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大江健三郎さんの言葉から始まる、スヴャトスラフ・リヒテル、反田恭平、Rock Kidsの30年


古典 クラシック 古典

「古典を書きたい(残したい)」といったような言葉を、大江健三郎さんが語っておられたと記憶するが、出典が出てこない。
その言葉だけが記憶に残っているのは、古典という単語に「江戸以前の文学」という定義しか持ち合わせていない僕には、「古典を書きたい」、その言葉をどうとらえたらいいのかわからず、考えていた時期があったからだ。

そして未だに、そこまで思想が達していない。

私は思う、書物を読むということは、自分の思想がそこまで行かねばならない。

「読書」西田幾多郎

ただ、1世紀前に作られた曲を60年前の音源と20年前の機材で30年ぶりに聞いた時、あぁクラッシックというものはこういうものか。と、大江健三郎さんの言葉へ少しだけ近づけたような気がした。

Sviatoslav Teofilovich Richter

1915年3月20日 - 1997年8月1日
旧ソ連のピアニスト
現在のウクライナで生まれる。
リヒテルは、今のウクライナ情勢をどう思っているのだろうか。。。

「その言葉は、リヒテルを聞くまでとっておきなさい。」

Richter in Italy のライナーノーツより

「He is a free man…」

映画 RICHTER THE ENIGMA より


グラモフォンの3枚組CD MEISTERKONZERTE

1992年

LeeのストレィトジーンズにヘインズのTシャツ。
CD屋、店内はウナギの寝床のよう。
壁一面、天井にまで中古CDが並び、手にした3枚組のCD。

三角路の頂点にある店を出て、横断歩道から見上げた空が青く、それほど高
くない積乱雲がビルの陰にかかっていた。

そんな点景がリヒテルとの出会いにある。

大学からの帰宅中、Guns n' RosesのブートレッグCDを探しに入った難波の中古CD屋で、Rolling Stonesの69年ハイドパークのブートレッグを見つけ購入。
店を出る間際の壁にふと目に入った3枚組のCD。
値段も1000円台だったかと思う。

手書きの紹介文はもう覚えていない。
30字程度の文字列に、心に刺さる文言があったはずなのだが、目を閉じて浮かび上がるのは、モーニングを着てグランドピアノに対峙するリヒテル、右下に張られた黄土色の小さな紙の印象だけで、今、記憶に残る手に取った理由は、「3枚組でお買い得に思えたから。」
ただ、それだけしかない。

そのCDはグラモフォンのMEISTERKONZERTE

グラモフォンの3枚組CD MEISTERKONZERTE のセットリスト

Guns N' RosesのAxl Roseにあこがれて髪を伸ばしていたロックキッズは、DISC2を聞いたときに、自分の知らない世界があることを知った。
その曲はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23 

「すげぇ」
壊れたAMラジオかと思えたストーンズ・ハイドパークを凌ぐ感動だった。アンプのボリュームを上げ、ゲインを右いっぱいにひねり、青臭い感情をレスポールに叩きつけていたキッズの周波数と、ソ連の至宝リヒテルの激情が一致した瞬間だった。

NirvanaのSmells Like Teen Spiritのイントロを聞いた時のような、衝撃をクラッシック音楽にも感じた。

その衝撃はカラヤンの静と動にではない、ただピアノの音にだった。リヒテルの叩く鍵盤の、重く強い響きに魂を揺らされた。
カートコバーンがディストーションを踏んだ瞬間のように、リヒテルが鍵盤に魂をたたきつけている様が目に映った。
なんのバイアスもなく聞いただけに、より純度の高い薬物のようなリヒテルのピアノが僕の全身を駆け巡った。

 この出会い、ただの幸運としか言いようがない。

 この感動を記憶にとどめたくて、今僕はこの文章を書いている。

「ニルバーナとか、スマパン、レッチリとか、初めてラジオで聞いたときのあの感動ってあるやん、あんな感覚を味わうことってもうないいんかな。」
「恋愛のどきどきを感じることがだんだんなくなっていくの。悲しいよね。」
僕の中で友と恋人が、寂し気につぶやいた言葉を実感しながら。

1995年

中学校の同級生で、当時あこがれていた女の子と神戸へと向かう路線バスの中。
音大でフルートを学んでいた色の白い彼女に、「今までに一番感動したミュージシャンはリヒテルだ」と話した。そう聞いた彼女は意外そうな顔をした後、静かな笑顔を浮かべた。彼女を抱きしめたい衝動にかられた僕は、その気持ちを率直な言葉で伝えた。今度は戸惑った表情で茶色いロングブーツのつま先に目を落とした彼女の口角が微かに上がった。
震災で荒れた部屋に戻り、3枚組のCDを手に取ったが、ミニコンポの電源は入らなかった。この音を、この感動を、彼女と共有することを夢見て、暗い部屋を後にした。

2004年

初めての乳飲み子にクラッシック音楽を聞かせたいと思い、物置の奥からリヒテルを探し出した。が、嫁が購入したモーツアルトの交響曲はながしても、3枚組のグラモフォンをCDプレイヤーにセットすることはなかった。

2022年

長女が大学へ進学することが決まり、次女は中2でクラブ活動に青春を謳歌している。もう何年も弾いていない赤いギブソンレスポールを請われるまま長女に譲り、一緒に弦を張り替えながら、彼女に夢を引き継いだ。

Gibson Les Paul Studio Wine Red

こうして子供に時間を優先していた日々から解放されていく。というか、子供と同じ時間を過ごすことが徐々にかなわなくなっていく。
3年前の親父の死を経て、残り時間について考えることが多くなった。
あと、桜を見るのも何回かな。これをするのもあと何回かな、と。

Kind of Blue

娘たちとの時間と引き換えに、先延ばしにしていたことの一つ。いつかウイスキー片手に、ちゃんとしたオーディオで聞こうと思い取っておいた、マイルスデイヴィスのKind of Blueレガシーエディション。

今こそこいつを聞こうと思い、程度のいい90年代の機材を中古で買いそろえた。

ONKYO integra A-927

ONKYO integra A-927 1997年発売
蓋をあけると、アメジストの鉱脈のようにブルーコンデンサが輝いた

ブルーコンデンサが美しいプリメインアンプ。

Pioneer S−N901−LR

1台の重さ7.9Kg  1998年発売

音の良さをエンジニアが本気で追及できた時代の機材たち。今のOnkyoとPioneerの経営状態を考えると、もう、2度と作り出せないものだろう。(これら最高な機材のことは、主題から外れるので別の記事で書くことにする。)

もう一度リヒテルを

もう再現できない過ぎ去りし日々を思いながら音楽に浸るなかで、リヒテルの3枚組を聞こうと思いたった。
リヒテルを知った90年代の機材をそろえたことも、面白い偶然だ。

しかし、見つからない。

押し入れの隅、天井裏に放り込んだCDの山、家中をかき回したが、グラモフォンの3枚組は見つからない。
白いCDケース。それを手にした感触はまだ残っているが、どこにも見当たらない。
仕方がないからとネットで「リヒター グラモフォン」で検索すると、9枚組のBOXSETを発見。

Pianist of the century

LPジャケットを再現した紙ケースにCDが入っていて取集欲が満たされる。

「ドイツ・グラモフォンに行ったすべての録音をリマスターしての収録」とのことで、MEISTERKONZERTEと同じ音源が含まれてはずと思い、購入。

3枚組・MEISTERKONZERTE のセットリストを再現して聞く中で、今の心に刺さったのが、DISC3のセルゲイ・ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。 
1992年に、心の隅っこで響いた鐘が、30年の熟成を経て今、波打つように鳴り響きはじめた。

クラッシック音楽のいいところは、さまざまな時代で同じ楽譜をその時代を代表する音楽家たちががそれぞれの解釈で表現していることだ。

録音状態もそれぞれで面白い。
DISC9は1962年イタリアでのライブ録音だが、バッハ・平均律クラヴィーアの美しい旋律の後ろで興ざめするほど観客の咳や鼻音が響いている。のちに購入したRCA盤の平均律クラヴィーア集はクレスハイム宮殿での録音とのこと。同じ曲でも、60年代のイタリアの人々を感じながら聞くのと、昼下がりの宮殿、ピアノ一台の優雅な空間を想像して空間に溶け込んで消えていく音を楽しむのと、それぞれの趣がある。

これはまだ歴史の浅いRockにはない魅力だ。

ラフマニノフとピアノ協奏曲第2番

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番はリヒテルの演奏だけではなく、アシュケナージは2パターン、反田恭平、クリスティアン・ツィメルマン、youtubeで菊池良太、チカコシュカ、そしてラフマニノフ本人の演奏も楽しんだ。(敬称略で失礼します)

そんな中で僕は、やはりリヒテルのピアノが好きだ。

白いキャンバス 原色の点とBucketの絵具と

今、これを書きながらアシュケナージの音を聞いているが、何か物足りない。
リヒテル以外のピアニストは皆、音の粒子がそろいすぎている。
上手で綺麗なのだ。
真っ白なキャンバスに、原色の点を一つ一つ落としていく感じ。完成された絵は、壮大な西洋画。
ジョルジョ・スーラの絵画か。

リヒテルは、バケツ一杯の絵具をキャンバスに力いっぱいぶちまけてながら、さまざまな筆を持って全身を使い細部を、ち密に優雅に仕上げていく。
完成されたのは、ゲルニカほどの大作。

そして、鐘の音。
リヒテルの鐘の音が一番好きだ。ただ、鐘の音といえばラフマニノフが一番ロシアの鐘を鳴らしているとおもった。ラフマニノフの音を聞くまで、鐘の音は知識として感じていただけだったが、ラフマニノフの鍵盤からは確かに鐘が聞こえる。

クリスティアン・ツィメルマン 小澤征爾指揮

クリスティアン・ツィメルマンは指揮者の影響もあるのか情緒たっぷりで美しいのだが、リヒテルから入ってしまった僕には、とろけるくらい甘すぎて、再生を止めてしまった。ストロベリーやラズベリージャムにチョコレートをかけたドーナッツを口いっぱいにほおばっているような、鼻腔を満たす甘さ。昼下がり、お茶の時間のBGMには最高だろうけど。

僕の急ごしらえの知識収集の中では、ラマニノフはロマンティックだと表現されていることが多いように感じる。しかし、リヒテルのラフマニノフを聞いた時の僕はそうは感じなかった。でも確かに、ツィメルマンはロマンテックで甘い。抹茶を飲んでも甘さは消し去れなかった。これがラフマニノフなのだろうか。

旧ロシア帝国ノヴゴロド州

ラフマニノフは旧ロシア帝国ノヴゴロド州出身。

「ノヴゴロドでは、夏は快適で、一部曇り、冬は長く、凍えそうに寒く、降雪が多く、本曇りです。 1 年を通して、気温は -11°Cから 24°Cに変化しますが、-25°C 未満または 29°C を超えることは滅多にありません。」

Wether Sparkのサイトから
ノヴゴロドから南に東京から大阪くらいの距離を下ると、リヒテルの生まれたウクライナがある

閉ざされた国のコンクリートよりも硬い大地を巨神兵のように歩くリヒテルが表現するラフマニノフは甘くない。ロシアの自然の厳しさと対峙している。空気を切り裂く、凍土のように硬質なピアノ。

リヒテルのピアノはRockだ。

リヒテルにRockを感じる嗅覚。僕の精神はまだ、あの狭いライブハウスから抜け出せていない。煙った空間にさまよう熱情。リヒテルの鍵盤を叩き割るほどの破壊的な音が好きなのだ。

Rockな反田恭平さん

なかなかRockなジャケット

反田恭平さんはラフマニノフを通じて知った。
リヒテル同様、なんのバイアスもなく彼の音を聞けたのは幸運だった。

反田さんに自由な解釈ができ、演奏をただ楽しめた。

そんなわけで、「反田恭平/アンドレア・バッティストーニ指揮 ラフマニノフピアノ協奏曲第2番」には、リヒテルの次にRockを感じた。
アルバムのジャケットも最高だ。
ピアノをギターに入れ替えると立派なロックアルバムに仕立てあがる。
あまり勝手なことを書くと怒られるか。。。

反田さんには、ぜひGuns N' RosesのNovember Rain を弾いてほしい。

さて、反田さんの生まれは北海道札幌市とのこと。

「札幌市では、夏は快適で、湿度が高く、一部曇り、冬は凍えそうに寒く、降雪が多く、風が強く、ほぼ曇りです。 1 年を通して、気温は -12°Cから 26°Cに変化しますが、-18°C 未満または 30°C を超えることは滅多にありません。」

Wether Sparkのサイトから

おー、ノヴゴロドに数字上の空気感は似ている。

ただ、北緯58度31分のノヴゴロドと北緯43度3分43秒の札幌との自然環境は、全然違うんだろうけど。
ちなみに、リヒテルの生まれたウクライナの緯度は北緯44~52度。北海道の北緯41度21分~45度33分より少し上。

これを機に反田さんのことを検索すると、

絶句。なんてすごい方なんだ。。。

インタビューもいくつか拝見したが、もう、ただ、リスペクト。

おい、財界人。誰か、学校を建ててやってくれ!

反田さんは学校を建てられたいとのこと。
僕がもしパトロンになれるだけの財力と人脈があれば、ヤマハと河合の一番いいグランドピアノを2台進呈して、小林愛実さんを副校長に、羊蹄山のふもとか、大塚国際美術館の敷地に吉野杉をふんだんに使って、学校を構えるお手伝いをするだろうに。

He is a free man...

さて、リヒテルのことは、反田さんのことを調べるように能動的に調べてはいない。
先に「閉ざされた国のコンクリートよりも硬い大地を巨神兵のように歩くリヒテル」と書いたが、これは僕の作り上げた虚像だ。
リヒテルの伝記映画 RICHTER THE ENIGMAのリヒター登場シーンからのイメージだ。
この伝記映画の冒頭でリヒテルを紹介する文章が流れるが、最後の一文は

He is a free man...

やはりRockだ。

リヒテルの知識を入れる作業は、指を広げると、ドから1オクターブ上のソまで届くとか、身長は190cmを超えたとか、黒鍵と黒鍵の間に指が挟まるほど手が大きい(これはデマらしいが)とか、そんな超人的なエピソードでとめた。

Richter in Italyのライナーノーツの冒頭には、「数年前までのスヴィアトスラフ・リフテルの名前は鉄のカーテンの内部にふかく閉ざされた伝説的存在として知られていた」とある。

Rockだ。

「リフテル」と呼ばれていたぐらい、謎の存在だったのだろう。

リフテルとして

リヒテルのことをもっと深く理解したいと思ってはいるが、知識を詰めこむと、解釈の幅が狭められそうで、調べるのをやめたのだ。向こうからやってくる目に入ってくるものを自然に受け止め蓄積していくようにしたい。

リヒテルはリフテルとしてもう少し、当時の感動を反芻したく思う。

リフテルをRockとして感じていたい。

究極のヘタウマ

「ヘタウマ」漢字だと「下手上手」とでもあてるのだろうか。ロックミュージシャンをやっていた時に、「ヘタウマ」という言葉があった。

「スラッシュって、ヘタウマやん」とか、「ストーンズはヘタウマやからな」、「ジミヘンめっちゃヘタウマ」なんて使い方をされていた。譜面では表せない粗削りな即興的な音を弾きながら、メロディラインはしっかりしていて聞くたびに新しい発見をすることができる、記憶に残る演奏を聞かせる天才的なミュージシャンやバンドに使うような定義だったが、そんな僕らの音楽用語で表現するとしたら、リフテルは究極のヘタウマだ。

ただ、僕らの定義したヘタウマなギタリストは皆、速弾きではなかった。  
リフテルはヘタウマでありながら、ギタリストでいうとイングヴェイ・マルムスティーンばりの超速弾き。イングヴェイ・マルムスティーンをヘタウマというやつはいなかった。超絶テクニシャンとか、王者とか呼ばれていた。

リフテルは速弾きで鍵盤を叩きまくっても、音が破綻しないどころか、きれいな残像を残していく。ギターを抱えたロックキッズが驚いたのも仕方がない。

38枚大人買い

そんなリフテルのCDを一気に29枚購入した。
グラモフォンのBOXセットと合わせて38枚。
大人になるって、こういうことなのか。中古CD屋で、1枚のCDを買おうかと悩んでいる1992年のロックキッズに教えてやりたい。

The Complete Warner Recordings
全部聞けていない
Richter in Italyの国内盤を手に入れた

これはRockだ。ピアノを叩きまくっている。

リフテルがBONJOVIのRunawayのイントロを弾いたら、どんな感じになるんだろうか。などと思うくらい、鍵盤を叩いている。

2001年9月21日盤。先に買ったThe Complete Warner Recordingsに同じ音源があることに気が付くも後の祭り。
EMIとWarnerだから違うと思っていたけど、OnkyoにPioneerに、つまり、いろいろまぁ、祇園精舎の鐘の声なのですな。
 
EMI盤はART(アイビー・ロード・テクノロジー)でのリマスターとのこと。1曲目に関しては、EMI盤の方が残響が抑えられてより硬質でしゃきっとした感じに聞こえるが、気のせいかな。
Warner盤は、ARTの音源なのだろうか、それとも新しくリマスターしたのだろうか。またじっくり聞き比べてみたいと思う。
このEMI盤は、日本語の解説文が読めたのでよかったか。バイアスを避けるため、熟読はしていないけど。

Rockaな徳岡直樹さん

この作品は徳岡直樹さんのyoutubeでおすすめしていたのが購入動機。
ちなみに、リヒテルを語る徳岡さんもかなりRockだ。徳岡さんの語る勢いのままにポチってしまった。

Rockな徳岡さんがお勧めしていたので、バッハの平均律クラヴィーアも購入 

ザルツブルク、クレスハイム宮殿で録音

今の僕にはこの作品を語る語彙がない。バッハとリフテルの祈りを感じ、語るのには、僕にはもう少し時間が必要なのだろう。そしてその日が訪れたとき、僕は何をして何を思っているのだろうか。

クラシック 古典 クラシック

2週間で揃えた38枚のCD。その半分も聞いたわけではないが、今はグラモフォンのラフマイノフが一番のお気に入りだ。
思っていた人生とは少し違うが、ラフマイノフのピアノ第2番を、コンチェルトとして聞けるようになっただけでも、これはこれでよかったのだろうと思っている。

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