない。(落選歌でも宝物)

          私の好きなミルクさんの歌 011

           まるで幻灯のようにパッと脳内に広がる景色、あまりに簡単な言葉、あまりに単純な景色、落差も驚嘆も裏切りも何もない世界、なのに心に染み渡る。それがミルクさんの歌の真骨頂です。 誰しもの心に同じ景色を描き出すことの難しさを、ミルクさんはいとも簡単にやってのけます。 簡単な言葉で思考の奥深くに潜り込むことを常に追求されているからこそ、すべてのモチーフが意味を持ち、読者に静かに語りかけてくるのです。 たわわに実った柿の木、そして実を落とし冬枯れとなった柿の木、夕暮れによって影絵と

          私の好きなミルクさんの歌 011