感性の扉を開こうとしてもアルゴリズムについて考えてしまうのです。
ヒューストンの街を歩いていて気になったのは、到着した日の天気が良い日にはカラッと気持ちの良い気候なのだが、あるタイミングでは流れている風に意外と湿気を感じる、ということだった。
そのとき雨が降りそうな天気だったという原因もあるかもしれないが、比較的乾燥しているイメージがあったテキサス州のヒューストンで、そういう湿潤な気候を体感するのが少し不思議だったのだ。
そのように思いを巡らせていて、思い出したことがある。
「ケッペンの気候区分」だ。
ケッペンの気候区分とは、ケッペンというドイツの気候学者が、地球上の陸地の各地域を、その土地の植生などをもとに分類した区分のことである。
主に気温や降水量などの条件から、大きく「熱帯気候(A)」「乾燥帯気候(B)」「温帯気候(C)」「亜寒帯気候(D)」「寒帯気候(E)」の5つに分かれていて、それが季節ごとの降水量などによってさらに細かく分類されていく。
私はこれに高校1年生の地理の授業で出会ってから、今現在でも強く印象に残っているほど「好き」である。
授業で出てきたから「知っている」ではなく、この気候区分が「好き」であるとは一体どういうことか。
それは私が、「まずこの条件を満たしたらこう、そうでなければこちらの分類になって、さらに条件がつくとこう」というような、ステップごとの条件判定を経て流れていくアルゴリズムに何かを流す感覚が心地よいからだと思う。
これと似た感覚を持つものが他にあるかと探してみると、例えば、中学1年生のときに理科の授業で取り組んだ「種子植物」の分類だ。
種子植物は、その種子が果実に包まれている「被子植物」と、環境中に晒されている「裸子植物」の大きく2種類に分けられる。
「被子植物」はさらに分類があって、葉のつき方や葉の葉脈などの違いによって、「双子葉類」と「単子葉類」に分類できる。
そして、「双子葉類」の中でもさらに、花びらが全て一つにつながっている「合弁花」と、それぞれ一枚ずつ分かれている「離弁花」に分けられる。
このような条件づけで体系的にまとめられているアルゴリズムが、私はなぜか好きなのだ(現に、ここまで一切何も見ずに、当時の15年前の記憶のまま書いている。自分でもよく覚えていると思うが、もしかしたら間違いがあるかもしれない。)。
思えば、ペンシルパズルのような理詰めで進んでいくパズルをするすると解いていく感覚が好きなのも、そういうアルゴリズムが滞りなく流れていくところに気持ちよさを感じているのだと思う。
そもそも、ヒューストンの街を歩きながら発動した自分の感性からそういうアルゴリズムが好きだったことを思い出している時点で、やっぱり私は、情緒的な何かよりも、アルゴリズムのような無機質で理性的な何かが好きなのだろう、と半ば呆れ気味に思った。
そう考えると、真に感性の扉を開いてありのままの自然を感じることなど、私にとっては到底困難なことなのだ。
あぁ、なんと私は感性と感情の乏しい悲しい人間なのだろうか。
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